第71話
この神木拓也という男は一体何を考えているのだろう。
自暴自棄にでもなっているのか。
画面に映っている神木拓也はいたって平常に見える。
どうやら錯乱したわけではないらしい。
だが行動そのものは狂人のそれだった。
モンスターを集結させるダンジョンインセクトのフェオモンを自ら体に付着させるなど正気の沙汰ではない。
ここは上層でも中層でも下層でもなく、深層なのだ。
魔境と呼ばれることもある深層の強力なモンスターたちがたった一人の探索者に集結すれば、その結果は火を見るより明らかだ。
十中八九、神木拓也は死ぬだろう。
「何を考えているんだお前は!?」
思わず玄武はそう怒鳴っていた。
玄武の怒鳴り声に驚いた揺籠の赤ん坊が起きて泣き出してしまい、妻に思いっきり睨まれるが、しかし玄武はそれどころではなかった。
目の前で探索者が……今一番勢いのある若手の才覚が無謀な行動によって死のうとしてい
るのだ。
なんとか今からでも神木拓也を助ける方法はないものかと思考を巡らせるが、しかし画面の向こうの神木拓也を救う方法は玄武には思いつかなかった。
「すぐに集まってくるぞ…モンスターが…さっさと離れるんだ神木拓也!!」
玄武は画面に向かってそう怒鳴るが、しかし神木拓也はあろうことか、フェロモンを体に付着させた状態でさらにダンジョンの奥へと進もうとしていた。
コメント欄では「終わった」「流石にやばい」「死んだだろ」「神木拓也、死亡」などといった現状を絶望視するコメントが目立つ。
たった一人、神木拓也だけが何が面白いのかニヤニヤ笑いながらダンジョンを進んでいく。
『へへ…これで視聴者増えるかなぁ?みなさん、チャンネル登録も忘れないでくださいね?』
「…」
この男は危ない薬物でもやっているのだろうか。
玄武はそんなことを疑いたくなってきた。
やがて…
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…
『ん…?』
地鳴りのような音が配信から流れ始めた。
神木拓也が首を傾げて前方を見る。
「言わんこっちゃない!!」
玄武は頭を抱える。
おそらくこの軍隊が更新するような低い音は、無数のモンスターの足音だ。
1匹1匹が馬鹿みたいに強い深層のモンスターが、ダンジョンインセクトのフェロモンの付着した神木拓也目指して、怒涛の如く進撃しているのだ。
「逃げろ!」「早く逃げろ!」「逃げてくれ大将!」と、コメント欄にはそんなコメントが溢れる。
「逃げるんだ神木拓也!!!」
「あなたさっきからどうしたというんですか!?うるさいですよ!?赤ん坊が泣いているじゃないですか!!」
「す、すまんっ…だが今それどころではないんだ!!!」
とうとう痺れを切らした妻が玄武を咎めるが、しかし玄武はそれどころではない。
なんとかして神木拓也に「逃げろ」と伝えたくて、コメントを打ちまくるが、しかしコメントの量が多すぎてすぐに流れていってしまう。
「そ、そうだ…!この強調されるコメントで…!」
玄武は神木拓也に逃亡を促すために、ちょくちょく流れているお金と共に強調コメントを打てるシステムを利用しようとしたのだが、初めてのことなのでどうしたらいいのかわからない。
あたふたと戸惑っているうちに、もう深層のモンスターの群れが目の前まで近づいてきてしまっていた。
「あああ、どうしたら…っ」
玄武はまるで自分のことのように真っ青になる。
画面には、怒り狂ったようにこちらに押し寄せてくる深層のモンスターたちが映されていた。
ダンジョンの通路を埋め尽くすように、束になって迫ってくるそのモンスターの1匹1匹が、今の玄武が一対一で挑んでも勝てるかどうかわからない強力なモンスターばかりなのだ。
…そんな化け物たちの群れにたった一人の神木拓也が勝てる道理などない。
『おー、すげー。本当にたくさんきた』
コメント欄には、すでに神木拓也の死を覚悟するコメントや、早く逃げてくれと悲鳴を上げるようなコメントが溢れる中、当の本人だけがまるで他人事のように近づきつつある深層のモンスターの群れを見ていた。
もうだめだ。
この馬鹿は救いようがない。
玄武はガックリと肩を落とした。
せっかく日本に生まれ落ちてくれた探索者の逸材が、こんなくだらないことで命を落とすことになってしまった。
玄武は何かやりきれない無力感のようなものを覚えながら、せめて最後を見届けようと配信画面に目を落とした。
『一応深層のモンスターですし……キングスライムみたいな溶かす系のやつがいないとも限らないんで……最初っから出し惜しみなしで行きますよ』
半ば諦めた心持ちで玄武が配信画面をぼんやりと眺める中、神木拓也は片手剣を持って自ら深層の群れへと突っ込んでいった。
そして次の瞬間…
『それではご覧ください……今日二度目の…………かミキサー・改!!!』
「は…?」
画面の中で神木拓也が腕を振った。
斬ッ!!
鋭い切断音と共に斬撃が発生し、最も近づきつつあったモンスターを1匹切り裂いた。
それ自体は別段驚きではなかった。
いや、全く驚かなかったかというと嘘になるが、しかし、深層探索者の本当に限られた猛者たちには今の神木拓也のように剣を振るだけで斬撃を生み出せるような化け物たちが確かに存在する。
玄武自身は無理だったが、今神木拓也がやってみせたような芸当を再現できる深層探索者の名前を、玄武は何名か知っていた。
だから、神木拓也が斬撃を出したこと自体は驚きこそすれ,あり得ないことではなかった。
問題は……神木拓也が最も簡単に連続して斬撃による攻撃を行ったことだ。
ザザザザ斬ッ!!!
