第217話 【ミラージュ・コロイド】

 背後からの襲撃に思わず目を閉じてしまったが、しばし。何の刺激も無いことに気が付き、僕は恐る恐る右目から目蓋を持ち上げる。


 すると寸前まで存在していた虹色の粘体はどこへやら、すっかり平和な戦場に戻っていた。あの気持ち悪い粘体は消え去っている。


「な、なんだったん……ッ!?」


 ぼやいた声の異変に、僕は右手で喉を押さえた。


「こっ、この声は……っ?」


 僕の喉から発生する声が、僕のものではなくなっていた。

 女性のように高く、澄んでいるような……。どこかで聞いたことのある声。


 いや、声だけではない。


 見下ろした身体が己の物ではないことも、一見して明らかだった。

 服装からして和装に変わっていたし、何よりも足元への視線を遮る障害物が胸元に出現していたからである。


「これが私の切り札」


 ハッとして顔を上げると、粘体から解放されていたフルナがカードを扇のように構えていた。それで口元を隠して言う。


伝説レジェンダリー神秘ミスティック鏡写しの拘束着ミラージュ・コロイド】」

「まさかの伝説レジェンダリーか……! どこで手に入れたんだ」

「強いて言うなら、これもイベントかしら。イベント報酬のプリズムカードパックで引き当てたものだから」


 さすがは大型アップデートの大目玉。

 ハイレアの所持率底上げを担うには十分な確率を持っている。


「【鏡写しの拘束着ミラージュ・コロイド】は消費する神秘力によって、継続するターン数が変動するわ。今回は神秘力500を消費して2ターン効果を得る!」


 カード名称的にも、今の状況的にも、大変困ったカードな気がしてならない。

 なぜ僕の姿、格好が変わっているのか。


「鏡写し……。つまり僕がフルナの姿になっているのは」

「そうよ。虹色粘体コロイドに拘束され、私と鏡写しの存在になったエルスは私の直前2手番と同じコマンドしか行使できない!」

「なんだって!? ま、まさか本当に……」


 僕はおそるおそる股の間に手を伸ばした。


「な、ない……っ!」

「それはやめて」

「はい」


 真顔で氷塊ボイスが飛んできたので僕はすみやかに従った。

 自分についてるかついてないかぐらい確認してもいいじゃないか。……胸の感覚なら少しくらいは……。


「セクハラで通報するわよ」

「ご無体なっ!? まだ何もしてないのに!」

「まだ?」

「………………」


 語るに落ちるとはこのことか。

 僕は冷や汗を流しながら、ヒューと空気の抜けたような口笛を吹いた。


 じっとりとした表情で見つめていたフルナだが、気を取り直してカードの説明に戻った。


「この虹色粘体コロイドは使用者の行動を遡って記憶するの。そして指定の対象に、規定ターン同じ行動を取らせることができる」

「……となると、今回の規定ターンは2。2ターン前からのフルナの行動をなぞるってことか……、……おい」


 僕はフルナの行動を思い返して、ゾッとする。


「そう、私は何もしていない」


 フルナの隠された口元が笑みの形に歪んでいると、はっきり分かった。


「直前2ターン、私は自分の手番において、何の権利も行使していない。ドローの義務を果たしただけ。――同様に、あなたは次からの2手番をドローすることしかできないのよ!」

「なんだそりゃ……!」

「確実にあなたを仕留めるためには3ターンの猶予が欲しかったけれど仕方ないわ。これ以上ドメスティックバイオレンスを受けていたら私が参っちゃうもの」

「人聞きの悪いことを言うな!」


 この重要な中盤で3手番をノーモーションでスルーさせられたら、そりゃもう取返しの付かないことになるだろう。

 フルナに突きつけられた致死の刃は、僕の心臓に届きかけている。


「……2手番でも過剰な時間すぎると思うから1手番に負からない?」

「とりあえず交渉することだけは忘れないその姿勢、私も見習いはするけれど、受け入れられはしないわね。いくらエルスの要望だからって、そんなものを聞いていたら私のプシュケーが何点あっても足りないでしょう?」


