第200話 人生を揉みほぐせ by 爺さん

 ――控室。


 同じ予選リーグで進出を決めた二人が同室に押し込められているのは、運営による何らかの意図があるのだろうか。

 もし「決勝で会おう」とか「次に当たるまで敗けるんじゃねぇぞ」みたいなドラマを期待しているのであれば、僕らには見当違いの配慮だったと言えよう。


 何しろ、僕と同室になった浮浪者みたいな爺さんは控室に送られるなり、懐から取り出したスキットルを煽って、固い床に転がった思ったらすっかり寝入ってしまったからだ。

 交流もクソもない。


 社会に不適合してそうな酔っ払いの爺さんが僕と一緒にリーグを抜けたことに違和感を覚えなくもない。こんな醜態でどうして勝てたんだ、と。


 とはいえ見た目と中身が必ずしも一致しないのはすでに理解している。

 たおやかな仕草のお姫様が指一本で人体を破壊できるのがノル箱世界だ。


 この爺さんが実は著名な実力者なのです、と言われても驚きはしないようにしておこう。

 最低でも『六つ星』のプレイヤーを余裕であしらえる程度の腕はお持ちのようだし。


 【星堕ちの詩】が爺さんの相手を消した可能性はなきにしもあらず……ではあるのだが、僕と爺さんは別チームだったので、二人で予選を抜けるには爺さんが一人で僕のチームメンバーを倒さなければならない場面もあったはず。

 その実力の程を全く見せていないという面では注意が必要だろう。


 ――と、爺さんについて考えていたところで、ピンパンポーンとチャイムが鳴り響いた。


『あ、あー。本選出場者の皆さん、聞こえておりますでしょうか〜?』


 以前にも聞いたことのある声でバカデカアナウンス。


『間もなく、予選会場で最後の本選出場者が決定いたします。確定次第、みなさんを本選会場にお呼び出しいたしますのでご準備のほど、よろしくお願いいたします!』


「って言われても何をすりゃいいんだか」


 準備なんか必要あるか? デッキは試合の直前に調整するくらいしかないだろうし。


「おぬし……」


 掛けられた声に振り返ると、バカデカい音量でのアナウンスにさすがの爺さんも耐えられなかったのか、あくびをしながら頭をあげていた。


「着替えなくてええのか? ワシのいる場末にも、おぬしの噂は漂っておったが。のう……瑠璃の騎士さまよ」

「あっ」


 言われて気付いたが、衣装をボロいローブに変えていたのだった。

 無料で試せる衣装ガチャを回していると無限に出てくるゴミだ。カラーバリエーションでかさ増しされている。悪どい手段だよ。


 爺さんの言う通り、予選はともかく本選でもこの格好だとシャルノワールに激ギレされることは必至。微笑みながら無茶苦茶な指示を出されかねない。

 今のうちにシャルノワールからもらったローブに着替えて、小綺麗な格好になっておこう。


「助かったよ、爺さん」

「なんの、なんの」


 爺さんは言って、また懐からスキットルを取り出しては煽りだす。


「おいおい、爺さん、まだ飲むのかよ。もうすぐ本選が始まるぞ」

「だからこそ、じゃろうが。現実などちぃっと見えるぐらいがちょうどええ」


 含蓄のある……かどうかはさておき、意味深な台詞を溢して爺さんはカッカと笑った。


「ところで……のう、おぬしに訊いておきたいことがあるんじゃが、良いか?」

「答えられることなら」


 デッキ構成はNGだ。


 僕の返答に、爺さんは「ほう……」と一息。

 そして、これまでで一番の、鬼気迫る真剣さで眠たげだった眼をかっ開いた。


「ワシがおぬしに訊きたいことはたった一つ……」


 な、なんだ……?

 僕がこんなヨボヨボの爺さんに気圧されている……!?


 爺さんの気迫に、思わず僕はゴクリと唾を呑んでいた。


「この先短い老いぼれに教えてはもらえんかの……」

「……一体、何を知りたいんだ?」


 爺さんの眼光が、かの深奥でギロリと閃いた。


 僕らの間に、俄に漂いはじめた重たい空気の中、爺さんが口を開く――


「おぬしの主、シャルノワール嬢の……」

「シャルノワールの……?」

「貴き尻の手触りを……ッ!」


 ……………………。


「えっ?」


 何を言われたのか理解できずに聞き返してしまった。


 すると爺さんは激高し、重苦しい雰囲気を蹴飛ばして立ち上がった。


「えっ? じゃないわ、バカチンがッ! まさかあれほど立派な尻を間近に拝んでおきながら、その感触を確かめておらんわけがあるまい! 王家随一の尻具合を詳細に教えるんじゃっ!!!」

「えぇー……」


 とんでもねえエロジジイじゃねーか!