幾重にも発生した斬撃が深層のモンスターを切り裂いていく。
「そんな馬鹿な…」
玄武はそう呟いて頭を抱えた。
確かに斬撃を出せること自体はさしたる驚きではない。
だが、斬撃を連続で出せる探索者を見たのは、玄武も初めてだった。
今まで見てきた深層探索者の中でも最上位の、化け物のような猛者たちですら、斬撃を出すにはそれなりの溜めが必要だった。
こんなにも簡単に、腕を軽く振ったような動作だけで斬撃を出せる探索者など玄武は今までに見たことも聞いたこともなかった。
「何が起きているんだ…?」
玄武には画面の中の映像が、本当に実際にものなのか疑わしくなってきた。
何かよくできたCG映像でも流しているのではないかと、思わずそんなことを真剣に疑ってしまう。
『ぉおおおおおおおおおお!!!!』
配信から神木拓也の気迫の声が聞こえてくる。
斬撃を連続で繰り出す神木拓也は、次第にその速度を増していき、画面が揺れ出した。
斬撃はますます密度を上げて放たれていき、神木に近づきつつある深層のモンスターを容赦なく切り裂いていく。
シュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュルシュル……
『ぉおおおおおおおおおおお!!!』
シシシシシシシシシシシシシ………
配信から聞こえてくるのは、いつしか鋭い切断音ではなく、それらが何十にも重なって織り成す風で木の葉が擦り合わされるような音になってきた。
やがて音はさらに細かくなり、揺れすぎた画面がもう何を映しているのかも判別つかなくなることには、配信から聞こえてくるのはまるでミキサーで何かをミックスしているような音と、神木拓也の気迫の声のみになった。
「なんだこれ…なんなんだよこれ…」
一体見えない画面の向こう側で何が起こっているのか、玄武は考えたくもなかった。
だが、おそらくはこういうことだろう。
神木拓也が、目のも止まらぬ速さで動き、無数の斬撃を前方に向かって繰り出し、まるで果物をミキサーでミックスするかのように深層のモンスターたちを切り刻んでいるのだ。
画面に時々映る鮮血の赤が、玄武の想像が正しいことを肯定しているかのようだった。
「この男は本当に人間なのか…」
玄武はなんだか恐ろしくなってきて、コメント欄に目を移した。
コメント欄には何やら「かミキサー」という単語が頻繁に登場していた。
「か、かミキサーってなんだ…?」
困惑した玄武は急いでブラウザを開き、検索窓にカミキサーの文字を打ち込む。
そうしてヒットした検索結果によれば、かミキサーとは、神木拓也が編み出したモンスターの群れを殲滅するための攻撃方法で、曰く、群れの中のどのモンスターよりも素早く動き、全方位に向かって攻撃をしながら群の中を少しずつ進んでいくというものらしい。
こちらの攻撃が、どのモンスターの攻撃速度をも上回っていれば、攻撃を喰らう前に倒すことができる。
そんな無茶苦茶な理論のもとに編み出された攻撃手段らしいのだ。
なんだかモンスターの群れに対する新たに生み出された画期的な必勝法法のようにして書かれてあったのだが、こんなの神木拓也以外に真似できまい。
また数十分前に編集された新たな記事によれば、かミキサーを応用したかミキサー・改という技も存在しており、その技というのが、かミキサーの攻撃をそのまま斬撃に置き換えたものらしいのだ。
武器を溶かすキングスライムなどに対して有効だとのことだった。
どうやら今神木拓也が深層のモンスターの群れに対して行っているのはこの「かミキサー・改」という技らしい。
「無茶苦茶だ…」
この男にだけ、何かこの世の常識というものが適応されていない。
玄武はそんな感想を抱いた。
シシシシシシシシシシ……
『ォオオオオオオオオオオオ!!!』
配信からはひたすら神木拓也の気迫の声と、ミキサーのような音が聞こえてくるばかり。
かミキサーの文字が踊るコメント欄は大いに盛り上がり、同接も60万、70万、80万と鰻登りに増えていく中、玄武は固唾を飲んで、
時々赤く染ったりしている画面が再び見えるようになるのを待った。
やがて、画面が段々と周囲の映像を捉え出した。
神木拓也の速度が、段々と落ちてきたのだ。
『ふぅ……疲れた…』
やがてぐるぐると回転したり、反転したりしていた画面がようやく止まり、神木拓也が一汗かいたと言わんばかりに額の汗を拭った。
『お、いい感じじゃない?殲滅できてる?』
そして、カメラが内カメから外カメになり、
神木拓也の通ってきた背後の通路が映し出された。
『ぁ…!!』
玄武の口から小さな声が漏れた。
そこには、切り刻まれ、原型を留めていない深層のモンスターだったものが、壁にこびりついたり、天井からたら下がったりしている状態で存在していた。
無数の斬撃によりダンジョンの壁や地面、天井が大きく削れ、通路が2倍にも3倍にも広がったように錯覚する。
生きているモンスターは1匹たりとていなかっ
た。
あれだけいた深層のモンスター全てが、神木拓也の無数の斬撃攻撃によって、動かぬ肉塊に成り果てていた。
『そん…な…』
殲滅された。
深層のモンスターの群れが。
高校生の。
ソロの探索者に。
そんな事実が、玄武の脳を埋め尽くし、今までの常識を瓦解させていく。
『使えますね、かミキサー・改。今日思いついたばっかりだけど……深層のモンスターに対して通用するってことは、大抵のモンスターに通用する実用的な技ってことですよね?よかったらみなさんも真似してみてください』
「…」
真似できるわけないだろ。
そんな冷静なツッコミを口にする余裕すら、玄武にはなかった。
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