第176話
「なぁんだ。そうだったんだぁ…えへへ。私勘違いしちゃった」
「お、おう…?」
俺は西園寺の思わせぶりなセリフのせいで何やら俺と西園寺の関係を勘違いしているらしい桐谷の誤解を解いた。
具体的には今朝あったことを話し、俺と西園寺がほとんど初対面で名前も今先知ったことを包み隠さず話したのだ。
俺の話をふんふんと頷いて聞いていた桐谷は、祐介のように疑うこともせずに俺の話を信じてくれた。
そして今では、先ほどまでのどんよりとした表情がなんだったのかと言うぐらいの明るげな笑顔を見せている。
「じゃあ神木くんと西園寺さんは別に付き合ってないんだね?」
「ああ、そう言うことだ」
事情を理解してニコニコとしている桐谷を見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。
とりあえず桐谷みたいに影響力と発信力のある人物にこの事実を理解させることができたのは収穫だ。
人望があり、信頼されている桐谷が俺と西園寺が別に深い関係でもなんでもないことを友人にでも話してくれれば、それが事実として浸透するはずだ。
「理解してくれて嬉しいぞ」
俺は物分かりのいい桐谷にお礼を込めてそういった。
「ふぇ!?」
「…?」
するとなぜか桐谷がわずかに頬を赤らめてもじもじとしだす。
「どうかしたか…?」
「り、理解してくれて…嬉しいって…今…」
「お、おう…?言ったぞ?それがどうかしたのか…?」
「と、と言うことはつまり…神木くんは……その、自分と西園寺さんの関係を…勘違いされたくなかったってこと…?わ、私に…」
蚊の鳴くような声で桐谷がそんなことを言ってくる。
「お、おう…そうなるな」
なぜわざわざ言い直したのかはわからなかったが、別に桐谷の言ったことは一言一句その通りだったので俺は肯定する。
すると桐谷の表情がますます赤くなった。
「そ、それは…なんというかその…う、嬉しいかもです…はい…」
「…?」
嬉しい?
どう言うことだ?
俺が桐谷の不可解な態度に首を傾げていると、ちょうどそのタイミングで鐘が鳴り一限の授業が始まる時間になった。
「西園寺さんまたねー」
「また次の休み時間ねー」
「西園寺さんばいばーい」
「西園寺さんまた次の休み時間にねー」
西園寺に群がっていた女子たちも自分の席に戻っていく。
間も無く一限の科目の教師がやってきて授業が始まった。
皆が急いそとノートや教材を準備する中、俺はチラリと隣に視線を移した。
「…ふふ」
「…」
目があった西園寺・グレース・百合亜が俺を見て意味ありげな笑みを浮かべている。
本当に何を考えているのかわからないやつだ。
「えー、であるからしてー…」
その日の一限目は歴史の授業だった。
引退間近の老年の教師が、間延びした声で黒板に年表を書いて歴史の重要事件をエピソードを交えて解説している。
教室内は、先ほどの騒がしさが嘘のように静かで、黒板にチョークが当たる音と、生徒たちがノートにペンを走らせる音で満ちていた。
「先生!」
「んー?」
そんな中、ピシッと手をあげて教師の名前を呼ぶものがいた。
「伝えなければならないことがあるのですが!」
「おー?君は誰だ?」
俺の隣の席の西園寺・グレース・百合亜である。
西園寺の意気揚々とした声に、クラスメイトたちの視線が集まる。
老年の歴史教師は、メガネをクイッとあげて訝しげに西園寺を見た。
「君みたいな子…このクラスにいたっけな…」
「私は留学生です。アメリカから参りました。ティーチャー……じゃなくて先生」
「ああ……そういえばそんな話を聞いたな…ここの担任からよろしくと言われていたっけ…」
老年の歴史教師が禿げ上がった頭をポリポリと掻きながらそんなことを言った。
「それでー?どうかしたのかー?」
「先生!私、教科書を持っていません。留学生なので」
「ほうほう」
「というわけで、隣の人に見せてもらってもいいでしょうか?」
「もちろんだ。好きにしていいぞー」
歴史教師は好きにしろと言わんばかりに頷いた。
西園寺の顔が嬉しげに輝く。
「…っ!」
西園寺が机を移動させようと立ち上がる。
チラリと西園寺の向こうを確認すると、俺と逆方向の男子が鼻息を荒くして、期待するような目で西園寺を見ていた。
そして次の瞬間、西園寺が俺の方へ机を動かし出したのを見て、一気に地獄に叩き落とされたかのように落胆する。
「うふふ…ダンジョンサムラ……じゃなくて神木さん。教科書を見せてもらってもいいですか?」
「お、おう…」
断るわけにもいかず、俺は頷く。
西園寺がなぜか無性に嬉しげに、俺の方へ机を寄せてくる。
「こうするのが夢でした……また一つ、日本のアニメの憧れのシーンを再現できました」
「あ、アニメが好きなのか?」
「はい。私はいわゆるウィーブというやつです。日本の文化にとても興味がありますわ」
「うぃ、うぃー?」
「知らなくても結構ですわ。ネットスラングみたいなものです。とにかく、私は普段からアニメや漫画といった日本の文化をとても親しんでいるのです」
「なるほど…」
「この後もすでにアニメで勉強済みです……こうして男女が机をくっつけた場合……女子が男子に対してちょっかいをかけなければならないのですよね…?」
「…なんかお前、日本の文化の悪い部分を吸収してないかそれ」
「あれ…?違うのですか?てっきり様式美だとばかり…」
「いや、ちょっかいはかけないでくれ。普通に真面目に授業を受けてくれ」
「わ、わかりました…」
ちょっと戸惑ったような表情を見せる西園寺。
授業が再開しても、じーっと俺のことを見つめてくる。
「な、なんだよ…」
「もしかしてなんですけど……」
「ん?」
「ダンジョンサムラ……じゃなくて神木さんってかなり変わってますか…?」
「変わってる?俺が…?」
「一般的な日本男性とは少し違いますか?という意味ですわ」
「いや…別に俺は普通の日本の男子高校生だと思ってるぞ、自分では」
「そうなのですか……ふむ、すごく勉強になります…」
「お、おう…」
手帳を取り出してノートにサラサラと何か書き込んでいる西園寺。
びっしりと文字で埋め尽くされているその手帳をチラリと覗いたが、全部英語なので何が書かれているかはわからなかった。
「お前が普通の男子高校生であってたまるか。嘘教えるな」
「うるさい」
「痛っ!?」
前の席の祐介がボソリとそんなことを呟いてきたので、俺はぶすりと背中をペンの先で刺しておいた。
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