第130話


「し、失礼しまーす…」


俺は挨拶をしながら職員室の中へと入った。


一瞬職員室の先生方が俺の方をチラリと見る。


俺はごくりと唾を飲み、職員室全体を見回した。


「こっちこっち」


そんな小声が聞こえた。


奥の方に座った恵美ちゃんが、俺に向かって手招きをしている。


俺はそっちの方へ向かって歩いた。


「あの…なんですか?俺何かしましたっけ…」


恵美ちゃんの机にたどり着いた俺は、そう尋

ねる。


「ついてきて」


恵美ちゃんは俺のそんな質問を無視して、何やら切羽詰まった表情で立ち上がり、歩き出した。


俺は首を傾げつつも、とりあえず恵美ちゃんについて歩く。


職員室を出た恵美ちゃんは、ツカツカと廊下を歩いた。


そして人気のない場所までやってくると、いきなり振り返って俺の肩をガシッと掴んだ。


「お願いっ…なんでもするから、秘密にして…!!」


「はい…?」


いきなりそんなことを言われて、俺は戸惑ってしまう。


恵美ちゃんは、今にも額を地面に擦り付けそうな勢いで頭を下げてくる。


「副業でダンジョン配信なんてやってるってバレたら私クビになっちゃう…お願いっ…絶対に誰にも言わないで…」


「副業…?ダンジョン配信?」


いきなりのことで全く意味がわからない。


説教で呼び出されたのではないのか。


なぜ俺は今、学年で人気の美人英語教師に頭を下げられているのだろうか。


「あの…意味がわからないんですけど……どうしたんですか、恵美先生。副業でダンジョン配信って……もしかして先生ダンジョン配信やってるんですか?」


「惚けなくていいから。気づいてるんでしょ…?この間のこと…」


「この間…?」


「え、本当に気づいていない…?」


恵美ちゃんがしまった、みたいな表情になる。


一方で、俺の頭の中では、どこかで感じた違和感というか既視感みたいなものが、段々と形になり始めていた。


「あれ、ちょっと待てよ…先生の声をどこかで聞いたような…」


「う…」


恵美ちゃんの表情が「やっぱりだめだ…」みたいな感じになる。


その反応を見て、俺は確信する。


「あ…も、もしかして……先生があの俺が助けた仮面の探索者……」


「はぁ……その反応を見るに、本当に今の今まで気づいていなかったみたいね…」


恵美ちゃんがガックリと肩を落とした。


俺は思わず目の前の恵美ちゃんのことをまじまじと見つめてしまう。


「え…ガチですか……先生があの時の…」


「はい…そうです。私が仮面の剣姫です。あなたに助けてもらった……」


恵美ちゃんが絶望したような表情になる。


俺は驚きで開いた口が塞がらなかった。


「全然気づかなかった……そうか。あの時声に聞き覚えがあると思ったけど……今考えたら完全に恵美先生でした……なんで俺気づかなかったんだ…」


あの時に感じた違和感が、完全に解消された。


そうだ。


あの時助けた仮面の女性の探索者。


あれは恵美先生だったのだ。


助けた後になんだか挙動不審になっていたのは、俺が同じ学校の生徒だったから。


気づかれるかもしれないと焦っていたのだろう。


仮面は素顔を隠し、身バレを防ぐためのものだったのだ。


「え、何してんすか先生…」


衝撃の真実が判明し、俺は思わず恵美ちゃんにそう突っ込んでいた。


恵美ちゃんが、いたずらがバレて気まずそうにしている子供みたいな顔をする。


「だ、だって……仕方なかったんだもん……大学在学中に始めた配信が人気出ちゃって……辞めるに辞めれなくて…でも配信一本で食べていける自信なくて……それで…それで…」


