第77話
「俺たちのあの時の苦労はなんだったんだ…」
ボス部屋の扉のギミックを破壊して無理やり突破した神木拓也に、玄武は呆然と呟いた。
自分達があの扉のギミックを突破するために費やしたお金や労力はいったいなんだったんだと馬鹿馬鹿しくなってくる。
『それじゃあ、中に入りますね……』
扉を破壊した神木拓也は、なんの躊躇もなくボス部屋の中へと足を踏み入れた。
ボス部屋は通常探索者を中に迎え入れると、扉が自動的に閉まり、ボスモンスターを倒すまでは開かない仕組みになっている。
だが神木拓也の場合、扉を破壊してしまったために、ボスを倒すまで閉じ込められるということもない。
ボス部屋の概念すら破壊してしまった神木拓也に、玄武はただただ開いた口が塞がらなかった。
『ボスってどんな感じなんですかね…?』
ボス部屋の中へ入った神木拓也は、そんなことを言いながらあたりをキョロキョロと見渡す。
今からこのダンジョン最強のボスモンスターと戦おうとしているというのに、その表情には恐怖のような感情は微塵も読み取れない。
フシャァアアアアアア…!!
不意に配信からそんな音が聞こえてきた。
『ん?なんかいる?人…?』
何かの気配を感じ取ったらしい神木拓也が、前方の暗闇を映す。
薄暗い暗闇の中で、何がかが動いているのがはっきりと画面に映っていた。
「ボスモンスターだ…!気をつけろ神木拓也!!!」
玄武は思わずそう叫んでいた。
ボス戦はすでに始まっている。
ボスモンスターは、かつて玄武の仲間の死因となった『あの技』に加えて、類稀なる敏捷も兼ね備えている。
油断をしていると神木拓也でもどうなるかわからない。
「ボスきたか…?」「ドラゴンより強いの…?」「ワクワクしてきた…!」「神木油断するなよ…!」
配信のコメント欄にも緊張が漂う。
フシャァアアアアアア!!!!!
威嚇するような鳴き声と共に、ボス部屋のど真ん中に突っ立っている神木拓也の元へ、人型のボスモンスターが近づいてきた。
『うわっ、なんだこいつ!?蛇女!?気持ちわる…!!!』
フシャァアアアアア!!!!
画面に一瞬映ったのは、髪の毛の代わりに頭から無数の蛇の頭が生えている女型のモンスターだった。
そのあまりにグロテスクな見た目に、神木が引き攣ったような声を漏らす。
「なんだこいつ!?」「きっも」「きっしょ」「うへぇ」「鳥肌たった」「うわぁ…」「今まででダントツで気持ち悪いな…」
コメント欄もボスモンスターのグロテスクな見た目に阿鼻叫喚となっている。
神木拓也は,現れたボスモンスターを画角に捉え続けながら、片手剣を構えている。
フシャァアアアアア!!!!!
現れた蛇女のボスモンスター……メデューサは神木に一定距離を置いたまま近づかず、ぐるぐるとその周りを回る。
それは初めて玄武たちがメデューサと対峙した時と全く同じ挙動だった。
おそらく自分の仲間を奪ったあの時と同じ方法で、神木拓也を絡め取り、仕留めるつもりなのだろう。
…ソロである神木拓也はきっと気付かぬうちの『罠』にはまりあっさりと絡め取られてしまうはずだ。
「気をつけろ、神木拓也…!そのモンスターの目には……メデューサの目には相手を石化させる能力があるんだ…!」
このダンジョンのボスモンスター、メデューサの力は石化の能力だ。
相手の目を一定時間見ることで、石化させ、身動きを封じることができる。
目が合った瞬間に石化するわけではないが、戦闘が始まり、メデューサの目を見続けることで少しずつ石化は始まっている。
そして長い間メデューサの目を見続けると、気づけば体の動きが鈍くなり、やがて石のように硬くなっていつの間にか動けなくなっており、近づいてくるメデューサになすすべなくやられてしまうのだ。
この力の初見での攻略はほぼ不可能である。
玄武たちだって、仲間一人の死を持って初めてこのメデューサの能力に気づくことができたのだ。
『きもいですけど……あんまり強そうには見えないですね…とりあえず攻撃してみます』
神木拓也は当然ながらメデューサの能力に気づいていない。
石化が始まってまだ間もないため、自分がすでにメデューサの術中に陥っていることに気づいていないのだろう。
だが5分もする頃には体の動きがだんだんと鈍くなり、いやでも気づくことになる。
そして最後には完全に両手足を石化の能力で固められ、なんの抵抗もできないまま、メデューサになぶり殺されることになるのだ。
「ふんっ、ふんっ」
神木拓也が腕を振って斬撃を飛ばす。
フシャァアアアアアア!!!!
