第145話 壁に耳あり、動画に目あり

 すっかり失念していたことが一つあった。

 動画を撮ると、配信サイトと連動する設定にしたことをうっかりさっぱり忘れていた。


 ということは、だ。

 僕が見目麗しい子女の胸を幾度となく触った姿が、全世界に公開されたということである。


 いつの間にやら切り抜きとかいう短い動画まで有志の方々によって作られ、僕は一躍時の人となってしまった。全く望んでいないバズに僕のコメント欄とメッセージボックスは唸りを上げての高速対応を要求されている。


 攻略情報よりも僕の性的スキャンダルの方に実利を見るのだから人間とは不思議なものだ。そんなに羨ましいか。柔らかかったのは確かだぞ。


 セクシャルタッチのすり抜け手法? そんなの僕が知るはずもない。

 セクハラしようと思って触ったわけではないので思考の問題なのではないか、と返してやったら、さらに燃え上がってしまったので放置している。


 あの時の僕は純粋に不可思議な現象の解明で頭がいっぱいだった。胸を胸と認識しなければいける可能性はある。


 そして、僕の他にもそんなことはどうでもいいと思っている人がいる。

 問題なのは、


「何日も経ってないのに、もう新しい女に手を出したの……!?」

「誤解だって! 不幸な事故であって、あの人はまだ名前ぐらいしか知らない」

「名前しか知らない人の胸を触れるものなの!?」


 僕が彼女でもない女性の胸を触っていた、という事実が白日の元に晒されてしまったことだ。


 ゴールデンウィークが終わればまた学校が始まる。

 消えたはずの痛みを思い出して歩き方が変になっている僕を拉致したのは伊玖であった。

 朝イチで生徒会室の隣室に連れ込まれ、動画の件を問い詰められている。


「わたしの番もまだだっていうのに……!」

「ごめん、ごめんって。試験終わったら遊びに行こう」


 ぷう、と頬を膨らませて不満を募らせる伊玖に、僕はできるだけ優しく言った。

 じゃんけんで決まったリッカ、満輝、伊玖の順番で最初のデートに行くこととなったが、スケジュールの関係で伊玖だけまだ実現していないのだ。


 ノル箱のイベントを優先してもらったので意見は聞いてあげたいところだが、全く残念なことにもうすぐ中間試験がやってくる。遊んでばかりもいられない。

 僕らはリッカ以外、同じスケジュールで動くことになるので、この間は遊びに行かずきちんと勉強しようという話になったワケだ。


 ……いや、そうみんなで約束した直後に僕がゲームしていることがバレたんだけども。勉強はしている、しているが少しぐらいはゲームしてもいいと思う。ダメか?


 伊玖の膨れた表情を見る限りではダメらしい。怒っても絵になるお顔で怒られると、僕に打つ手はペコペコと謝る他になかった。


「動画を撮ったのは、覚えておかなきゃいけない話をされるから、ってだけで他意はない」

「そお……? お姫様に似た綺麗な人だったよ……」

「貴族らしいから。シャルノワールの指示があるから色々教えてくれるけど、それがなきゃまともに会話してもらえるかも怪しいぞ」

「……好きになってない?」

「なってない、なってない。僕が情け容赦なくボコボコにされるところ見てなかった?」


 後ろめたさもあり、伊玖を宥める言葉が弱々しい。

 ついでに言えばお腹も痛くなってきた。重点的に殴られた肝臓がブローのように効いている。現実では怪我一つしていないのに痛い気がする。


「大丈夫? 潰れたカエルみたいになったりしてたよね」

「ゲームではあっという間に治ったけど、なんかまだ痛みを感じる時があるんだよな……。幻肢痛とかそういうやつなのかも」


 四肢を欠損した人が、失った箇所に痛みを訴えることがあるという。

 僕も医療マンガで仕入れた知識だから詳細は知らないが、人間の脳は在ったことを忘れられないのかもしれない。新しい『在る』で状態を更新しない限り、この痛みは続くのかも。


 女性の細腕から繰り出される衝撃のリバーブローを受けても内蔵が破裂しない、そういう事実を身体に教えてやらねばならぬ。nullは身体が認識してくれない。


 お腹を押さえた僕の手の上から、伊玖も体温の高い手を重ねて撫でてくれた。しばらくすると、痛みが軽くなったような気がした。


「……このゲームを続けるの、なんだか不安になる」


 伊玖が僕のお腹を撫でながらこぼした。


「『七つ星』の人のこともそうだし、先に進むほど痛い目に合わなきゃいけないのは怖いな」


 僕はアズライトを好きにはならない宣言しようとしていた口をギリギリで閉じた。そっちの不安か……!


