第172話 姫S/追いかける女F

 シャルノワールは対戦を終えて戻ってきたLSにさっくりと訊いた。


わたくしは圧倒的に勝ちなさいと言いました。それを踏まえて問いますが……圧倒的な勝利?」

「……相手の策を全部潰して勝利したのだから圧倒的と言っても過言ではない……と思うが。エドアルド氏はいかが?」

「時空酔いで気分が激烈に悪いゆえ、私に振らないでいただきたいね。姫様の手前、接戦であったと答えざるを得ないし」

「どこが接戦だったんだ、どこが!」

「運が向けば私の勝利であったところだろうか」


 なぜか和気あいあいと自然に会話し始めているLSとエドアルドの様子に、シャルノワールは額に手を当てて溜め息を吐いた。


「ハッハッハ、やはり若者の人となりを知るには、若者同士を戦わせるに限りますな!」


 つい先程まで緊張の糸をピンと張っていた老獪な伯爵はどこへやら、ピッカリン伯は朗らかな好々爺とばかりに笑っている。


「ピッカリン伯……味見されるのは結構ですが、然るべき筋を通して、然るべき時と場所ですべきですわよ」

「そのように味気ない調理法では、彼という素材の本質は表に出てこないのですなあ。人間の本質とは、準備の足りぬ危急時に最も露わになると思いませぬか?」

「思わない。そこで覗くのは本質ではなく、単にどれほど経験を積み重ねたかという準備の程度です。本質などと耳に聴こえの良い言葉を使ったところで、LSを慌てさせて心根の汚い部分を晒し上げようとしたことは変わりなくてよ」

「おおっと、これは手厳しい。姫様も随分とご成長なされたようで」

「おかげさまで」


 ピッカリン伯はピシャリと自らも額を叩き、道化の様相を真似てみせた。狸親父め。


 このお茶会はピッカリン伯だけではなく、伯が属する派閥の意向によって開かれたものだ。

 あくまでピッカリン伯は彼らを代表してこの場にいる、というだけであって、LSという無名の男をシャルノワールが拾い上げたことに不満を抱く者は数多い。……適齢期の男子を抱える上級貴族ほど不満が大きいことは知っている。


