第6話 アインシャント・アインエリアル

新参者ノービスチュートリアル:アインシャント・アインエリアルの教導】

 シャーマンの秘奥を知りたくば神秘の門を叩け。




 およそチュートリアルには似つかわしくない厳かなサジェスト。


「すまん、僕はチュートリアルと言うと、カード初心者向けのそれしかないと思っていたんだが、色んな種類があるのか?」

「ああ……アインエリアルさんが講師をお受けになられたんですね……」


 なんだか受付嬢の目元が黒くくすんで見える気がする。


「アインエリアルさんは凄腕の呪術師で、シャーマンの素養を持つLSさんには確かに有用な知識を数多くお持ちです。講師の能力については、何度かクエストを受けていただいている程度には十分かと」

「ふむ。僕にぴったりの講師ということか」

「そうですね。欠点があることを除けば、LSさんにオススメしたい人ではあります」

「またそれか……」


 このゲーム、最初から欠点とかデメリットが目立ちすぎる……。

 まったく踏まずにいけるところに設置されているのに、それをNPCとかシステムが勧めてくるのは何なんだ。早々に慣れてきてしまった。


「で? どういう欠点があるって?」

「アインエリアルさんは『かまってちゃん』性癖を持っていて、事あるごとに褒めないとすぐに気分を損ねるんですよね。歯の浮くような科白、お得意ですか?」


 僕は頭を抱えた。難易度が高い。


「……イイ歳した男だったりしないよな?」


 自己愛の強い男を褒め称えるのは辛すぎるが、綺麗なお姉さんとかならなんとかならんか。


「アインエリアルさんは女性ですよ。見目も整っていらっしゃるので、素直に褒める分には簡単かと」

「……性能スペック的には申し分のない人物であると」

新参者ノービスに付き合ってくださる、という条件を鑑みるとアインエリアルさんより優れた方をお呼び立てするのはいくつかの不可能を可能にする剛力が要りますね」

「是非もなし……。その人に頼むことにする」

「承知しました。では待合所でお待ちください。アインエリアルさんとお引き合わせしまして、そこから先の予定についてはアインエリアルさんの裁量になりますので。……アインエリアルさんは上手いこと乗せられれば、かなり評判の良い方なので頑張ってくださいね」


 ソイヤソイヤと精一杯持ち上げてなお評判最悪の人物、とかでなくて良かった。そう思えばいいのか感想の置き先に迷うところだ。

 とにかく受付嬢に礼を言って僕は待合所のベンチに腰掛けると、外部サイトを読み込むスクリーンを手元に開いた。まさか女性を喜ばせる科白集を検索する日が来るとは夢にも思わなかったぜ。







「あなたが私の教えを希望している仔猫キティちゃん?」


 川のせせらぎを彷彿とさせる涼やかな声。

 僕がスクリーンから視線を上げると、そこには痴女がいた。


「人違いです」

「LSさん、残念ながらこちらの方がアインエリアルさんです」


 後ろにいた受付嬢の言葉に、僕はさらに視線を持ち上げて天を仰いだ。マジかよ。


「ちょっと? 師匠に向かって失礼ではなくて?」

「講師ですよ、ただの。それに公共の場に出てくる際はきちんとした服装をしてくださいとお願いしましたよね」

「きちんと着ているじゃない。あまり重ねると窮屈なのだもの」


 口を尖らせてそう言う彼女の容姿は確かに優れていた。艶やかに成熟した美貌は、戦国シミュレーションゲームなら間違いなく“傾国”の二つ名を戴くだろう。垂れた目尻と泣きぼくろの魅力がとても強い。

 ふわりと空気になびく、柔らかに波打つ髪もその魅力を後押しする。濃い翠色の髪が、波打って広がる先端に近付くにつれ、透明感を増してグラデーションになっている。肩口で整えられた毛先はまるでエメラルドのように輝いている。


 しかしインパクトとしては彼女の服装に勝るものはなかろう。


 羽織るのは夜色のローブ一枚。しかも前は留めておらず、身体の中心線に沿って素肌を晒している。張り出した胸の先端に、ローブの端がなんとか引っ掛かっている。むしろ、それでなぜ全開になっていないんだ。

 かろうじて下の下着だけは装着している。全く意外なことに、飾り気のないシンプルな白い下着だ。

 ぶっちゃけ十八禁から逃れられている理由は謎である。


「それで、この子が噂の仔猫ちゃんでいいのね」

「仔猫かはさておき、アインエリアルさんにチュートリアルをお願いしたいのはこちらのLSさんです。プロフィールはご覧いただいたかと思いますが」


 受付嬢に手のひらで促されて、僕は憂鬱な気分で立ち上がった。


「LSだ。よろしく、傾国のお姉さん」


 ちょっとした揶揄を含めて言ってやると、アインエリアルは「あら」と心なし頬を緩めた。


「私のことをよく知ってるじゃない。この娘に教えてもらったの? そう呼ばれるのも懐かしいわあ」

「……いや、あんたのことを知ってたわけじゃない。見た目からして、そこらへんの街やら城やら、軒並み男を惑わせそうだなと思っただけだ」


 こんなほとんど全裸に近い女を通りで歩かせたら悪いヤツらが寄ってこないはずもないし、下手したら正常な倫理観の男子でも誘惑されかねない。容姿は抜群に良いのだ。

 現に横目で周囲を伺うと、こちらに目を向けている……というよりアインエリアルのはだけた胸を見ようと首を伸ばしている男共がアホほどいる。

 僕は正気を保っているのでなんともないが。なんともない。この恰好で出歩ける精神にドン引きしていた。


 嫌味に近い台詞をどう捉えたのか、アインエリアルはにこりと微笑んだ。


「な、るほど、ねぇ。いいじゃないの、あなた。エルスと言ったわね。気に入ったから、一流になるまで私が育ててあげる。エルス、これから私のことは師匠かお姉さまと呼びなさい」


