第72話


かミキサー・改なるめちゃくちゃな技で深層のモンスターの群れを殲滅してみせた神木拓也は、その後あっさりと深層第二階層を突破した。


「すごい」「また日本記録更新」「やばすぎ」とコメント欄には彼を称賛する反応が溢れている。


日本記録という言葉がたびたび出てきたので玄武が調べてみたところ、どうやら日本において高校生のみのパーティーもしくはソロの探索者が深層を一階層でも踏破したことは今までにないことらしい。


まぁ、そりゃそうだろうなと玄武は思った。


一部の選ばれた才能ある深層探索者が、パーティーを組み、事前に情報を集め、何百何千万という大金を武器に費やし、陣形を確認しあい、何ヶ月も準備して挑んだとしても、死人が出る可能性が大いにある。


それほど危険なのが魔境と呼ばれるダンジョン深層領域なのだ。


そう簡単に高校生如きに踏破されてはたまったものではない。


目の前の、この神木拓也という男が埒外なだけだ。


『おー、同接85万人ありがとうございます…なんか実感湧かないな…』


今現在、日本記録を更新し続けている本人はというと、記録のことよりも自分の配信の同接の方が関心事のようだった。


配信者にとってそこまで同接というのは大事なのだろうか。


というか先ほどから配信に投げられているお金の量がとんでもない。


調べると『投げ銭』や『スパチャ』と呼ばれているものらしい。


お金を使うことで自分のコメントを強調表示して、配信者を応援できるシステムとのことだ。


五万円、三万円、一万円といった大金がポンポン飛んでいる。


きっちりと確認したわけではないので正確な金額はわからないが、今日だけで一千万円近くは稼いでいるのではないだろうか。


「はは…最近の若者はすごいな…」


玄武は遠い目をしてつぶやいた。


こんだけお金を稼いでいれば、深層に潜るための一級品の装備とかにも困らないだろうに、頼りない片手剣一本で攻略に挑んでいるのは、おそらく配信を盛り上げるためとかそういう理由なのだろう。


このいかれた男なら十分にあり得る。


『たくさんの方に視聴してもらって本当にありがとうございます…チャンネル登録お願いします』


「あ…チャンネル登録…しておくか…」


普通の生活のためになるべく探索者に関わらないようにしていた玄武だったが、神木にそう言われ気付けばチャンネル登録を押していた。


きっと自分はおそらく今後もこのチャンネルを覗きに来ることになるだろう。


あんなものを見せられた後で、もう二度と配信を見ないという方が無理がある。


悔しいが、玄武はこの短い時間の間に神木拓也という配信者に魅了されてしまった自分を認めざるを得なかった。


この高校生が一体どこまで行き、どんなことをしでかしてくれるのか、この目で見てみたくなったのだ。


『タダで見ているだけでは申し訳ないか……このスパチャというものをしてみるか…』


こんなすごい配信をただてみていることになんだが罪悪感を覚えた玄武は、このスパチャと呼ばれているらしい投げ銭機能を試してみることにした。


「おい、ちょっとお金が必要なんだ。カードを持ってきてくれ」


お金を管理している妻に玄武はそんなことを

言った。


赤ん坊を抱いた妻が訝しむような目を向けてくる。


「何をするためのお金なんですか?」


「いやちょっと……スパチャ、なるものをしようと思ってな」


「スパチャ?なんですかそれ」


「配信者を応援するためにネットでお金を送金するんだ」


「……なんですか。若くて好みの女の人に貢ぐんですか?」


「ち、違う!!!男だ!!男に貢ぐんだ!!」


「え…あなた、もしかしてそっちの気が…」


「そういうことではない!!」


妻とそんな言い争いをしている間に、どうやら神木拓也が深層第三層に潜るようだった。


「と、とにかくカードを持ってきてくれ。ほんの数万円分を使うだけなんだ!」


「本当でしょうね?何百万円も使い込んだらダメですよ?この子の学費とか、将来のこととかあるんですから」


「わかっている」


「はぁ…全く」


ため息を吐いてカードを取りに行った妻を確認してから、玄武は神木の配信に目を戻す。


ちなみに玄武がその後、すっかり神木の配信に毎日訪れる常連の視聴者となり、配信のたびに数万円スパチャを行って、月末に支払額が百万円を超え、妻から詰められることになったのはまた別の話である。


