第76話


「冗談だろ…?」


神木拓也が深層第三層にて遭遇した三匹のドラゴンを一刀の元に切り伏せたのを見て、鬼頭玄武はあいた口が塞がらなかった。


神木拓也の斬撃は最初、ドラゴンに通用していなかった。


ドラゴンの硬い鱗が、神木拓也の斬撃を弾いたのだ。


玄武は流石の神木拓也も斬撃が通用しないドラゴン相手に撤退せざるを得ないだろうと思ったが、神木拓也は逃げなかった。


どうやら神木拓也は斬撃の強さを調節できるようなのだ。


最初にドラゴンに弾かれた斬撃は、神木拓也の中では軽く腕を振って出せる程度の弱い斬撃だったらしく、その後徐々に斬撃の威力を上げ出した。


そして最後には、たった一撃の元にドラゴン

三匹を切り伏せた。


その斬撃に音はなく、玄武は一瞬、神木拓也が振った片手剣の軌道に沿って世界が上下に分かれたように錯覚した。


「せ、世界を斬った…?」


震える声でそう呟き、慌てて配信を少し前に戻す。


自分の目が、おかしくなったのだろうか。


何度繰り返し再生してみても、空間が、世界が上と下の二つに分かれたようにしか見えなかった。


コメント欄でも同様に感じた視聴者が多いらしく「時空を斬った」「空間を斬った」などと言われている。


「は、はは…ははは…」


この男は同じ人間なのだろうか。


玄武は気付けば乾いた笑いを漏らしていた。


「変なお父さんでちゅねー」


「あうー!」


再び起きてしまった赤ん坊をあやす妻が、そんな玄武を見て呆れている。


だが玄武はすっかり神木拓也という男の常識はずれの強さに打ちのめされて、しばらく立ち直れそうになかった。


ドラゴン三匹を倒した神木拓也は、意気揚々とその先に進む。


配信の同時接続は120万人以上に達し、ちょっとした都市の人口レベルの視聴者数に到達していたのだが、玄武はその数字が過大評価などとは決して思わなかった。


むしろこんなレベルの高い探索の様子を無料で流しているのはこの男ぐらいだろうとそんなことを思った。


金を取ろうと思えば、それこそ数千万、数億単位で売るような情報を、神木拓也は無料で当然の如くインターネットに流している。


そしておそらく本人は、そんなことどうでもいいと思っているのだろう。


「選ばれしもの、か…」


玄武はポツリと呟いた。


深層探索者になれる時点で全ての探索者の中の上位1%にも満たない上澄みなのだが、世の中には、その深層探索者の中でも特に異彩を放つような『選ばれた者』たちが存在する。


