第34話 名も無き観戦者、まだ。
――四月七日、午後九時。
教えてもらったチャンネルにて待機をしていると、前置きもなく動画配信が始まった。
わたしは正直なところ、あまり期待をせずに動画のサムネイルをタップした。
中学生活は下水の底に澱むヘドロの如き暗澹たるもので思い出したくもない。
高校では再チャレンジ……というよりも失敗を繰り返したくない一心で、中学の誰も受験していない遠いところを選び、非難されてきた箇所を潰したつもり。
無難な格好をして、無難に朗らかで、無難に人当たりのよい、何もかもが無難な人間。わたしはカワイイを作るのをやめさせられた人間。
加えて他人の良いところを無理やりにでも見つけて、褒めてあげる。
わたしはあなたに好意を持っていますよ、と分かりやすく提示する。
人間、好意を示す相手にはそう冷たい態度を取れないものだ……とインターネットに書いてあった。
何度も鏡に向かって笑う練習はしたが、こんなに固い表情で赦されるのだろうか。
不安を抱えながらやってきた入学式。
――その日、わたしは運命と出逢った。
両親から頼まれていた写真のミッションを消化すべく訪れた『凰学館高等学校 入学式』の看板前。
そこにいたのは、冴えなくて陰気臭くて洒落っ気のない男子と、爽やかな外見でくるくると変わる表情が魅力的なイケてる男子。
見るからに真反対の二人なのに、仲の良さを見せつける姿が少しだけ眩しい。
まごついている内にわたしはどちらかの母親に促され、並んで写真を撮ることになってしまった。
突然のことに上手く練習してきた言葉が出てこない。生来の何もかもが足りない会話術が顔を出す。
それでも顔を見て笑顔で話すぐらいはしなければ。
そう思って上げた顔が、心臓ごと凍りつく。
「オレは灰島カケル、よろしく!」
台詞の温度と、目の色がまるで合致していない。
灰島と名乗った爽やかな外見の男子は、一見すると人当たりよく話しかけてくるが、その実、なんの感情も含まれていない無味乾燥な言葉をアウトプットしている。
彼はわたしに何の興味も抱いていない。いてもいなくても変わりのない存在として捉えている。
それがよく分かる眼だった。その心に何も映していないのだ。
久々に当てられた眼に震えている内に、いつの間にか写真撮影が終わっていた。
「母親が強引で悪い」
そう言う陰気な男子の声に、わたしはほっと息を吐いた。
彼の低く響く声は雰囲気の割に落ち着きがあり、シックな木目調の家具に囲まれているような安心感を覚える。
相対的に感じたのかもしれないが、人間味のある会話に安堵していたのかも。
その人は、灰島とは違う意味で目の合わない人間だった。
わざとなのか、だらしなさの結果か、伸びすぎた髪が目線を隠している。動いた拍子に時折覗く瞳もきょろきょろと余所を向いていた。
こちらはこちらで他人に興味を持とうとしない人間ではあったが、灰島よりもまだ人間臭さが感じられる。わたしと似た種類の単なる人付き合いが苦手な人だ。
どこか褒められるところはあるのだろうか。
彼から褒められる美点を見つけられたら、他の人はもっと簡単に褒められるだろう。
そういう練習台にはもってこいの、パッと見での美点の無さ、今後の付き合いを考えにくい相手に思えた。きっとわたしから話しかけなければ自然に付き合いは消滅していく。
だけれども、一体全体、どのように褒めるべきか。
賞賛の窓口を探していると、移動する流れになった。流れに流されて、機を伺い付いていく。
すると、必要がなければ会話は生まれないと踏んでいた性格診断に反し、彼は軽く振り返ってわたしに話しかけてきた。
「悪かった」と。
最初は意図を掴めずにいたが、話を聴いてみると「同じ画面に写ってごめん」という意味らしい。自己評価があまりにも低くて可哀想になってきた。
いくらなんでもわたしだって初対面の人にそんな謝罪はしない。……もしかしてわたしの無愛想な態度がそう思わせてしまったのだろうか。
そうならば、わたしは練習台と見下した相手に気を遣われたことになる。
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。いくら練習してきたからって、それだけで一端の人間に成長したと勘違いしたのか。
恥ずかしさをごまかすつもりで思ってもいないことを勢いで言いまくる。
どの口が自分なんかを「写真映りが良い」などと言うのか。そういった可愛さなんか欠片も持っていないのに。
わたしがカワイサとは掛け離れていることは知っている。中学時代に思い知らされた。
周囲の考える可愛いと、わたしの感じるカワイイは全く違っていて、わたしは受け入れてはもらえないカテゴリに類するのだ。
だから、わたしの発する「可愛い」は自分を犠牲にした冗談。卑下することで、周りに迎合する手段。
本当にそうだとは、もう思えない。
――思えなかった。
「君はそこに立ってるだけで可愛い」
陰気な少年はわたしの気持ちも知らずに、まっすぐ視線を合わせて言いきった。
涸れきってひび割れた心に、その言葉が隅々まで染み渡っていく。
飢えに飢えた承認欲求が注がれる眼差しの強さで満たされていく。
あ、良いところ、あった……。
目元にまでかかる黒色のカーテンの奥には、意外なほどに澄んだ瞳が煌めいていた。その煌めきの源泉は、眼の底にて萌ゆるもの。
それが何なのかは見当もつかなかったが、暗く深い闇の中でもがくわたしにとってはまばゆく得難い、唯一無二のぬくもりに感じられたのだ。
わたしのほしいものをくれて、わたしの知らぬものを持つ少年。多少なりとも惹かれるのは仕方がない、そう思った。
――そして彼の配信を観ている今、わたしはその正体にようやく気付く。
それは絶え間ない情熱。
それは好きなことに没頭する熱い心。
それは迷うことなく前へ進む勇気。
それは、認め合う他者と競い、研磨して輝かせる、気高き精神の一端。
爛々と周囲を焦がす内なる焔。あれほど冷たく感情のない目をしていた灰島カケルにすら、火を点ける苑田ロウの言葉が耳から離れない。
それを宿した二人が交わり、魂が削れるほど剥き出しでぶつかって、火花を散らし、3×3マスのフィールドを燎原へと変えていく。それこそ画面のこちら側にも届くほどの激しい延焼だ。
悪意に濡れて、ずっと長い間、湿ったままだったわたしの
燻っていた燠火が息を吸って燃え上がる――わたしはその音を確かに聴いた。
今なら分かる。灰島カケルはわたしに興味がないのではなく、望んで興味のほとんどを苑田ロウに入れ込んでいる。ゆえに他者へと向ける視線が無機質となる。
何時ぶりだろうか。こんなに胸がドキドキと波打ち、ふわふわとした想いに上気するのは。
「……もっと、知りたいな」
その温もりが、熱がもっとほしい。
この胸を焦がし、頭を浮かす感情の意味を知りたい。
求めるものはきっと、画面の向こうで戦っている少年が持っている。
「このゲーム、どれくらいで買えるんだっけ」
わたしは『ノルニルの箱庭』に降り立つ決意をした。鈍重に歪んだ魂を携えて。
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