メデューサは神木拓也を耐えず威嚇しながら、ずば抜けた敏捷で斬撃を回避する。
そして神木拓也を蛇の目で睨み、じわじわと石化の能力を強めていく。
『避けたってことは……霊体とかでもないのか…なんなんだ?』
神木拓也は呑気にメデューサの分析を続けている。
玄武はたまらなくなって神木拓也にメデューサの能力を教えるためのスパチャをする。
¥50,000
おい神木拓也!俺だ!鬼頭玄武だ!!
そのモンスターの名前はメデューサ。
このダンジョンのボスモンスターで、石化の能力を持っている!!!
そいつの目を見すぎるな…!
石化はすでに始まっているぞ!!!
俺はそいつにかつて仲間を一人、石にされ殺されている…!!
玄武はなんとしてでも神木拓也に気づいてもらうために、最高額のスパチャを投げた。
神木拓也はすぐにはスパチャに気が付かなかったが、幸いなことにコメント欄が玄武本人だと確定しているアカウントからのスパチャということで、コメント欄で騒いでくれた。
「おい、神木!鬼頭玄武がなんか言ってるぞ!」「石化の力!?こいつそんな能力持ってんの!?」「この鬼頭玄武のアカウント、本物なんだろ!?じゃ、この情報もガチじゃね!?」「おいやばいぞ神木!スパチャみろ!!!」「そいつの目を見続けるとやばいらしい」「大将スパチャ見てくれ!!」「神木スパチャみろ!!!」
視聴者たちがコメント欄で玄武のスパチャを見るように促す。
流石の神木も異変に気付いたと見えて、配信のコメント欄に目をうつす。
メデューサはこの間、少しずつ神木を石化しようとぐるぐる神木の周りを回っている。
『え、なんですか?石化の力……?本当に?』
「よしっ!」
神木拓也が玄武のスパチャに気がついた。
玄武がガッツポーズを取る。
メデューサの能力を神木にうまく伝えることがでいた。
あとは神木拓也の対応力に期待するしかない。
『本当なんですかこれ……確かにさっきから体がなんか重いというか硬いなって思ってたんですけど…』
「石化が少しずつ始まっているんだ…!これ以上目を見続けるとやばいぞ…!!!」
『なるほど……なんか全然攻撃してこないなって思ってたら、そんな力があったんですね……目を見続けるとやばいのか…』
神木拓也は自分の体が少しずつ重く、硬くなってきているという現状と玄武が提供した情報を照らし合わせて、メデューサの蛇の目の能力を信じたようだった。
フシャァアアアアアアア!!!!
メデューサは相変わらず神木と一定の距離を保ちながら、石化が完了するまで決して近づいてこようとしない。
『え、でも、それなら目閉じればいいだけじゃないの?』
メデューサの目の能力を理解した神木拓也が、あっけらかんとそういった。
まるで名案でも思いついたかのようにそんな馬鹿げたことを言って、メデューサの目の前で自分の目を閉じた。
「馬鹿!そんなことをしたら…!」
玄武は頭を抱える。
フシャァアアアアアア!!!!!
神木が目を閉じた瞬間、それを見たメデューサが一気に神木に距離を詰めてきた。
そりゃそうだ。
敵が自分の姿を目視でいないとわかっているなら、わざわざ距離をとっている意味もない。
メデューサとしてはただ接近戦に持ち込めばいいだけである。
そしてほぼ全てのモンスターの中で最強クラスの敏捷を持ち合わせるメデューサは接近戦にめっぽう強い。
フシャァアアアアアア!!!!
「目を開けろ神木拓也!殺されるぞ…!」
ギィン!!!
玄武が思わず画面に向かってそう怒鳴った直後、メデューサの硬い鱗に覆われた腕による攻撃が、甲高い衝突音と共に弾かれた。
フシィイイイイイイ!?!?
メデューサが驚愕の瞳を持って神木拓也を見ている。
『能力がわかればこっちのものですね。教えてくれた人本当にありがとうございます』
「あり得ない!!!」
玄武は思わず叫んでいた。
敏捷最強クラスのメデューサの攻撃を、目視もしていない状態で防ぐなど玄武の常識では考えられないことだった。
メデューサのような敏捷の高いモンスターの攻撃を防ぐには、どんな手練れの探索者であろうと必ず視覚情報が必要になるものなのである。
ギィン!!
