第131話 お手軽世界旅行

 特設展示の会場は、不思議な一つの世界だった。


 壁のように使われているパネルと灯りライティング、そして来場を歓迎するかの如く、ででんと最初の部屋の中央に設置された大きな作品からこの世界は始まった。


 厚い、薄い。大きい、小さい。透明、曇り。蒼、紅。

 様々なガラスの泡がくっついて、動物の形を作っている。鹿か、トナカイのどちらか。


 まるでホロホで知らないゲームを起動したかのような錯覚に襲われる。

 でもゲーム世界では感じ取れない歪みがそこはかとなくあって、そこに不思議が宿っているような気がする。


「すごくよね」


 満輝が感嘆の息を吐きながら言った。


「……あ、これは私の感想だから、思ってもいない同意はいらないわよ?」

「僕は不思議なものだな、って思ったよ。ゲームみたいだけど、ゲームじゃ見たことない感じの生き物だなあって」

「そうね……ゲームじゃ見ない造形かも」


 展示の順路を進むと、また違う表現で泡の集合が物体、あるいは事象を形にしている。

 全てが泡だけで構成された世界にいるようだ。

 空気と水の中に、固められた意思が存在する。


 不可思議な空間。

 泡は静謐に佇み、あるがままにあった。


 僕と満輝は静かに言葉を交わしながら先へ進み、気付けば特設展示は終わりを迎えていた。

 せっかくなので常設の展示も見学してから、併設のレストランで遅めのお昼ご飯とする。


「どうだったかしら。個人的には当たりの展示だったわね」


 満輝がボロネーゼをフォークに絡ませながら訊いた。

 僕はとろとろのオムライスをもぐりと食べて、飲み込んでから答えた。


「面白かった……かな?」


 あ、いや。

 僕は即座に訂正を挟む。


「いや……やっぱり、不思議なところだった、が正しいかもしれん。来て良かったとは思う」


 面白いとか、イイって言葉では一括りにまとめられない感覚。

 カード対戦で得られるような直接的な衝動インパルス快感カタルシスを僕が感じることはなかったが、不思議と満足感はこの胸に満ちている。


 たぶんすごい展示だったのだろう。

 結果から考えると、これが“イイ”展示なのかもしれない。


「不思議、ね……。最初にロウが『ゲームみたいで、ゲームにはない』と言っていたでしょう。理由を考えてみたのだけど……実用的じゃないから、とかどう?」

「泡なら実用化されてるゲームもたくさんあるだろ?」


 特殊な攻撃とか魔法とか。現にこないだ【フレンドラゴン】が吐いていたのは泡のブレスだ。


「そういうのではなくて、生物として、全身が泡でできているのはあまり実用的じゃないでしょう。私たちは物理の世界に生きていて、ゲームも様々な法則が追加されたりしてはいるけど、基本的には物理法則を用いて操作するワケ。触れたら割れてしまうような泡だけで構成された生物がいたとしても、生物としての強度が不足していて、すぐに淘汰されてしまうのではないかしら」

「ええと……、生存戦略に欠陥を抱えている生き物は、ゲームに採用されないってことか」

「そう。食物連鎖とかは無視されがちだけど、身体構造的な欠陥はビジュアルにも関係するから」


 満輝は一気にそこまで話すと、冷たい水を飲んで口を湿らせる。


「現実でも優先されるのは実用性でしょ。実用的であることを洗練させた結果として美しさも兼ね備えることはあるけれど」

孔雀クジャクみたいな?」

「アレを実用的と言っていいのかは賛否あるでしょうけど、確かにメスの気を引くという点では実用的で美しいわね……」


 誰もが知っている孔雀は美しい尾羽根を広げた姿だろう。

 だが、あの尾羽根はオスしか持っておらず、美しく長く大きいとメスにモテる、以外に意味はないらしい。目立たず天敵に食われないことよりも、メスにモテる方が大事なのだ。


「そういう実用性の先にある綺麗、可愛い、怖いをゲームには持ち込める。でも実用性のないものはゲームの中に作るつもりがない、というのが答えだと思うわ。だって、そのゲームを遊ぶのに必要がないもの」