 よりにもよって、王族の尻の感触とか尋ねるなよ!


「触れるワケねーだろ! 僕の首が飛ぶだけで済めばいいやつだぞ、それ!」


 早く首を飛ばしてくれと思ってしまうような拷問が課されるに違いない。シスコンの兄から課される分もきっとある。


「カーッ! これだから若造はイカン! 尻、触れずして、何のために生きておるんじゃあ!」

「尻に触るためではないかな……」

「よいか小僧!」


 ついに僕の呼び名が小僧になった。


「女の尻にはな、その女の人生が詰まっておる! 胸に夢だ希望だが詰まっておるなどと言う輩もおるが、ワシから言わせればまだまだよ! 男は黙って尻! 尻から女の一生を摂取する贅沢がなぜ分からんのかっ!!!」


 僕はわずかばかりの反論を行った。


「胸は胸、尻は尻で良いものであることには変わりないのでは?」

「ワシは尻派じゃもん」


 じゃもん、じゃないだろうが、じゃもんじゃ。


 猥談の類いに付いていける素地こそ育まれつつあるが、哲学めいた領域に達していない僕にこの爺さんの相手はキツい。


 早く本選会場に連れて行ってくれ、頼む……!


「マッタク……理解したのであれば次までにしっかと揉み込んでくるのじゃぞ!」

「あのなあ……、……あ」

「こういうのはな、思い切りよ! 思い切ってやってみたら、そこには至福のひとときが待っておる!」

「爺さん」

「沈み込む真綿のような柔らかさ、あるいはすべすべとした真珠の如き肌触り……はたまたもちもちとしたお楽しみボデー……。くぅっ、どうなんじゃろなあ!?」

「爺さん、おい」


 空想に耽る爺さんのために、僕が繰り返し声を掛けると、少しばかりうっとうしそうにこちらを睨んだ。


「老いぼれの楽しみを邪魔するでない、いったいなんじゃというのじゃ」

「後ろ見たら分かるぞ」

「ふん、後ろじゃと?」


 振り返った爺さんは、ニコニコ笑顔のシャルノワールがそこに立っていることを上手く認識できなかったのか、何度か目を手で擦った。


 シャルノワールは右手を胸元まで上向きに持ち上げると、僕らの目にも分かりやすく、一本ずつ伸ばした指を折りたたんで握りこんでいく。


「な、なぜここに……!?」


 ようやく事態に思考処理が追いついたのか、爺さんがアワアワしながら問うた。


「歓談をお楽しみのところ申し訳ありません。私の話題が出ているようでしたので、こちらに参った次第ですわ」

「……ハッ! まさかこの老いぼれに尻を恵んでくださると……!? なんというお心の広さ!」

「ええ、まあ、似たようなものですわ」

「命短し触れやお尻、我が一生に悔いなし……っ!」

「後悔のない人生であったのなら、それは重畳。では、この貴重な感触、たくさん噛み締めてくださいませね」


 ――それは綺麗な円を描いた。


 振りかぶった拳と遠心力を得る逆手が見事な連動を魅せ、縦回転の真円を刻む。

 頭上から振り下ろされて、地を擦り、再び浮き上がった流麗な拳が爺さんの顔面、人中のど真ん中に突き刺さった。


 めしゃこんっ、と爺さんの顔がひしゃげる様は、まるでスローカメラで撮ったかのように鮮明であった。


「ィイイイイップッ!!!!!」


 奇妙な鳴き声をあげて、爺さんが地面から四十五度の放物線を描いて吹き飛んでいく。

 すごいぞ爺さん、首から上が原形を保ってる。


 シャルノワールはハンカチを取り出すと、拳の表面を拭って、そのままペッと捨ててしまった。そこまで嫌か。


「私のお尻に触れたことのある私の拳に触れられて良かったですわね」


 間接的に触れられたことが幸せかどうかは諸説あるだろうが、口を挟まぬだけの賢明さは持っていた。

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