第126話 やっててよかったマッサージバトルRPG

 『ノルニルの箱庭』を起動して真っ先にやることは一つ。


「師匠、弟子のために準備して待ってたのになー」

「すいやせん……あっ、肩から背中にかけてすごい凝ってやす、念入りに揉みほぐしやすね、ヘヘ……」

「んっ、あー、そこそこ……」


 先日の約束をすっかりすっぽかしてしまった師匠のご機嫌伺いである。


 起きたら行く、なんて言っておきながら、丸一日以上も放置していたことに気付いたのだった。

 まあ、でも「起きたら行く」だなんて行かない時の常套句。アインエリアルもそのへんのニュアンスを受け取ってくれていれば。


 ……などと都合の良い方に思ったが、ホームに赴いた僕を待っていたのは頬を膨らませた妙齢の美女であった。


 なだめすかし、褒め称える言葉を投げかけ、ごろりと寝転がった師匠の全身マッサージを行い、なんとか機嫌を取り戻してきたところだ。あっ、お客さん、腰もガチガチですねー。


 ゲームを開始してから二時間をマッサージに費やし、ようやく折れた進行フラグが修復されたようだ。過去のマッサージ経験が生きた。生きるとは思わなかったぞ、ありがとう美少女ゲーム。

 肩などをゆっくり回して、アインエリアルが立ち上がる。僕は疲弊していて、腕が破裂しそうだ。しないのだけど。


「はー……、私との約束をすっぽかした件については後日付き合ってもらうとして」

「えっ」

「なに?」

「なんでもないッス」


 僕は首をブンブンと振って、なんでもないことを強調した。本当になんでもないです、こんなに腕を酷使したのにまだなんかやるのかなんて不満感じてないッス。


 アインエリアルは僕にじっとりとした視線を飛ばしつつ、


「あなたを次なる神秘の世界へと誘う……といきたいところだったけれど。また神秘の門が閉じてるわね……」

「神秘の門?」


 いきなり知らん言葉が飛んできた。いかにも少年の心をくすぐりそうなその門はなんなのか。くぐると神秘の世界に行けるのか?


神秘使いミスティックユーザーたる必要最低限の条件は、神秘を感じ取れること。それは以前にも話したと思うわ。神秘の存在を肌で感じられるかどうかで、世界の観え方が変わる……のはあなたも体感したわね?」

「あれが神秘の世界だと言うのならそうかも」

「覚者だったり、初心者だったり、所属する場所によって色々とあるけれど、最低限の条件を満たした人を私は『門を開けた』と表現しただけ。実際になにかの門があるわけではないけれど」


 ありがちなやつ。

 表向きは神秘の門とか言っといて、実は裏の意味で四門とか死門があったりするのだろうか。

 考察が捗る言葉ではある。今のところ、僕にはその片鱗すら感じ取れないが。


「おかしいわねー。こないだは確かに門を開けていたのだけど」

「僕が自力で開いたもんじゃないからかな?」

「それは知っているわ、変な神秘力が混じっていたもの。私はやる気にならない危険な手段で覚醒めたんでしょ?」

「やりたくてやったわけじゃない。シスコンが無駄に力を入れるから……」


 やっぱり危険な攻撃方法だったんだな。

 フラワリィが言うことをどこまで信じられるかとも思ったが、師匠すらそう言っているのであれば、神秘力をブチ込んで資質を覚醒めさせるのはかなり一般的ではない危険な手段と確定させていいだろう。

 ……その危険な手段でしかほとんど神秘を発していないのではなかろうか。


「一度だけならともかく、二度、三度って開いているのなら、自発的に感じ取れる程度にはなるはずだけれど」

「特にはなんにも」


 パスタリオンの攻撃を受けた直後から一変した、神秘的な世界は僕の瞳に映らない。


「外部からの衝撃で結果的に見えるようになったってだけだから、自分からってなるとどうすりゃいいのか分からない感じかなあ」


 僕が自発的に神秘を扱えた、というのは【暁の星アズールステラ】に指示を出した時だけ。

 あれにしたって、契約の印を呼び水にして、なんとかかんとか声に乗せられたに過ぎない。厳密には僕が扱えたことにはならないか?


「ふうむ。それなら予定は変更しようかしら。あのレベルに達したのなら、簡単な神秘ミスティックくらいは実践させてみてもいいかなって思ったんだけれど。残念だったわね」

「それはまあ、順当に順番を踏んでいってもらえればと」


 一段とばしで習得したいとか考えるものでもない。

 むしろ無茶をして変な後遺症を得る方が辛いから、ゆっくりしっかり学ぶ方が良かろう。ここ最近の神秘関係における関わりを経て、それは強く感じている。

 でも、さしあたっては防御用の神秘は先行して教えてもらえないだろうか。いつシスコンが玉狩りに来るか分かったもんじゃないからな。


「今日もまた瞑想からか?」

「瞑想は卒業。ああ、瞑想に終わりはないから、いくらでも自分でやってもらって構わないけれど、ここにいる間は別の修行を始めましょう。ここに座って」


 よかった。マッサージで疲れている今、瞑想なんか始めたらすぐさま眠りについてしまう自信がある。


 指定されたベッドの端に軽く腰掛ける。

 さっきまでアインエリアルが寝転がってマッサージを受けていたベッドゆえ、あまり中央には寄らないようにしておく。


 アインエリアルはそんな僕の気遣いを無視して、ベッドに上がると僕の背を引き倒した。


「あの」

「他者の神秘力を感じられて、あのアホ共の一撃を受けて問題ないのなら……私が少しずつゆっくりと流す神秘力も感じ取れるはず。私を感じ取って、それを呼び水に自発的な行動に結びつけていくのが次の修行よ」

「それは分かったが、この姿勢である必要は?」


 背後から抱きすくめられ、その上で引き倒されたのである。頭に、当たってはいけない危険な果実の存在を敏感に感じる。

 これは非常に青少年的によろしくない。


「彼女ができたから、可能な限り勘違いされそうな行為は減らしていきたいんだが」

「あら、そう。伴侶ができたのね、おめでとう」

「伴侶まではいかんけど。力を抜いてもらっていいか?」


 より力強くギュッと首を絞められて苦しくなってきた。

 脱出しようとほっそりとした腕に指をかけてもびくともしない。非力すぎる。


「エルス……これはね、修行の一貫だから。勘違いの起きることなんか一つもないわ。あなたは単に修行をしているだけだから」

「そうか?」


 僕はすでに現時点で相当怪しいと思っているが。

 ふくよかなお胸に後頭部をめり込ませているであろう、この場面を観られたら何の言い訳もできないのでは?


「医療や服飾でも職業上、顧客の肉体と接触することはあるでしょう。神秘の修行もそういうものだから」

「そうだろうか……」

「バカみたいに神秘力を放出するだけなら私も得意よ? その場合はあなた、骨も残らないけれどいいかしら」

「だからってこんなにくっついている必要はないんじゃないか?」

「接触点を増やすことで、私は調節がしやすくなるし、あなたにとっては効率的な修行になるの。師匠の言うことが信じられないのかしら」

「信じられないわけじゃないが」


 彼女を持つ者の倫理というか。三人も抱えておいて倫理をどうこう言うこと自体が変かもしれん。

 せめて許可を取ってから――


「始めるわよー」

「あっ……」


 なんだか頭から背中にかけて、急激にあったかくなってきた。

 思考能力がふわついてきて、瞬く間に抗えぬ眠気がやってくる。


 今日も……カードができなかった……。

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