第123話 中日の登校は色々キツい

 ――完全に忘れていたが、登校日である。母親に起こされて思い出した。

 課題を忘れずにやっておいた自分があまりにも偉い。


 朝から慌てて準備をして、慌てて家を飛び出してきた。遅刻寸前だ。


 中日にわずか一日だけ登校させるなんて……どうせなら全部代休にしてほしい。

 環境の変化があった直後、長期休みにすると来なくなってしまう生徒がいるのかもしれない。僕もノル箱やりたいし。


 予鈴のチャイムが鳴るギリギリに教室へと滑り込む。


「あっ、ロウくん! おはよ、遅いよー!」


 その瞬間、視界の外から現れた伊玖に腕を捕獲された。

 教室がザワッとザワつく。


 僕の頭にも昨日までの経緯が蘇る。走馬灯の如く。死ぬ前に見るやつだと思うが、近々で二回目を自覚しているのはヤバいのでは。


 朝の忙しなさにかまけてすっかり忘れていられたが、ここまで来てはいい加減のいい加減にいい加減……本当に真剣に覚悟を決めて、事実を確認しなければならないのだろう。


 硬直している全身に気を入れて、再始動。


「お……、おはよう。……あー、その……、昨日のことだけど……」

「うん」


 確認を取らなければという理性とそれを無難にこなそうと思う僕が適当な言葉を探していると、


「これからよろしくね? うれしい、余計なのもたくさんついてるけど」

「あっ……はい……」


 伊玖が耳元にこそばゆく裏付ける台詞を言った。


 どうやら……ここに至って認めざるを得ないが、夢ではなく、本当になった可能性が非常に高い。

 倫理観とか一般的常識からすると考えられないものだと思うのだが……。


 ダメだ、急展開すぎてまだ認めきれない。


 キンコンカンコンと予鈴が間を受け持ってくれたのはありがたかった。


「それじゃあ、後でね。一緒に行こ!」


 どこに?

 僕のクエスチョンは口にできず、伊玖はどことなくゴキゲンな様子で自分の席へ戻っていった。


 ぼうっと見送り、僕も自分の席に向かい、カバンを放った。

 そして今度は両肩にねっとりした手が置かれる。


「さてさて、苑田サンよぉ……」

「どういうコトか、教えてもらおうか……」


 嫉妬に歪んで粘ついた声がサラウンドで聞こえる。佐藤と鈴木である。

 もう五月病になりそうだ。まだゴールデンウィーク終わってないけど。






 ホームルームを含め、学校のあれこれは午前中に終わった。課題の提出と新たな課題プリントの配布、諸注意だけだったからな……別に登校する必要ないのでは。


 その後、数々の追求を躱し、僕は伊玖の先導でどこかへと向かっていた。

 というより伊玖に連れ出されたおかげで脱出できたので付いていくしかない。


「どこに向かってるんだ?」

「みっさんが生徒会室の隣の部屋に来て、って私たちのグループにチャットくれてたよ」


 申し訳ないが、一昨日から通知が爆増していてまともに確認できていなかった。現実を直視するのが怖かったのもある。

 ホロホを確認すると、いつの間にか新しいグループができていて、僕を含め四人がメンバーになっている。


「つーか、グループ名『LS's』って。もっと、なんかこう……」

「『LSと愉快な彼女たち』とかにする?」

「名前なんてなんでもいっか」


 変な方向に走り出す前にこの名前に決まって良かったなー。

 この話題を他の人に持ちかけるのはもう辞めておこう。


 前にしおりの制作で使った部屋に着くと、鍵は開いていたが呼び出した当人の満輝がいない。

 どうやら生徒会室の方で打ち合わせをしているみたいだった。


「入っていいのか?」

「中で待ってよ。お昼食べようよ」


 さっさと教室に入る伊玖に続くが、僕は家で昼を食べるつもりだったから何も持ってきていない。


「じゃあ購買に行ってくるから待っててくれ。パンでも買ってくる」

「その必要はないよ!」


 財布だけ持っていこうとする僕を呼び止める伊玖。

 怪訝な顔を返す僕に、彼女はカバンから巾着袋を魅せつけるように取り出した。


「お弁当を作ってきたの! ……私の手料理はイヤ?」

「とんでもない」


 そんなことを言われて頷く男がいるだろうか。今のところ伊玖の料理の腕を知らないので、そのように無礼な男などいないだろう。


 早速、机と椅子を並べて座る。

 ……めちゃくちゃ近いのは気のせいだろうか。机の区切りをまたいで、肩が触れ合うほど寄られている。


 巾着袋から出てきたのはパステルカラーのピンクとグリーン、二つのタッパーみたいな小さめのお弁当箱だ。割り箸かと思いきや、僕用のお箸におしぼりまで用意されている。至れり尽くせりというやつか。