「神木拓也…お前は一体どれほど強いん

だ…」


もはや神木拓也に対する心配は少しもなかった。


みたこともないような化け物のようなこの若き探索者が、一体どこまで強いのか、玄武はその目で確かめたくなったのだ。


『それじゃあ、深層第三層に潜りますねー……ちなみにこのダンジョンの深層、何階層まであるんですかね?流石に十階層とかだと今日中に踏破はきつそうだなぁ…うーん』


「安心しろ。四階層だ」


玄武は配信上の神木の問いに対して聞こえもしないのにそう答えた。


自分たちの目で確認したのだから忘れるはずもない。


ダンジョン深層は、それまでの上層や中層、下層と言った領域に比べて、階層自体は少ない傾向にある。


このダンジョンの深層の最果ては四階層だ。


今から神木拓也が挑もうとしている三階層を抜ければ、四階層はまるまるボス部屋となっている。


「果たして神木拓也はボスに勝てるのか…」


思わず玄武はブルリと身震いしてしまった。


深層のあるダンジョンに必ず存在するボス部屋。


そこには玄武たち五人の仲間のうちの一人の命を奪った『あいつ』が待ち構えている。


「初見であれに勝つのは厳しいと思うのだが…」


他のソロ探索者ならまず無理だろう。


だが、この神木拓也ならやってくれるのではないかという期待もある。


いや、その前にまず一から三層の中で最も最難関である第三層を抜けられるかが問題なのだが。


『まぁ時間の許す限り攻略は続けたいと思います…それじゃあ、深層第三層に潜っていきたいと思います』


そんな宣言と共に神木は、なんの躊躇いもなく深層第三層へと足を踏み入れていった。


『グルァア…?』

『グガァア…?』

『グォオオ…?』


『えっ?』


三つの低い唸り声が、頭上から聞こえてきたのは神木拓也が第三層に足を踏み入れてからすぐのことだった。


「え…?」


思わず実際に上を向いてしまう玄武。


すぐに配信上の音であることに気づき、慌てて配信に目を戻す。


最近のイヤホンというものはすごい、音が聞こえてきた方向までわかるようになっているのか……などと考えている場合ではない。


「この鳴き声は…」


配信から響いてきた鳴き声に玄武は聞き覚えがあった。


「…っ」


ごくりと唾を飲む。


第三層は竜種の階層。


おそらくこの鳴き声は…


『うわっ!?ドラゴン出てきた!?』


神木拓也が自分の頭上を映した瞬間、ゆらゆらと暗闇の中で三つの何かが動いた。


『グギャァアアアアア!!!』

『グォオオオオオオオ!!!』

『グガァアアアアアア!!!』


ビリビリと空気を震わせる咆哮と共に姿を現したのは、3匹のドラゴン。


リトルドラゴンなどという劣等種などではない、正真正銘の竜たちである。


「うっ…」


音割れした音声に、玄武は顔を顰め、音声を下げる。


『前あったやつよりもでかい!?しかも3匹もいる!!』


これには流石の神木拓也も驚きだったようだ。


画面の震えで動揺が伝わってくる。


『ちょちょちょ、聞いてないって…!』


ズドンズドンと爆弾を落としたような足音が響く。


ドラゴンたちが、ダンジョンの通路を、先を争うようにして神木拓也の方へと向かっていっているのだ。


『やっべ!?』


顔を青ざめさせた神木拓也が、背を向けて逃げ出した。


玄武は、この男にも人間らしいところがあるのだとそれをみて妙な安心感を覚えてしまった。


『こ、ここまでは、追ってこないのか…はー、びっくりしたー』


一度二層まで引き返してきた神木は、ほっと胸を撫で下ろす。


コメント欄は『流石にやばい』『あれをソロでは無理』『引き換えそう』と言ったコメン

トで溢れている。


「まぁ、ここらが限界か…」


玄武もそう思った。


むしろ高校生がソロ一人でよくもここまできたと褒めるべきだろう。


そこらの深層探索者なら、軽く十回は死んでいるような窮地を潜り抜け、第二層をも突破して見せたのだ。


おそらく今後十年は塗り替えられることのないほどの記録も作ったし、収穫としては上出来なのではないだろうか。


「はい、あなた」


「おう、助かるぞ」


玄武は、労いの投げ銭でもしてやろうかと妻が持ってきたカードをスマホに登録し始めた。


『いや、なんで逃げるみたいな雰囲気になってるんですか?』


「ん?」


パスワードを打ち込む手が止まった。


玄武は恐る恐る配信画面に目をうつす。


『もちろん戦いますよ?流石にここまできてこんな大人数の前で、逃げませんって。やだなぁ』


「…」


そこには爽やかに笑う一人の狂人がいた。


『ちょっといきなりだからびっくりして逃げてきちゃったけど……まぁ、戦いますよ。前戦ったドラゴンよりも一回り大きくて強そうで、しかも3匹いるけど……ここで逃げたら配信者じゃないでしょ』


「いや、配信者の前にお前は探索者だろう!?」


玄武は思わずそう突っ込んでいた。


進んで命の危険を犯す探索者などこの世に存在しない。


誰しもがじぶんの命は可愛いものだ。


一流の探索者は、常に期待値と危険度を天秤にかけ、出来るだけ安全マージンを確保しながら立ち回るものだ。


それができない奴から死んでいく。


もう今の神木拓也は、今日の探索で十分すぎるぐらいの成果は得ているはずだ。


これ以上危険を冒してまで先に進む必要などどこにもない。


『見せてやりますよ、100万人の前で。伝説ってやつを…!』


ニヤリと笑う神木拓也。


気付けば同接は100万人を突破していた。


怒涛の勢いで流れるコメント欄には『神木拓也最強!』の文字が溢れていた。


『それじゃあ行きますよ!皆さんが俺という伝説の生き証人です』


そんなことを言いながら、嬉々として再び三層に突っ込んでく神木拓也。


視聴者たちは、そんな神木拓也を『神木拓也最強!』の文字で鼓舞し、後押しする。


中には神木拓也に心酔し、その行動を全肯定する視聴者や、おそらく女性視聴者のものと思われる、神木と性行為を望む旨の卑猥なコメントも見つけられた。


誰一人として、神木拓也の無謀な行動を止めようとするものはいなかった。


「さ、最近の若者怖ぁ…」


玄武は自分とは全く違う価値観で動いているコミュニティを目の当たりにしてドン引きしてしまうのだった。

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