第136話


エリックが距離を詰めても、まだこの日本人は微動だに動こうとしなかった。


自分で宣言したように、本当にエリックに10秒という猶予を与えたらしかった。


エリックは普段はある程度弱者に対しては優しく振る舞うことを心がけているのだが、今回は無理な話だった。


この男は舐めている。


このエリックを。


北米五英傑に数えられる天才探索者を。


おそらく日本の視聴者に煽てられ持ち上げられて増長してしまったのだろう。


身の程を弁えさせる必要がある。


日本人の探索者がいくら背伸びをしたところで、我々には勝てないことを。


「死ね」


エリックは無造作に拳を振った。


ドス。


鈍い音がして拳は神木拓也の腹部に命中した。


顔にしなかったのはせめてもの慈悲だった。


エリックの拳が頭部に命中すれば、頭蓋骨は砕け、相手は死に至るだろう。


本当であれば殺してやりたいところだが、流石に命まで奪うと面倒なことになる。


ゆえにエリックは攻撃箇所として腹部を選んだ。


「ん…?」


「…」


吹っ飛ぶことを予想していたのだが、どうやらこのダンジョンサムライはなんとかその場に留まったようだ。


これにはエリックも少々驚いた。


自分の拳が命中した瞬間、その体は吹き飛んで背後の鉄の金網に激突すると思っていたのだが。


曲がりなりにも探索者ということか。


しかし、俺の拳が当たったのだ、相当なダメージだろうとエリックは考えていた。


おそらく肋骨にヒビが入った程度では済まないだろう。


骨を貫通し、ダメージは内臓にまで届いたはずだ。


痩せ我慢をして無表情で突っ立っている根性は認めるが、実際は内臓を揺さぶられた激痛に今にも叫び出したいほどだろう。


「おい、日本人。これで俺の力はわかっただろ?」


エリックは未だ痩せ我慢をしてその場に直立しているダンジョンサムライに言った。


「今謝れば勘弁してやる。ドゲザしろ。お前たちの国の、誠心誠意の謝罪を表すときの文化なのだろう。あれをやれ。俺の前に頭をたれろ。そうすれば勘弁してやろう」


「…」


「おい聞いているのか?」


「…」


ダンジョンサムライは無言だった。


無言でエリックを見上げている。


「まさかこいつ…たったまま気絶しているのか…?」


エリックはダンジョンサムライが自分のダメージに耐えきれず、悲鳴をあげることもなくたったまま気絶しているのだと思った。


自分を見ているダンジョンサムライの瞳の前で、手を振って確認してみる。


「あの、もう終わりですか?」


「うおっ!?」


エリックは思わずのけぞった。


ダンジョンサムライの口が突如開いて喋り出したからだ。


「あと2秒しか残ってないですけど…たった一発の攻撃でいいんですか」


「…!?」


気絶したわけではなかったのだ。


エリックは衝撃を受けた。


立っている。


この男は、自分の拳を受けてなお平然と立っている。


深層モンスターさえ、一撃で粉砕できるほどの自分の拳を食らっても、まだ戦闘不能にはなっていない。


「……ッ!!!」


ぞくりとエリックの背中を悪寒が撫でた。


あり得ない。


自分の拳が効かなかったなんて。


きっと演技に決まっている。


観衆の前で醜態を晒したくないから、必死にダメージを隠しているの決まっている。


実際はこの男はもういっぱいいっぱいのはずなのだ。


あと一撃で倒れるはずなのだ。


「うぉおおおおおおおおお!!」


エリックは吠えた。


生まれてこの方感じたこともないような不気味な恐怖に駆り立てられて、目の前のダンジョンサムライに連打を見舞う。


もはや相手の生死など気にしている状況じゃなかった。


うちなる恐怖を払拭したい。


いち早くこの男を倒し、自分の方がより優れていることを証明したい。


そんな感情に駆り立てられ、エリックはダンジョン探索においても滅多に出さない本気を出した。


ドガガガガガガガガガ!!!!


正真正銘、本気の拳をダンジョンサムライ相手に見舞う。


轟音と共に衝撃波が発生し、ダンジョンサムライの背後の金網がひしゃげる。


「「「きゃぁあああああああ!?!?」」」


「「「うぉおおおおおお!?!?」」」」


「な、なんというラッシュだァアアアアアあああああああ!?!?まるで嵐が吹き荒れるような攻撃ぃいいいいい!?!?ひぃいいいいいいいいいい!?!?」


エリックの攻撃の威力に観客たちが悲鳴をあげ、実況の興奮は最高潮に達する。


なんだこの感触は。


拳を連打しながら、エリックは奇妙な違和感を感じていた。


硬い。


硬すぎる。


まるで金属を殴っているかのように硬い。


本当に効いているのか俺の拳は。


いや、効いていないはずはない。


俺は最強なんだ。


選ばれた人間だ。


今までどんな人間も、モンスタ=も、俺の拳を受けてダメージがなかった奴なんていなかった。


あの最強の深層モンスター、キョンシーにだって俺は正面から撃ち合いを挑んで、ギリギリで勝利したんだ。


勝てる。


勝てないはずがない!!!