たとえ天地がひっくり返ったとしてもこいつには勝てないな。


そう思わせられるような本物の天才たちに玄武は今まで幾度か出会ったことがある。


この神木拓也という男もその一人だ。


いや、この男に関してはその『選ばれた者』の中でもさらに実力が頭ひとつ抜けているような気がする。


自分だけでなく、そもそも今後、この男を超えるような探索者が日本に、いや、世界に出てくるのかどうかすら疑問である。


しかも恐ろしいのは神木拓也がまだ高校生にしてこの強さを手に入れているという点である。


この怪物が大人になり、探索において時間の制約から解放された時、一体どのような強さを手にするのだろうか。


考えるだけでも玄武は末恐ろしくなってきた。


ドラゴンを倒した神木拓也は、第三層を攻略すべく、どんどん奥へと踏み入っていく。


だがなかなかその後にモンスターとの遭遇はなかった。


どうやら先ほどの神木拓也の無音の斬撃が、ドラゴンのみならず、その奥にいたモンスターたちすら切り伏せてしまったらしい。


『すみません…なんか配信映えしなくて…』


無惨にも真っ二つになり、ダンジョンの地面に回収されつつある深層のモンスターの死体を確認するだけの配信になりつつあることを、神木拓也は視聴者の前で詫びていた。


この男には、深層にソロで潜り、その上で配信のことにまで気を配るほどの余裕があるのだ。


先ほどの無音の斬撃も、もしかしたら決して本気なのではなく、まだまだこの男は、本当の実力を隠しているのかもしれない。


玄武はそんなことを思った。


結局神木拓也がその後に第三層でドラゴン以外のモンスターに出会うことはなかった。


神木拓也の無音の斬撃は、深層第三層そのものを斬っており、全てのモンスターが神木の一撃によって死滅してしまったのだ。


神木拓也はこれからはおいそれとこの技を使えないというようなことを言ってから、あっさりと深層第三層をクリアして、第四層へと

進んでいく。


「ははは…俺たちが死に物狂いで突破した階層を…」


玄武がずっと昔に白銀の騎士団の初期メンバーたちと共にこのダンジョンを攻略したときは、ドラゴンは一匹しか出てこなかった。


それだというのに玄武たちは何度も死にそうになりながら五人がかりでやっとのことでそのドラゴンを倒したのだ。


それをこの神木拓也という高校生は、たった一人で、一撃の元に倒してしまった。


「これはもしかすると…」


今の神木拓也がモンスターに負けるビジョンが全く見えない。


玄武はもしかすると本当に、神木拓也は一人でボスまでも倒してしまうんじゃないかと思った。


「だが……あのボスは一筋縄じゃないかないぞ…ただ強いだけじゃダメなんだ……仲間との協力が必要だ……やはり一人では…」


しかしただ強いだけでクリアできるほどダンジョンというのは甘くないのである。


ダンジョンボスは得てして様々な搦手や不意打ちを使ってくるものだ。


どんな強者でも、完全に嵌められてしまえば負けるということがありうる。


「そもそも……神木拓也はあのギミックを解けるだろうか」


しかもダンジョンのボス部屋の前には、ほとんどの場合、解けなければ中にすら入れないパズルのようなギミックというものが存在する。


ギミックは一朝一夕で解くことができないほどに難しく、たった一人で挑んだとしてもよほど頭が良くない限りは解くことは出来ないだろう。


玄武たちだって、このダンジョンのボス部屋の前のギミックを解くことができたのは、他の深層クランから他のダンジョンのボス部屋の前のギミックの情報を高額で買取って、それを参考にしたおかげだった。


おそらくなんの下調べもしていないであろう神木拓也がギミックを解くのは不可能だと玄武は思った。


そしてその予想違わず、神木拓也はボス部屋の前のギミックに足を止め、首を傾げていた。


『しっかし、この謎のギミック……どうするんですかね…?』


「ふふふ…仕方ない、神木拓也。特別に俺が教えてやろう」


玄武はなんだが嬉しくなってきた。


本当なら数千万円は取るほどの有料級の情報なのだが、ここは一つ先駆者である自分が、将来有望な神木拓也にただでギミックの解き方を教えてやるとするか。


そう思い、玄武は初めて、自分のコメントをお金と共に強調表示できる『スパチャ』と呼ばれている機能を使うことにした。



¥30,000

神木拓也へ。

突然ですまない。

俺は鬼頭玄武と言って元深層クラン『白銀の騎士団』のリーダーだった男だ。

白銀の騎士団のクラン名は聞いたことがあるだろうか。

実は俺の率いる白銀の騎士団こそが、今お前の潜っているダンジョンを最初に攻略したクランなんだ。

当然、そのギミックの解き方も知っている。

今から教えようと思う。

しかし本当に驚かされたぞ。

仲間に教えてもらい、お前が第二層に潜った時ぐらいから配信を見ているのだが、正直言って衝撃の連



「くそっ、文字数制限が…!」


自分の身分を明かした上でギミックの解き方を書こうとしたのだが、玄武は文字数制限に引っかかってしまう。


泣く泣く一度スパチャを投げて、ギミックについては次のスパチャで解説しようと試みる。


『ん?なんだこのスパチャ』


3万円も投げた甲斐があって、神木拓也はすぐにスパチャに気づいた。


『えーっと、3万円スーパーチャットありがとうございます……これ、どうしたら…』


だがその反応は玄武の予想したものとはかなり異なっていた。


てっきり感謝され、ありがたがられることを予想していた玄武は、神木拓也に困惑され、戸惑ってしまう。


「ま、まさか俺の存在を知らない…?」


自惚れるわけではないが、自分は白銀の騎士団創設者として、それなりに探索者界隈の成長に寄与してきたはずだ。


神木拓也も配信者の前に探索者。


流石に鬼頭玄武の名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。


そう思っていたのだが…


『え、この人有名人なんですか?』


「ごふっ」


神木拓也のそんな反応に、玄武は打ちのめされる。


どうやら神木拓也は鬼頭玄武のことなど全く知らないようだった。


「そっか……最近の若い子は俺のこと知らないんだね…」


しゅんとなる玄武。


玄武さん、鬼頭さんともてはやされていた探索者が時代がとても遠くに感じられた。


「ん…?お…?」


落ち込んだ玄武の自尊心をかろうじて繋ぎ止めてくれたのは、玄武の存在に気づいたコメント欄だった。


「鬼頭玄武本物?」「本物だったらすごい」「鬼頭玄武はこのダンジョンを最初にクリアしたパーティーの一人」と自分のことを知っているらしい視聴者のコメントがコメント欄に流れる。