 なぜ気に入った。

 全く理解できない言動を僕はすげなく拒絶する。


「いや、結構だ」

「そうねえ、まずは神秘の扱い方から教えましょうか。あなた、せっかく良い素質モノを持っているのに、無駄が多いわ」

「聞けよ、人の話を」


 チュートリアルで講師をしてもらうだけならともかく、師弟関係になるのはぜひとも遠慮したい。痴女の仲間と見られるのはごめんである。


 しかし、そこで受付嬢が嘴を挟んできた。


「LSさん、少しよろしいですか」

「そりゃもちろん、よろしいが」

「協会の人間としても、個人的な意見としても、このお話は受けるべきだと具申します。アインエリアルさんが弟子を取るなんて、滅多にない奇行ですよ」

「奇行……?」


 受付嬢の言葉にアインエリアルは首を捻った。


「でも僕が師事するにはちょっと刺激が強すぎるんだが」


 主に恰好が。変な性癖アビリティを身に着けたくない。

 受付嬢は言った。


「アインエリアルさんはまだマシな方です。常識では認められないモノを食べるのがお好きとか、人の細胞を捻り潰すのがお好きでしたら別の方を紹介できますが……」

「アインエリアルさんにお願いしようと思います」


 このゲームのレーティング、かなりおかしいのかもしれない。


「まったくもう、最初からそう答えればいいのよ」


 僕と受付嬢に言われるばかりだったからか、早速機嫌を損ねている。なんか腹の底に貯めていきそうな陰の気を感じる。

 仕方がない、僕も五分で学んだ女性の扱いハウトゥを披露しようではないか。


「僕みたいなパッとしない男は、アインエリアルさんみたいな美麗な女性と話すことがあまりなくて、つい気後れしてしまう。失礼もあるかと思うが、よろしく頼む」

「パッとしないかしら? 私があなたのことを気に入ったと言っているのに」

「それは……素養的なところの話じゃないのか。僕を見てビビっとくるものがあった、とか」

「そおねえ」


 じろりと上から下までを見分したアインエリアルが一歩詰めて、僕との距離をわずかに縮める。

 僕の心臓のあたりに指を這わせ、鼓動に合わせてとんとんと叩いた。


「……これは?」


 何か意味のある行為なのかと意図を尋ねる。

 僕よりも拳二つ分は背の低いアインエリアルが僕と目を合わせると、自然に上目遣いとなり、僕は心臓が破裂しないよう太ももをつねる必要があった。顔が良すぎる。


 正直、そこらのアイドルや美少女画像とは格が違うレベルの美女を、こんなに間近で見た経験は全くのゼロだ。

 いくら痴女とはいえ、芸術的な造形の良さという加点要素の存在が消えたわけではないのだ。

 加えて言うと、めちゃくちゃに悔しいが、はちゃめちゃに好みの顔をしていた。翠色のウェーブも顔に合っている。


 アインエリアルは、顔が赤くならないように耐えている僕の我慢を見透かしたかのように微笑った。


「もちろんこれからの私とエルスに必要なことよ?」

「あんまり……そんな感じはしないが」

「まだ途中だもの――両方を私のモノにする儀式」


 なんだそりゃ。口に出そうとした言葉が塞がれた。


 アインエリアルの美しい顔しか見えない。彼女が身動ぎをすると、唇に触れた温かくて気持ちの良いそれが形を変える。

 半開きになっていた僕の唇を割って、艶めかしく這い回る蛇が口内と意識を蹂躙していく。

 そして僕の脳みそを破壊し終えたアインエリアルは背伸びで寄せていた顔を離した。唇の間に滴の橋がかかった。


 現実離れした事実に、未だ理解が追いつかないままぐずぐずに溶けた僕に[リンリン]と新たな通知が届く。


『フェアリィの“フラワリィ”による加護【悪戯】が、プレイヤー:“神仙”のアインシャント・アインエリアルによる加護【蠱惑】に上書きされました』

『プレイヤー:“神仙”のアインシャント・アインエリアルが認めた唯一の弟子となりました。以後、他者の弟子として学びを得ることはプレイヤー:“神仙”のアインシャント・アインエリアルが許しません』


 嘘だろプレイヤーって。

 僕はカードゲームをしにきたはずなのに、カードゲームを始める前に爆発しそうになっていた。


 アインエリアルにも通知が届いたのか、心臓を貫く火力の笑顔で言った。


「これであなたは私のモノになった……よろしくね?」

「ぴょろ」


 言語ではない音を漏らして、僕はベンチに崩れ落ちた。

 もうだめだ。






 かくしてチュートリアルを受けに来ただけなのに、痴女の弟子となったのである。

 事前に学んだ攻略ウィキと大分違うルートに入ってるのはどういうことなの……。

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