「うぉおおおおおおおおおおお」


必死に自分にそう言い聞かせながら、エリックは拳を次々に繰り出す。


だが、背後の金網が完全に形を変えてへし曲

がってしまうほどに時間が経っても、ダンジョンサムライが倒れることはなかった。


「はぁ、はぁ、はぁ…」


やがてエリックは体力が尽きて、攻撃を中断した。


本気を出したのはいつぶりだろう。


「はぁ…はぁ…はぁ…」


肩で息をしながら、顔を上げて目のお前を仰ぐ。


自分の本気の拳のラッシュの結果を、確認しようと試みる。


「なっ!?!?!?」


エリックは思わず大きく目を見開いた。


ダンジョンサムライは依然としてそこに立っていた。


自分のラッシュが始まる前と後でその表情は全く変わらない。


何事もなかったかのように直立し、エリックを見据えている。


「「「うおおおおおおおおお!!!!」」」


「「「すげええええええええ!!!」」」


「「「耐えたぞ!!!あのラッシュ

を!!!」」」


エリックの攻撃を耐え切ったダンジョンサムライに、観客たちが歓声を上げる。


エリックは、今度は得体に知れないものに対する恐怖の混じった視線でダンジョンサムライを見た。


「な、なんなんだお前は…!!!」


「ん?神木拓也ですけど」


「違うっ!!そうじゃないっ!!お前は何者なんだ!!!」


「何者って言われても……高校生ダンジョン探索者ですとしか」


「あり得ないっ…人間じゃないっ…!!」


「え、それもしかして差別ですか?今流行り

の?」


「違うっ!?俺を揶揄っているのか!!!」


エリックは地面を蹴った。


なけなしの体力を絞り、右の拳で神木拓也に最後の一発を繰り出す。


パシッ!!!


乾いた音が鳴った。


拳は命中しなかった。


「ぁ…」


エリックの拳は神木拓也の手によってあっさりとキャッチされていた。


見えなかった。


気づけば拳を止められていた。


自分の動体視力を持ってしても、捉えることすら叶わなかった。


「とっくに10秒は経ちました」


ダンジョンサムライが自分を見下ろしながらそう言ってきた。


「そろそろ俺のターンってことでいいですか?」


「ぇ…」


エリックにもう攻撃を避けるような体力は残っていなかった。


先ほどのラッシュでほとんどの体力を使い果たしてしまった。


エリックは今完全に理解した。


目の前の怪物が自分より強いことを。


自分など、この男の前では、赤子のようなものなのだと。


逆立ちしようが、どんな手を尽くそうが、埋まりようのない差が二人の間にあることを。


「す、ストッ」


エリックは試合を止めようと思った。


降参し、試合を終了してこの男の攻撃を止めなければと思った。


だが、今まで築き上げてきたプライドが彼に試合を止めることを許さなかった。


エリックはかろうじて、顔の前でガードを作った。


2本の太い腕によるガードだ。


せめて頭部を守って死ぬことは避けようと思ったのだ。


ヒュッ


「ごっ!?」


乾いた音が鳴った。


彼のガードは簡単に貫通した。


軽く放ったように見えた神木拓也の拳は、簡単にエリックのガードを破り、ダメージは顎という急所へと到達した。


「ぉおおっ……」


衝撃が全身を貫いた。


目の前が真っ白になり、たっていられなくなったエリックは痙攣し、仰向けにどさっと倒れる。


受け身を取ることすら出来なかった。


側から見て、それは完璧なノックアウトだった。


「「「うおおおおおおおおおおおおお」」」


「「「きゃああああああああああ」」」


「終了!終了です!!!勝者は!!!神木拓也ぁああああああああ!!!」


歓声が上がるとともに、試合終了のアナウンスが流れる。


エリックは白目を剥き、未だびくびくと体を痙攣させながら、観客の神木拓也を呼ぶコールをどこか遠くに効いていた。


奇しくも彼のやられ方は、彼が初戦で対戦した「俺は武器を持った十人の探索者を素手で倒したことがある!」などと豪語していた男と酷似していた。

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