第70話


鬼頭玄武はかつて深層を主戦場としていた一線級の探索者だった。


クランの名前は『白銀の騎士団』。


鬼頭玄武は今では有名クランの一つに数えられる『白銀の騎士団』の五人の創設メンバーの一人であり、長年リーダーとしてクランを率いた功労者だった。


現在は探索者を引退し、妻子と共に平和な暮らしを送っている。


とある休日、彼がリビングでくつろいでいると、『白銀の騎士団』の創設メンバーの一人から連絡があった。


“おい玄武。つーべ見てみろ。大変なことになっているぞ”


「…?」


つーべとは今日本で一番人気のあるインターネット上の動画投稿兼配信サイトであることは玄武も知っていた。


玄武もよく、まったりとした釣り動画や可愛らしいペットの動画を見るときなどに利用している。


そのつーべが、一体どうしたと言うのだろうか。


玄武は首を傾げ、いったい何事かと返信をする。


“どうした?”


“俺たちのダンジョンを攻略しようとしてるやつがいる。ソロでだ”


「俺たちの…ダンジョン…」


『俺たちのダンジョン』とは『白銀の騎士団』創設メンバーの五人が初めてクリアしたあの深層ダンジョンを意味する。


当時勢いに乗っていた玄武を含む『白銀の騎士団』五人のメンバーは、東京のとある深層ダンジョンへと挑んだ。


そしてなんとかその深層の最奥まで辿り着き、そのダンジョンをクリアした最初の探索者クランとなったのだった。


……五人のメンバーのうちの一人を失うという犠牲を払って。


「…ああくそ。思い出したくなかった…」


これからずっと引退まで共に探索者を続けて行くと思っていた仲間の死は今でも玄武の胸に傷として深く刻まれている。


悲嘆に暮れ、探索者を止めることまで考えた過去を思い出し、玄武は苦々しい表情を浮かべた。


“あのダンジョンが…一体どうしたんだ?”


玄武はわざわざ嫌なことを思い出させてくれたかつての仲間に、少し苛立ちながらメッセージを送った。


“聞いて驚け。俺たちのダンジョンをソロで攻略しようとしているやつがいる”


“それがどうした”


“ソロで、だぞ?”


“無謀だとは思うが……そう言うバカも出てくるだろ”


“ただのソロじゃない。そいつは高校生だ。現役のな”


“…なんだと?”


玄武は眉を顰めた。


自分達がかつて仲間の犠牲を出しながら命からがらクリアしたあの深層ダンジョンに、高校生が一人で挑んでいる?


それはあまりに無謀というものだ。


現代では深層ダンジョンも攻略済みが多くなり、情報も出回るようになった。


しかしいくら事前情報に基づいて準備し、挑むことができるといっても、深層は深層。


高校生後ときに…それもソロで踏破できるような場所ではないのだ。


“本当だぜ。信じられないだろ?”


”そいつはバカなのか?本当なら今すぐに辞めさせた方がいい。死ぬぞ“


”それがなぁ…死ぬとか死なねぇとかそれどころの話じゃないんだ。お前、神木拓也って知ってるか?“


”神木拓也とは……あの、神木拓也か?“


”ああ、そうだ。最近噂のあいつだよ“


神木拓也の名前は玄武の耳にも届いていた。


最強の高校生探索者。


曰く、高校生でありながらたった一人でダンジョン下層のモンスターをばったばったとなぎ倒す前代未聞の探索者がいるらしい。


その高校生は、ネット上で配信もしているらしく、多くの視聴者やフォロワーがいると聞き及んでいる。


玄武は、探索者を引退して『白銀の騎士団』のクランリーダーを他人に引き継ぎ、身をひいてからは、探索者業界との関わりをなるべく絶っていた。


これからは元有名クランのリーダーとしてではなく、一般人として静かな生活を送りたかったからだ。


当然、クランリーダーだった頃に比べて、業界の情報にも疎くなる。


だが、そんな玄武の耳にも神木拓也の名前は届いていた。


玄武は一度仲間に勧められて神木拓也の探索をしている様子を映像で見せてもらったことがあるのだが、確かに神木拓也という高校生は、玄武の目から見てもべらぼうに強かった。