「芸術的すぎるって?」

「一言でまとめると、そうね。個人の感性を突き詰めた先にある芸術を、ゲームの中に再現できる環境がなければ、必要もない。共感性の高い、美しい星空でも並べておいた方が万人受けはいいでしょうし」

「あけすけに言うなあ。確かに星空は芸術とは言わない気もするが」


 大自然のもたらす美しさは畏敬と共に、幻想的、神秘的だと謳われることが多い。

 人には創り出すことのできないものだと。

 ただし、写し取ることはできる。


「否定的に聞こえたならごめんなさい。私もゲームは好きよ? ただ、現実でこういう体験をするのも好き、って言いたかったの。ロウが最後まで話聞いてくれるからついつい話しすぎちゃったわ」

「僕も人の話を聞くのは嫌いじゃないし、君が言っていたように個人の感想だろ? なるほどなあ、と思うところもあったし……どうせならもっと聞きたいところだな」


 こういう誰かの考察を読むのはむしろ好きな分野だ。偏見だが、考察が嫌いな人間は百文字以上の言葉を認識できないだけだろう。

 ましてやリアルタイムで説明してくれるのだから、面白くないはずがない。


 しかし満輝は紙ナプキンで口元を綺麗にすると、伝票を取った。


「嬉しいけれど、それはまた次の機会にしましょう。予定が詰まっているもの」

「残念。……カフェ、美術館、レストランと来て、次はどこなんだ? 僕の頭には候補地が全く思い浮かばないが」

「こんな話をしたばかりで申し訳ないけれど……私のホームグラウンドにご招待するわ」

「……流れから察するに、何かのゲームに誘われてる?」

「ええ。ずっと隠しておくよりも、早々に教えておくべきだってことになったのよ」


 席を立った僕の手も取って、引いていく。

 満輝のその横顔にはこわばりがくっついていた。


「隠しておきたいことなら隠しておいてもいいんだが」

「いいえ。後になるほど公開しづらくなるものだとは分かっているもの。だから最初のうちに教えるわ――本当の“私”を。今日は、私のことを知ってもらう日」


 そう言って彼女が僕を連れてきたのは、都心から結構離れたところにあるお城みたいな建物だった。電車に乗ってタクシーまで使った。そこまでして連れてきたいのがここなのか。

 ゲームをするって言ってたから、専用のプレイルームとかかな?


 外観は華やかな割には、中に入るとどこか薄暗い。

 満輝が手早く何かをして奥のエレベーターへと連れ込まれる。階層も部屋もたくさんあるが、妙に暗いのはなぜなのか。ホラーな洋館にありがちなやつか?


 部屋に入るとやたらめったら大きいベッドが部屋の一角を支配していた。枕が二つ並んでいるから二人用だ。

 ……二人用だ、じゃないんだわ。


「それじゃ先に完全没入ホロダイブしてるから後から来てね。ここのホロサーバーの『アサルトライン』でゲスト登録してくれたら、同じチームに入れてくれるから」


 気にした風もなく、カーディガンを脱いでメガネも外した満輝はベッドに横たわって、ゲームを起動してしまった。

 確認する間もない早業……。


 満輝は僕の場所を空けてくれていたが、さすがにベッドの横に入るのは気が咎める。満輝の目立つ胸が上下する光景から目を逸らし、精神を落ち着かせた。朝のことは経緯が記憶にないから僕の手には負えない、正当な事故です。


 部屋の真ん中に置いてある革張りのソファに深く腰掛けると、僕も『アサルトライン』を起動する。


「意外ではあったな……」


 『強襲戦線Assault Line』はVRFPSファーストパーソンシューティング――人を銃とかで撃つゲームの金字塔だ。


 金字塔ということはプレイヤーがたくさんいて、つまり民度が終わっている。一般家庭で育った人間が想像できるスラム街よりは低劣な行為やスラングが踊っている。

 生徒会長ってワードとは対極にあるようなゲームだ。それをホームグラウンドと言い切るとは。


 僕も洗礼を受けて、やるのは止めておこうとなったゲームなので、少し怖い。面白いゲームなんだが、プレイヤーが怖い。


 だが満輝から呼ばれている。仕方がない。


「さっさと片付けてくるか」


 呟いて、砂塵の吹き荒れる鉄火の都市へと赴いた。

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