「一般的に男の子が好きなものメインにして作ってみたけど、好きなおかずとかあったら教えてね」


 にこりと微笑みながら、伊玖がお弁当箱の蓋を開けた。


「えっ、これ手作り? すごくない?」


 量は少ないが、見るからに美味しそうな料理が並んでいる。パッと見、イメージ画像にしても遜色ない整い方をしていた。


 メインは唐揚げ。副菜にほうれん草の胡麻和えとミニトマトを添えて彩りも良い。切り干し大根がひっそり仕込まれているのは匠の技だ。女子高生が選択するおかずで合っているのか。


「簡単なものばっかりでごめんね」

「何が難しくて簡単なのかも分かんないけど、朝から揚げ物なんて大変なんじゃないの? ウチの親は片付け面倒だからって滅多にやらないよ」

「しっかり揚げるってなると後処理とか面倒だけど、揚げ焼きにすると油の量が少なくて済むから楽になるの」


 説明されてもどう大変で、どこが楽になるのかは分からないが、少なくとも料理の知見をお持ちであらせられることは理解した。


「じゃあ、いただきます」

「どうぞ、めしあがれ!」


 僕は好きなものを後に取っておくタイプだ。

 普段ならば唐揚げは後に取っておき、ほうれん草やらミニトマトで調整をかけていく。


 しかしながら、まだ好きなものに分類できる腕前か判断するには早い。

 見た目は合格圏だけれども肝心なのは味。せっかく作ってきてくれたのに失礼だが、厳しくいくぞ。


 唐揚げを箸でつまみ、半分かじった。


「……っ、こっ、これは……!? カレーの味がする……ッ?」

「あっ、分かった? お弁当だとどうしても水っぽくなりやすいから、衣の小麦粉にカレー粉を混ぜて、食べた時の風味を良くしてあるんだ。なるべく湿っぽくならないように気を付けてはいるけどね」


 サクサクとはしていないが、ぷりぷりとした鶏肉に纏う衣から深い味が広がり、渾然一体となってパンチを繰り出してくる。

 家でよく食べる中食惣菜の唐揚げと同じレベル……いや、


「店の唐揚げよりも美味い……だと……!?」

「やたっ! 気に入ってもらえて、よかった!」


 ほうれん草と切り干し大根にも箸を伸ばしてみる。

 水っぽさなど欠片もなく、しっかり味が乗っていて本当に美味い。特に切り干し大根は馥郁ふくいくとした旨味がすごい。何の味だこれ。


 思わず夢中になって食べ進めてしまう。


「ふふっ……。こんな風にお弁当作って、食べてもらえるなんて夢みたい!」

「お世辞じゃないが、びっくりするぐらい美味しい。高校生でここまで料理が巧い人ってそういないんじゃないか」

「ずっと練習してたから! 私がイメージする『カワイイ女の子』は料理もできるといいな、って。ロウくんはどう思う?」


 難しい問題だ。


 個人的には指先を絆創膏まみれにして頑張る女の子も捨てがたい。

 まあ、現実的に考えたら、そんなに怪我してまで作ってもらうのは忍びない気持ちが強い。


「どちらでも伊玖の可愛さは変わらんと思うが、食べられるなら美味しい料理の方が僕は嬉しいかな。このお弁当にはちょっと感動してるし」

「……えへ」


 実はこの状況『こんなんありえねーだろ』とか言って嘆いていたビジュアルアドベンチャー系ゲームとか日常系恋愛アニメそのものなのではないかと気付いてしまった。お約束の異常な料理は出てきていないし。

 指を咥えて「いいなあ」と願望混じりに見ていた光景を体験しているのは感動しかない。


 僕の分はあっという間に食べ終えてしまったが、物足りない気すらする。

 すると、顔の前に唐揚げが横入りしてきた。


 伊玖が自分の唐揚げを摘まんで、差し出してきたのだ。これの意味するところはつまり。


「……あーん」


 少しだけ頬を赤らめて、伊玖が言った。

 僕も釣られて口を開け――


「お待たせしたわね、二人とも!」


 スパァン! と教室の扉を開けて、入ってくる女性が一人。

 無地鳴満輝、生徒会長その人である。


 僕が口を閉じると、差し出されていた唐揚げが引っ込む。


「タイミングの悪い……」

「あら、タイミングはバッチリだったようよ?」


 伊玖と満輝は一瞬真顔で視線を交わし、それから同時に笑顔を作った。触れないようにした方が良い一瞬を察した。


 満輝は机の上を見て、状況を把握したらしい。

 椅子だけ僕の横に持ってきて、ぴったりとくっつきながら自分のカバンを探る。

 どうでもいいけど君も近くない? こんな距離感なの?


「私も手料理を持ってきたわ。一から勉強することになるから、今日は簡単なものだけど」


 そう言って満輝が取り出したのは――おにぎりだった。

 通常の五倍ぐらいある大きさの。


「え……っと、こんなにはもう……」

「愛をたくさん込めたらこんな大きくなっちゃったけど……食べてもらえるかしら」

「……ふう」


 満輝が満面の笑みで差し出したおにぎりに、僕は深呼吸をしてからかじりついた。

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