今すぐにどこかの深層クランのメンバーになったとしても、足を引っ張ることはないだろう。


それほどのポテンシャルを神木拓也という高校生から感じたのだ。


将来は間違いなく日本の探索者界隈を引っ張っていく一線級の探索者になるだろう。


もしかしたら『白銀の騎士団』にはいるなん

てこともあるかもしれない。


そんなことを考えたのを覚えている。


“もしかして俺たちのダンジョンに神木拓也が潜ってるのか?”


“その通りだ。まぁ、見てみろ。自分の目で確認した方が早い”


どうやら神木拓也は、玄武たちがクリアした深層ダンジョンを攻略する様子を今現在つーべで配信しているらしい。


玄武は仲間が送ってきたリンクを踏んで、配信へと飛んだ。


「なんだこれは…」


果たして、神木拓也の配信を初めて見た玄武は戸惑った。


画面の上半分には、頼りない片手剣を持ってダンジョンを進んでいく神木拓也の映像が流れており、下半分には、怒涛のように文字が流れているコメント欄が表示されている。


今現在この配信を見ているリアルタイム視聴者の数……俗に同接数は50万人をゆうに超えていた。


普段配信を見る習慣のない玄武にも、この50万人という数字が異常であることは十分に理

解できた。


「たった一人の高校生がダンジョンを攻略する様子を50万人の人間が見ているのか……これは確かにすごいな…」


なるべく探索者関連の情報をシャットアウトしている自分の耳にも神木拓也の存在が聞こえてくるわけだ、と玄武は密かに感心した。


「それで、今はどの辺を攻略しているんだ?」


玄武は流れている映像を注意深く観察し、神木拓也が玄武たちのダンジョンのどこを攻略しているのかを到底しようとした。


上層だろうか、中層だろうか、それともすでに下層にたどり着いてしまったのか。


まだ生きているということはおそらく深層には入っていないのだろう。


いくら強くとも深層にソロで潜るのはあまりに無謀だ。


自殺に等しい行為と言えるだろう。


まだ神木拓也が生きている今のうちに止めた方が賢明だ。


将来有望な才能が、こんなところで失われていいはずがない。


「コメントをすればいいのか…?しかし、この量ではすぐに流れてしまうな…」


配信のタイトルは、深層ソロ攻略となっているので、やはり仲間が言っていた通り神木拓也は深層にソロで挑む無謀をするつもりなのだ。


そんなことになる前になんとかして止めなければ。


玄武は、未来ある若い才覚を死なせないためにどうにか出来ないものかと思案する。


「は…?」


そして、次の瞬間画面に通された光景に絶句した。


『ん?なんだこれ?でっかい虫…?あんまり強そうには見えないけど…』


「ダンジョンインセクトだと!?」


玄武は思わず大声を上げていた。


ベランダで洗濯物を干していた妻が訝しむような視線をこちらに向けてきたが、今はそんなことに構っていられない。


「あり得ない…!なぜだ…!?何が起きている!?」


画面の中で神木拓也の目の前に立ち塞がる昆虫型のモンスターを目にした玄武は、あり得ないというように首を振った。


それは本来、そのダンジョンの深層第二階層から初めて出現するはずのモンスターだったからだ。


「そんなバカな…」


ダンジョンインセクトが出現しているということは、神木拓也が現在いる階層は少なくとも深層第二層以降ということになる。


つまり,それが意味するところとは、神木拓也はすでに深層第一層を攻略済みであるという事実に他ならない。


「…っ」


玄武は思わず絶句してしまった。


高校生が、ソロで、深層を一階層攻略しきった。


その信じられない事実を、すぐには受け入れることができなかった。


「第一層にはレイスがいる…キングスライムも…リザードマンだって手強い敵だ…それら全てを……倒したというのか?」


自分達が初めて攻略しきったダンジョンなのだから、どの階層にどのような種類のモンスターが出現するのかは熟知している。


このダンジョンの深層第一層は決して攻略するのは簡単ではなく、レイスやキングスライムなどといった、攻略方法を知っていなければ倒すのが困難なモンスターがたくさん出現する。