 言ってみるだけ言ってみたが、やはりダメか。


 いや、ヤバすぎるだろこのカードは。

 準備期間をノーガードで受けるリスクこそあるが、それを上回って余りあるリターンが戻ってくる。


 手札に攻め手があったから突っついてみるか、なんて軽い気持ちで刺したうさぎさんが間一髪で僕の余命を延長してくれた。うさぎしか勝たん。


 フルナは口元を整えて清廉な表情を作ると、カードの扇で僕を指した。


「エルス、あなたのフェイタルドローは止められない。でも、引いてきたカードを使わせないことはできる! これが私の答えよッ!」


 どれほど有用なカードを引いてきても、それを手札の中で遊ばせられるなら引いていないも同然。

 どれほどの運命力をも封じ込めることが可能なのは自明の理。


 相手の行動を全て封印する、なんて強力すぎる効果が存在するなど予想の一つもしていなかったが……それは甘い考えだったらしい。


「鳥の中に粘体だなんて、随分と意表をついてくるじゃないか」


 負け惜しみにも近い僕の言葉に、フルナは余裕を持ってさくりと返す。


「シリーズを揃えるのは優位性を得るためだと教えてもらったはず。鳥獣でなくとも、たったの一枚で優位を確立できるカードなのだから入れないはずがないわ」


 それはそう。僕でも入れる。

 この時点ではあまりにもパワーの強いカードだ。


 弱点はもちろん存在する。

 このカードを知った後ならば、フルナの行動を見て予期することは容易だろう。


 完全なる初見殺し。


 僕のプシュケーはまだまだ残っているというのに、強張った背筋に冷たい汗が流れるのを感じていた。

 そして同時に、一抹の懐かしさ。


「――そう。やはりまだあなたを仕留めきるには足りないということね」

「いやいやいや、過剰なくらいだとさっきも言ったじゃないか」

「でもエルス、あなた笑っているじゃない」

「えっ?」


 フルナの指摘に口端を触れると、確かに僕は笑っているようだった。

 思考と肉体が一致していない。


「感慨深いわ、私が『死神の微笑みデススマイル』を引き出せるようになるなんてね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。なんだそれ?」


 全く知らない単語が出てきて集中力が乱れる。どういうこと?


「エルスが追い詰められた時に浮かべる笑みのことよ。そこまで追い詰めたところで結局、あなたにやられているから某所では死刑執行の合図だなんて言われているみたいだけど」

「【フェイタルドロー】より恥ずかしいやつが出てきちゃったじゃないか……。なんだよそれ……」

「いいじゃない、今回で意味が変わるんだから」


 フルナが手札を揃えて、首を切る仕草で煽る。


「今日から、その微笑みは『フルナ・フルグライトに敗北したLSの笑み』って題名タイトルになるわ……!」

「それは……許容できないな」


 喉の奥が震えるのを感じる。

 胸の奥でも心がタップダンスを踊っている。


「認めようじゃないか――」


 待ち望んでいた、というのは語弊があるかもしれない。


 これまでの対戦でも十分に僕は楽しめていたし、未だ僕は挑戦者チャレンジャーの立ち位置が強かった。

 初見と初見の戦いであれば、僕のカードたちがパワープレイをすれば勝ってしまえることも多々あった。

 それでも格上のプレイヤーはたくさんいたし、『七つ星』を代表とする上位プレイヤーには物理的に手が届かない。


 つまり……僕は


 頭脳をぎゅるんぎゅるん回して、手管を巡らせるような、高度な戦いが不足していると今ここで気付いた。

 僕のためだけに組み上げられた策を打ち破る喜び。そこからしか得られない栄養素が不足しているのだと気付いてしまった。


「――君はもう僕の教え子じゃなくて、喉笛を喰いちぎりかねない猛禽の類だとね」


 僕を倒すために必勝の策を持ち込んできたフルナ・フルグライト。

 彼女は現時点で最大のライバルとなった。


「光栄ね。一点、間違いを指摘するとすれば……」


 和装の少女は血と鉄の臭いをくゆらせるようにして告げた。


「喰いちぎりかねない、じゃなくて、喰いちぎるのよ。ここから生かして返すつもりはないわ!」

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