恵美ちゃんが配信を始めたのは今から6年前、大学在学中のことだったらしい。


就活も終えて暇を持て余していた恵美ちゃんは、出来心でダンジョン配信を始めた。


仮面で素顔を隠せば、身バレせずに実生活にも影響がないと考えて軽い気持ちで始めたらしい。


どうせ見る人も限られるだろうと思って始めたダンジョン配信だったが、思いの外人気が出てしまったらしい。


配信を始めてから1ヶ月で、同接はコンスタントに一千人を超えるようになった。


おまけに恵美ちゃんにはどうやら探索者としての才能もあったらしい。


ダンジョン配信と同時に始めたダンジョン探索だったが、気づけば、下層に一人で潜れるほどの実力になっていた。


その後、彼女は英語圏への留学経験もあることからこの学校に英語教師としてやってきたのだが、就職してからも、ダンジョン配信をやめることが出来なかったそうだ。


「就職する頃には月100万円ぐらい稼げるようになっちゃってて……やめるに辞めれなかったの……ねぇ、これ私悪くないよね…?し、仕方のないことだよね…?」


「うーん…」


配信一本で食っていける自信はない。


しかし月100万円という大金も捨てがたい。


結局恵美ちゃんは、いつかはやめる、後一年だけ、と自分に言い聞かせながら、今日までズルズルとダンジョン配信者を続けてしまったようだ。


「よくばれませんでしたね今まで」


「なんとか隠してきたの…うん…」


恵美ちゃんが肩を落として言った。


まさかこの学年で人気の美人英語教師に、こんな秘密があったとはな。


俺はとんでもない偶然に、しばらく二の句が告げないでいた。


「桐谷ちゃんが配信してることは昔から知ってたけど……神木くん、まさかあなたもやってたなんて…しかもすっごい人気になるし……私、配信者やってるからわかるけど……すっごい稼いでるでしょ?今」


恵美ちゃんがゆっくりと俺に詰め寄ってくる。


「ま、まぁ」


「今その大金を手放せって言われても無理よね…?就職や学業のために……お金とか人気とか…全部捨てられる?」


「無理ですね、はい」


「でしょ!?そうなのよ…!わ、私の気持ちもわかってくれるでしょ…?」


「まぁ、少しは…」


恵美ちゃんが誘惑に駆られる気持ちもわからなくはない。


世界の先進各国に比べてお給料が安いと言われている日本。


恵美ちゃんが一体学校からどれほどの給料をもらっているのかはわからないが、まだ彼女は二十代なので、それほど高級取りでないことは確かだ。


そんな彼女にとって、配信からの月100万超えの収入はやはり魅力的で捨てがたいものなのだろう。


「お願い……神木くん…このことは誰にも言わないで…ば、ばれちゃったら…私、クビになっちゃう…」


途端にメソメソしだす恵美ちゃん。


俺はどうしていいかわからず、明後日の方向を向いて頭をかきながらも言った。


「お、俺は別にわざわざ人の秘密を広める趣味はありませんよ…」


「…!」


「こ、この件は……知らなかったことにします。それでいいですか?俺は、仮面の剣姫というダンジョン配信者の正体に気づかなかった……これでどうです?」


「…!!!」


ガクガクと頷く恵美ちゃん。


「神木くん好きっ!!!話のわかる人っ!!」


感極まってぎゅっと抱きついてきた。


「…っ!?」


グラマラスな恵美ちゃん。


柔らかな感触が俺の胸の辺りに押し当てられ、俺はドギマギしてしまう。


「本当にありがとう、神木くん…!私、あそこであなたに出会っちゃった時は本当にどうしようかと……」


「はぁ」


「とりあえず、そういうことなら本当に助かるわ。本当に、誰にも言わないって約束してくれるのよね?」


「はい…まぁ」


「ありがとう!お礼に、この間の小テストの点数、あげておくね!」


「え、いや…それはダメなんじゃ…」


「あら、そう?このままだと神木くん、夏休み補習になっちゃうけど…」


「……」


「どうする?」


「……お願いします」


「うん、わかった!」


誠心誠意頼み込む俺に、恵美ちゃんはイタズラっぽく笑ったのだった。

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