ギギギイン!!!
メデューサは、目を閉じている神木に対して執拗に攻撃を繰り返すが、神木はそれらの攻撃をまるで見えているかのように防いでいた。
「すげぇ!?」「どうなってんの!?「やばすぎやろw」「フレームで捉えられないほどに速い攻撃を目閉じて防いでら^^」「石化の能力意味なくて草w」「神木拓也最強!神木拓也最強!神木拓也最強!」
目を閉じながら、メデューサの攻撃を難なく防いでいる神木拓也に沸き立つコメント欄。
「し、信じられない…」
玄武が愕然とする中、神木拓也は接近し、至近距離から信じられない速度で繰り出されるメデューサの攻撃を、全て目を閉じた状態で完璧に防ぎ切った。
フシィイイイイイイ!?!?
メデューサが、何かを恐れるような鳴き声と共に一旦神木拓也から距離を取る。
『お?何だか体が軽くなってきた…?』
メデューサが距離をとったところで、神木拓也が目を開けて腕をブンブンと振った。
どうやら長い時間目を瞑っていたために、石化の能力がだんだんと薄れて、元の動きを取り戻してきたらしい。
『ちゃんと時間経過で戻るのか…よかった』
安堵したようにそんなことを言った神木拓也は、次の瞬間、腕を立て続けに振ってメデューサへ再び斬撃攻撃を繰り出した。
フシャァアアアアアア!!!!
メデューサは神木拓也の斬撃を素早く動いて回避する。
「な、何をしているんだ…?」
妙なことに、神木拓也の斬撃は、メデューサの体を全く捉えていなかった。
外れている…というよりはわざと外しているような印象がある。
一体何をするつもりなのだろうか。
ぐずぐずするとまた徐々に体が石化していくはずだが…
玄武が心配そうに見守る中、ボス部屋の中を縦横無尽に逃げ回っていたメデューサの動きがだんだんと制約され始めた。
「斬撃で……退路を…?」
どうやら神木拓也が、斬撃によってメデューサの動きをコントロールしているようだった。
敏捷の高いメデューサを真正面から飛ばした斬撃で仕留めるのは不可能だ。
なので手数を使って、メデューサの周りや、回避先にあらかじめ斬撃を飛ばすことによってその動きを少しずつ制限していっているようだった。
フシャァアアアアア!!!!!
メデューサが、斬撃をなんとか回避しながら鬱陶しそうな鳴き声をあげる。
『見えた』
少しずつ斬撃でメデューサを追い詰めていった神木拓也が、不意にそう呟いた。
次の瞬間……
……ゥン
神木拓也の全身から爆発的な殺気が放たれたかと思うと、気づけば片手剣による無音の一閃が放たれていた。
音はなかった。
玄武は、退路のたたれたメデューサに対して、神木拓也があのドラゴン三匹を仕留めた無音の斬撃を使ったのだと理解した。
『………』
メデューサはぴたりと動きを止めたまま、無言だった。
だが、やがてその体が、縦に二つに分かれて地面にそれぞれ転がった。
『ふぅ』
縦一線に片手剣を振った神木拓也が、吐息と共に顔を上げる。
ボス部屋にしんとした静寂が広がった。
「お、終わり…?」
そんな言葉が玄武の口から漏れた。
自分達が、仲間の命を犠牲にしてなんとか倒し切ったボスモンスター、メデューサがあっさりと倒された事実がすぐには受け入れられなかった。
「うぉおおおおおおおお」「きたぁああああああああ」「どりゃぁあああああ」「すげぇえええええええ」「倒したぁあああああああ」
配信のコメント欄にはボスモンスター討伐を祝う視聴者の雄叫びのようなコメントが流れるとともに
「最初っからそれやれや」「それ出来るなら最初っからやれや」「目を閉じて戦うくだり、まるまるいらんかったやんけ」という最もなツッコミも目立っていた。
神木拓也が画面の前で頭をかきながら言った。
『いやー…なんかグロいだけであんまり強そうには見えなかったんで……すぐに終わらせちゃうとつまんないかなって……すみません。舐めプみたいな感じになっ
「…」
最後まで聞かずに、玄武は気付けば配信を閉じていた。
画面の暗くなったスマホを、ゆっくりとテーブルの上に置き、それから見慣れたリビングの天井を仰いでポツリと呟いた。
「上には上がいるんだな……」
玄武はなんだか覗いてはいけない世界を見てしまったかのような気分になった。
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