「その意見はまあ、当然出てくる意見だよな。大多数のプレイヤーがわざわざ設定変えて無痛プレイしてたのに、その設定を貫通してくるんじゃなんのための設定なんだって話だし」


 くるりと舌を回転させて、渇いた口を動かす。

 ゲームの話なら油を差す必要はない。


「僕はむしろ納得したよ。あの世界でカードがあそこまで重要視されている理由の表現が『痛み』システムなんだろう」

「表現?」

「ああ。動画の中でアズライトも言っていただろ? 直接殴った方が早いんじゃないかと思わなかったか、って」

「うん。それでロウくんがその人の胸を触って殴られてた。殴った方が早かったよね」

「すまん、忘れてくれ」


 さすがにボッコボコにされている場面は彼女に覚えてもらいたい場面ではない。


「カードが流行ってる理由は神様が『これ使って遊んで』ってくれたからじゃないの?」

「そういう面もあるかもしれないけど、それだけだったら外交にまで持ち出す意味分かんないだろ。……単純にカード対戦が効率的だったんだよ」


 僕はサーヴァントの特殊能力の数々、実力者たちが放つ威圧感を脳裏に浮かべた。


「え?」

「ノル箱世界で最上級の人たち同士が戦うと、おそらくは壮絶な神秘ミスティック合戦になる。僕みたいな初心者がテキトーに使っても、カードの神秘ってそれなりに強いんだぞ。達人が周囲の被害とか気にせず本物を使ったらとんでもないことになる。で、相手も達人だったらそこまでして決着付かないワケだ」

「あー、神秘攻撃は神秘防御で対処するって話だったもんね」


 神秘による攻撃で僕らが退場までさせられるのは、ひとえに防ぐ手段を持っていないからだ。


 極寒の地で全裸にマフラーだけ巻いてイキったところで震え上がって死を待つのみ。根本的な対処……防寒着を着るところから始めなければならない。


 そして完璧な防寒対策を施した相手に対しては、いくら神秘攻撃を仕掛けたとて疲労が溜まるのみ。


「達人と達人が戦うなら、物理的に殺したり下手に反則勝ちを狙うよりも、真っ当にカードで勝負した方が合理的なんだろう。達人とひよこが戦えば、ああもなるさ」

「だからって、わざわざ痛くしなくても」

「痛いのが嫌な人はプレイヤー同士でランクマしていればいい。ぶっちゃけ、これはエンドコンテンツなんだと思う。『めちゃくちゃ強くて、プレイヤーとは格が違って、死ぬほどの激痛を与えてくる敵もいるけど、挑戦したいならしてもいいよ』って運営が用意した、序盤から会える終盤のクソボスに近い」


 神秘攻撃による保護貫通の『痛み』は、基本的に格下にしか発動させられないってことだからな。

 同じレベルで神秘を扱えるなら普通にカード対戦した方が効率的なんだし。数をこなすための時短機能としてしか意味を成さない。やられる方はたまったもんじゃないが。


 逆に言えば、同じレベルまで神秘を習得できたのなら、ノル箱最高峰のプレイヤーとカードゲームができるということ。


「僕は神秘習得のルートに乗ってるし、このまま頑張ってエンドコンテンツにも挑戦するつもり。伊玖は……痛いのが嫌ならやらなくていいと思うけど、もしやる気があるなら僕の教わったやり方で教えてあげるよ」

「……ううん……、考えてみる……」


 悩みを抱えさせたところで、ちょうど始業の予鈴が鳴った。


 ……よし、責められていた件はうやむやになったな!

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