第74話 不条理な配置
【ラビッツオーケストラ】の強化範囲はまだ自陣のみに収まっている。【
我慢の時間。
じとりとまとわりつく脂汗を腕で拭った。
僕とは対照的に冷え切った顔のヒメリカは自分のターンを始める前に、【シャルロッテ】とテディベア型デッキホルダーを胸に抱えて深呼吸を繰り返した。
しばし顔を埋めて吸っていたが、再び前を向いた時には青褪めていた表情に落ち着きが戻っていた。
「……ふう、落ち着く。まだ逆転される状況じゃない」
「そうだな。これでようやく五分まで戻しただけだ」
0:10で敗北濃厚だった盤面がようやく5:5まで押し返せただけにすぎない。
ここから【
ヒメリカからすれば、僕を五回殴ってボコボコにする手順をボツにさせられて残念といったところか。必要以上に慄いていたようだが、落ち着きを取り戻してしまえば冷徹な手を躊躇しない女だ。
彼女は【シャルロッテ】を頭の上に乗せて、手汗で湿ったグローブをキュッと締め直す。
「勝負は、まだここから。この子がいる限り、あたしの
「アッシュを倒した手管、教えてもらおうか!」
披露された一連のコンボでアッシュを封殺することはできない。
行動力、アクション回数の差でボコるというのは僕がすでに実行済だ。であれば、アッシュはそれに対する答えを用意して大会に臨んでいるはず。
五回行動の上で行動力4を縛ってくるのはかなりの脅威だが、【シャニダイン】の能力とアッシュの解答が合わさったなら破壊は可能。
それにも関わらず、アッシュはヒメリカに敗れた。
対応できない『おともだち』が出てきたのだろうと予想はつくが、はたしてどんな『おともだち』が控えているのか。
「エルスは前菜を食べ終えただけ! 弱気になる暇なんかない……」
言葉通りに【いとのおともだち】は場を温めるだけの前座。
性能としては
それでもあえて前に出てきたのは、こちらの陣営が明らかに貧弱だったからだろう。
釣り餌だ。
現在の
僕が前に出ることで、それをヒメリカ側に引き寄せようとしている。強化の届かない場所まで行ってしまえば、もはや煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。それに乗るほど我を忘れてはいない。
「あたしのターン、ドロー……っ!」
テディベアの腹に右手を突き刺し、中身をまさぐるようにしてヒメリカはカードを引き抜いた。
僕の影響――かどうかは知らないが、僕が相対する『カオティックムーン』のプレイヤーたちもここ一番、力の入れどころでは神経を注力してドローしている。
それが良いドローに繋がるのかは当然オカルトになる。けれども。
「どうやら良いドローだったようだな……。僕より運の良いやつは普通にカードを引いてくれよ」
カードを確認した瞬間の気を抜いた笑みは、状況にとどめを刺す十分な内容だと示唆している。
「エルスに勝つための手段をあたしたちは考えてきた。『フェイタルドロー』に勝つには、『フェイタルドロー』をぶつける!」
「そういう理由で広まってたの!? 僕の真似じゃなくて、バカラの動画で練習してくれ!」
「あたしの『エルスに勝ちたい』気持ちに、あたしのデッキが応えてくれた! 征く!」
狙いのカードを引き寄せ頬を上気させるヒメリカは、しかし冷静だ。
【カード割り人形】に不要なカードを噛ませ、きっちりと忘れず手札を増強する。
そして、
「後列っ?」
「
ヒメリカの背後、中央後列に現れたのは土色の巨大な亀だった。中型のくせに一軒家ぐらいの大きさがある。
「ノースキルの
「なぜでしょう?」
「焦らすね」
「正直に言うのはバカッシュくらい」
「それもそうか」
【ランドタートル(中型)】は
『二つ星』までのショップやダンジョンで手に入るカードではないだろうから、カードパックから引いてきたな。羨ましい話だ、僕はほとんど買い集めてきたってのに。
本来なら前列に置いて、盾とすべきカードだ。
それをあえて後列に配置した理由。
「あそこから配置を入れ替える、あるいは活用する術がある」
「その通りかも? 少し違うかも?」
「ええい、僕の独り言に反応するな!」
「言動で幻惑して情報を抜き出すのはエルスの十八番。あたしが文句を言われる筋合いはない」
「何度言ったか分からないが、僕は自分がやるのは好きだが、やられるのは嫌いなんだ!」
「それならなおさら。人の嫌いなことをやるほど勝利の可能性が上がるゲームだもの」
ヒメリカはそう言って、自分の足で前列まで歩いてきた。
「プレイヤーが中列から前列まで移動して、あと左側中列にいる『おともだち』も前列に移動させておく。ターンエンド」
今の
不気味な静けさ。
プレイヤーが前列に出てきた理由は理解できる。
「次のターンで勝負をかけてくるということか」
「何の問題もなければ?」
【
僕の強化根源となっている【ラビッツオーケストラ】は数を増やすごとに強化範囲も伸びていく。厳密に言うと、二の倍数ごとに1マス伸びる形だ。四枚目を中列に出したなら、敵陣の奥まで強化の手が伸びることになる。
それを考えれば、【
どうあってもヒメリカは中央を死守したいと考えている。
「さて、どうするか……」
「うふ……どうするの……?」
深い集中に入ろうとする度、ヒメリカの言葉が
くそ、疲れてるな。いつもなら軽口を叩きながらも思考を別に進められていたはずなのに、どちらかしかできていない気がする。
疲労を振り払うべく、ぶるぶると頭を震わせた。
「……なんにせよ、全ては次のドロー次第か」
「三連続『フェイタルドロー』はやめてほしい」
「そんなに連発するもんじゃない」
もはや訂正するのを諦めて、僕は手番を始めた。
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