 姫とそれを護る騎士の恋物語は、詩吟や娯楽本でもよくみる設定だ。


 事実、そういう前例があることは否定しない。

 だがそれではシャルノワールは女性騎士しかまともに組み込めないではないか。


 適齢の女性騎士はそれなりの数がいれど、騎士は人気職であり、騎士団内男女比では大きく劣る女性の嫁取り戦争はかなり激しい。

 シャルノワールが迎え入れたいと思う騎士ほど早くに寿を迎えるジレンマがあった。


 売り込んでくる男性騎士は王家の血を入れたいか、玉の輿狙いの馬鹿ばかりが見え透いて選ぶ気にもならない。


「それにしても姫様がどんな馬の骨を拾ってきたかと思えば……なんともまあ、一級品の名馬から立派な尻の骨を引っこ抜いてこられましたな」

「たまたま野を駆けていたところを捕まえたのよ……尻の骨とはどういう意味かしら?」

「下に敷くには大きくて立派な骨の方が座り心地も良さそうですからの」


 シャルノワールがLSを尻に敷くと言いたいらしい。

 今はまだ、そのあたりの機微など何も話をしていないのだ。しばらくはそっとしておいてほしい。


「そういうところから考えを離してもらえるかしら」

「姫様がお望みであれば。ワシは「そうではないようだ」と言うようにはいたしますが、他の男たちが許しますかな?」


 許さないだろうな、とシャルノワールは再び悩みの吐息を漏らした。


 前例に則り、LSがシャルノワールの婚約者候補だと見做し、それを見過ごせない者たちから熱烈なアタックを受けるに違いない。


「全く……妙な縛りをして接戦などにするから……」


 圧倒的な勝利を求めたのは、もちろんシャルノワールの都合もあったが、LS自身を守るためでもあった。


 若手の中でも、早々に家伝のカード使用を許されたエドアルドは実力者に数えられる。


 そのエドアルドをバッチバチにブチのめせば、これほど効果的な牽制もなかったはずだ。

 そんな思惑はLSがバッチバチの接戦を繰り広げたことで外れてしまった。


 これから行きたくもないお茶会のお誘いが増えること請け合いである。


「しかし、その、彼曰く“エンターテイナー”なところが好ましいのでしょう、姫様は」

「……楽しませてもらってはいるわ」

「素直ではございませんな」

「うるさいですわね、処しますわよ」

「おお、恐ろしい」


 ピッカリン伯をぶるりと震えさせたところで、シャルノワールは「では、そろそろお暇いたしますわ。茶は美味しかったです」と席を立った。


 併せて立ち上がろうとするピッカリン伯を座ったままでよいと手振りで示す。

 しばらくここにいなさい、付いてくるな、という意思表示だ。


「姫様、また新茶の時期に釣書しょうたいじょうをお送りさせていただいても?」

「苦みしか感じられないお茶会に参加したいと思うかしら?」

「では本日の茶が美味く感じられたのは、彼がいたおかげですかな」


 シャルノワールは返事をせずに踵を返した。

 その通りだと、この狸親父に伝えるのは癪だった。


 「いつまでもくっちゃべっているな!」とアズライトに耳を掴んで引きずられ。「取れる! 取れるって!」と騒いでいるLSの姿に、シャルノワールの口から溜め息と同時に笑いがこぼした。



   ◆



 お茶会の様子を窺う影が一つ。


 リアルと違う小さく華奢な体躯に、ノル箱では珍しい和装の女性。フルナ・フルグライト、その人であった。


 ノル箱のフレンド機能では、フレンドがプレイ中かそうでないかが判別可能だ。

 今日はエルスと遊ぶ約束がないので、プレイしている姿を見つけても話しかけずに遠くから見るだけにしている。エルスにも一人になりたい時間があるだろう。


「むむむ……随分と楽しそうね……」


 見たことのない形式の対戦を終えたエルスは美人の女性に囲まれてデレデレしている。


 美人で当然。一人は王女さまで、もう一人はその王女を公私に渡ってサポートする女性だ。出自も確かで見目の良い女性があてがわれているはずで、場所によっては姫扱いされていてもおかしくない人であろう。

 周囲にいる侍女の人たちも立ち振る舞いにどことなく気品がある。良家の子女というやつに違いない。


「全く、私の知らないところで勝手に美人と接点を持つんだから……油断も隙もあったものじゃないわね」


 美人に耳を掴まれてエルスが大喜びで叫んでいる。

 多少は強引に行った方が嬉しいのかもしれない、とフルナは心のメモに記した。


 ――それから、背後に声を投げた。


「そこで止まりなさい」

「……驚いた。オレに気付くとはな」

「隠れているつもりなら、衣擦れには気を払ってちょうだい」


 小さな音の拾い方が要となるFPSゲームで鍛えられたフルナは、がさがさとうるさい下生えの音やわずかな衣擦れは当然、かすかな呼吸音も聴き取る能力があった。


 とはいえ、衣擦れの音が聴こえる前からこの男には気付いていたが。

 なにせお茶会のテーブルを挟んで向こう側からわざわざこちらまで移動してきていたのだから。


 フルナの他にもお茶会の様子を窺っている者は多数いた。待ち伏せアンブッシュを見破る技術に長けたフルナからは丸見えに等しい。


「私に何の用事かしら」

「……単なる確認だ。知らんやつがいる、と思ってな。どこの所属だ?」


 どこかの新興勢力の見張りと勘違いされているようだ。


「無所属よ。彼……エルスの追っかけだから」

「フリーか……」


 少しばかりの沈黙の後、


「ならばウチに雇われないか。腕のいい偵察員はいくらいても良いからな」

「断るわ。そんな暇はないもの。私が忙しいの、見えないかしら」


 エルスを追いかけるのに忙しい。

 余計なことをしていては、カードの実力でも離されるばかりだ。


 あの【星堕ちの詩】を誘って撃たせられたら勝ち目も出てきそうな気はするのだが……。


「……やつに勝つのはなかなか難しいんじゃねぇか」

「知っているわ。浅い山を目的にしても面白くないじゃない」

「勝ちたいか?」


 フルナは振り返った。


「勝ちたいわ。リッカも言っていたけれど……エルスを私に夢中にさせるためには、本気のエルスを打ち負かさなきゃダメみたいだし。何より、私も敗けっぱなしで終われないのよね」


 土埃で薄汚れた男が言う。


「オレらにはお前を鍛える知識と道具がある。お前が望むなら鍛えてやっても良いぞ」

「気持ち悪いくらいに親切なのはどういう意図? 死んだ先祖が遺した台詞の一つが、知らない男の過剰な親切には気を付けろ、ってことなのよね」

「打算はある。お姫さんとやつが良い仲になっては困る方がいる。だから、正面から厄介な女をぶつけて場を荒らしたい」

「失礼な」


 私のどこが厄介なのだ。相手のことを常に考え、エルスの自由に干渉しないできた女だと自負している。


 それはそれとして。


「詳細な条件は?」


 フルナはそう尋ねていた。


 エルスの教えを受けてエルスの後を追っても、エルスの先に進むことができずにいる。

 手詰まり感を遠からず察していたところに、降って湧いた新たな血を逃す手はなかった。

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