それら全てを、高校生が、たとえ事前情報があったとしてもソロで倒し切れるとはとても思えない。


「な、何が起きているんだ…」


唖然として口を開きながらも、玄武は配信を見守った。


『弱そうに見えますけど…とりあえず攻撃し

てみますね…』


ダンジョンインセクトを前にした神木拓也が、そういうとともにダンジョンインセクトに攻撃を加えた。


斬ッ!!


鋭い切断音が聞こえてくるとともに、ダンジョンインセクトが真っ二つになった。


『弱っ』


神木拓也が拍子抜けしたようにそんな感想を漏らした。


「違う…ダンジョンインセクトは…」


我に帰った玄武は首を振った。


ダンジョンインセクトを倒したこと自体は驚きではない。


事実、ダンジョンインセクトはそこまで強くない。


下層を攻略できる程度の探索者になら簡単に倒せる。


だがダンジョンインセクトの厄介なところは、死んだ後、ある特殊なフェロモンを周囲に発散するところにある。


『うわ、臭っ!?何これ!?』


誰しもが思わず顔を顰めるようなそのとてつもなく臭いフェロモンは、ダンジョンインセクトが死ぬと瞬く間に周囲に拡散されていき、深層のモンスターたちを呼び寄せるのだ。


「逃げろ、神帰拓也…すぐにモンスターがくるぞ…!」


思わず玄武は神木拓也に逃げるよう促すコメントを打っていた。


だが残念ながらコメント欄の流れがあまりにも早すぎて、自分のうったコメントはすぐに流れていってしまった。


『え、この虫、倒すと不味かったんですか?』


どうにかしてモンスターを集結させる効果のあるフェロモンのことを警告しなければと玄武は焦るが、その必要はなかった。


どうやら視聴者の中に、ダンジョンの深層について情報を持っているものがいたらしく、神木拓也にお金と共に投げられる強調されたコメントで、ダンジョンインセクトのフェロモンのことについて警告していた。


『モンスターが集まってくるの?この臭い匂

いに?』


「そうだ神木拓也。今すぐに逃げるんだ」


どうやら神木拓也は、親切な視聴者のおかげで、ダンジョンインセクトのフェロモンの危険性に気付いたようだった。


これで神木拓也は今すぐダンジョンインセクトの死体から離れることだろう。


ひとまず安心だと玄武が胸を撫で下ろした直後、画面の中の神木拓也があり得ない行動に出た。


「は…?」


思わずそんな声が出た。


『うぇええ…くっさぁ…』


何を思ったのか神木拓也は、ダンジョンインセクトの死体に近づき、フェロモンを放出している体液を自分の体に塗り付け始めた。


「アホなのか…?こいつは…?」


たった今視聴者に警告されたばかりだというのに、あろうことか、モンスターを刺激し、集結させる効果のあるフェロモンを自分の体に塗りつけるという信じられない愚行を犯した神木拓也に、玄武は絶句する。


そんなことをしたら、深層のモンスターたちがフェロモンの付着した神木拓也に集まり、どこまでも追ってくるのは、どんなバカにでもわかる自明の理だった。


コメント欄も「は?」「何してんの?」と言った困惑する視聴者のコメントで埋め尽くされる。


『ふぅ…』


体にすっかりダンジョンインセクトの体液を塗りたくり、何やらやり切った表情の神木拓也がカメラの前でにっと笑った。


『こっちの方が配信が盛り上がるかなって』


「…」


イカれてる。


玄武はそう思った。


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