「ふ、ふふ!そうだ!!お、俺は有名人なのだ…!」


なんとか自信を取り戻し、鬼頭玄武は胸を張る。


だが神木拓也はどうやらまだ玄武のスパチャが本物だとは信じられずに、訝しむような顔をしている。


『いや…本名をユーザーネームにするかな…?』


「俺だ神木拓也!!鬼頭玄武だ!信じてくれ!!!」


思わずそう叫んでいた。


「あなた…本当に今日は様子がおかしいですよ…?気がへんになったんですか?」


「放っておいてくれっ!」


本気で心配する妻にそう言って、玄武は画面の向こうの神木拓也に向かって必死に訴えかける。


だが当然声が届くはずもなく、結局鬼頭玄武だという証明は出来ずじまいだった。


コメント欄でも徐々にやっぱり偽物なんじゃないかという雰囲気が醸成されていく。


「な、何か手立てはないものか…」


なぜかはわからないが、無性に自分が鬼頭玄武であることを神木拓也にわかってほしい。


そしてギミックの解き方を教えて、役に立ちたい。


そう思った玄武は、必死に知恵を絞り、とある方法を思いつく。


「そ、そうだ…!短い動画を公開すれば…」


たった今自分の顔を写した動画をネット上にこのアカウントで公開すればいい。


そうすれば、自分が本物であると神木拓也も理解してくれるだろう。


「ううんううん…えー、は、初めまして……俺の名前は鬼頭玄武だ……以前は白銀の騎士団のクランリーダーをしていた……この動画は、このアカウントが他ならぬ鬼頭玄武本人のものであることを証明するために撮っている…」


玄武は若干の恥ずかしさを感じながらも、そんな動画を撮影し、すぐに自分のアカウントでアップした。


「お父さんおかしくなっちゃったねー」


「あうー」


「どうしましょうねー?」


「あうー?」


妻がついに何やら狂人を見るような目で自分のことを見始めたのだが、もう今はそんなことどうでもいい。


玄武は今現在の自分の動画……確実に本人以外に取れないような動画を自分のアカウントで公開した。


すると反応は思いの外すぐにあった。


「すげぇ、鬼頭玄武だ」「これ本物じゃ

ね?」


「ディープフェイク?」「いや、フェイクじゃないだろこれ本物だ」「え、マジで鬼頭玄武のアカウント…?」


動画にそんなコメントがつくと同時に、神木拓也のコメント欄でも一気に先ほどのアカウントが鬼頭玄武本人のものであると騒がれ始める。


“おい神木。さっきのアカウント鬼頭玄武本人のものっぽいぞ”

“神木。さっきのスパチャ、マジで鬼頭玄武本人体”

“鬼頭玄武はこのダンジョンを最初にクリアしたクランのリーダーだから、マジでギミックの解き方知ってるかもだぞ”



「ふふん…そうだぞ、神木拓也。俺が鬼頭玄武だ。そのダンジョンは最初に俺がクリアしたんだ」


視聴者たちが次々に神木拓也に先ほどのスパチャが鬼頭玄武によるものだというコメントを打つ。


鬼頭玄武はなんだか得意な気分になってきた。


さあ、神木拓也。


俺に教えをこうがいい。


そうすればそのギミックの解き方を特別に無料で教えてやるぞ。


そんなことを考え、鼻を高くしていた玄武だったが。


『うーん…このギミックって必ず解かないといけないんですかね…?なんか面倒くさいのでもうちょっと壊せるかどうか試して見ていいですか?』


「えっ」


『……ふんっ!!!!!!』


ドゴォオオオオオオオン!!!!


「あ…」


『なんだ。普通にいけるじゃん』


「………」


鬼頭玄武はなんだか無性に泣きたくなってきた。

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