第155話 二度目の

「あぁ……うん⁉︎」


 なんか今すごいこと言われた気がすんですけど⁉︎


 美咲の膝に包まれていた幸せから一瞬にして目が覚めた。


 え、今何言った? 流れるように承諾したけど、すごいこと言ってなかった?


「ごめん、もっかい言って」

「キス、しよっか」

「……」


 お……おぉ⁉︎


 美咲は少しだけ顔を赤ながら俺の返事を待っている。


「えっと、その心は?」

「あの日以降、八尋君が全然キスをしてくれないからです」

「え、えぇ……」


 あの日ってのは中村姉妹の問題が解決して、お互い気分がハイになってしたあれのことだよな。


 たしかにあの日以降キスはしてない。


 してないけど、お互いあの時の話は全然してないし、てっきり個人の記憶に留めておいていつか仕切り直しかなとか思ってたり。


「いや?」


 寂しそうな目で見ないでくれ。欲に流されそうになる。


「嫌じゃない。でもほら、キスって雰囲気が大事じゃん?」


 この思考がチェリーそのもの。


 いやでもなぁ……キスってやっぱ特別なものじゃん? やりまくったら感動薄れるじゃん?


「雰囲気なんて、後から勝手についてくるよ」


 わぁ。今日は美咲がすごく積極的だ。


 どうしよう……てか、なんで俺は断る理由ばかり探してるんだろう。


 嫌じゃない。その答えは最初から出てんだろうが。なら、よくないか?


 彼女がしたいと言うのなら、応えるのが彼氏ではなかろうか。


「じゃ、じゃあするか」


 ファーストキスの時の俺はどこに行った? くっそキモい返事したんだが?


 あの時は勢いで行けた。美咲とのファーストキスがキョドって終わるのが嫌だったから。


「じゃ、じゃあするよ……」


「お、おう……どんとこい」


 でもそれは美咲も同じようだったみたいで、キスをしたい願望はあったようだが、いざ実際にやろうとした段階になると、何度も顔を近づけては離している。


 それがおかしくって、緊張していた俺の心が絆されていく。


「な、なんで笑うの⁉︎」

「美咲がキスしたいのかしたくないのかわからなくなったから」

「じゃ、じゃあ八尋君から来てよ! そうすれば私の気持ちがわかるから!」

「わかった」

「え……」


 美咲に判断の隙を与えない速さで、俺は彼女の唇に自分のそれを重ねた。


 驚いて目を見開く美咲の姿が間近にある。


 だけど美咲は俺の唇を受け入れて、幸せそうに目を閉じた。


 時間にしてどらくらいだろう。息が苦しくなるまで唇を合わせ続けた俺たちは、唇を離した途端に2人して荒い呼吸を繰り返した。


 それがおかしくって、また二人で笑った。


「すごく……ドキドキした……」

「俺もだよ」

「これから何回キスをしても、この気持ちは忘れないようにしたいな」

「そうだな」


 そうして俺たちは、寝る前にもう一度だけキスをした。


 当然、俺は興奮して寝れなかった。





「ほえぇ……」


 気の抜けた言葉。疲れに疲れてもうこの世の全てがどうでもよく感じて来た頃に風呂へ入った時と同じような腑抜けた声。


 しかし、ここは風呂ではなく家のリビング。


 今日は夏祭り。普段通りの服装で出かけようとした俺たちに姉貴が待ったをかけて美咲を拉致すること早数十分。姉貴に時間の有限さを説いてやろうかと思った矢先にそれは起こった。


「やっぱさ、夏祭りと言ったら浴衣でしょ」


 姉貴が一仕事終えてやったぜとでも言いたげに腕をまくる。半袖はそんなに捲れねぇんだよなぁ。


 ただ、その仕事ぶりは素直に評価せざるを得ない。


 薄い紺色を基調とし、白い花の模様が散りばめられた装い。祭りと言えばの服を身に着けた美咲がもじもじしながら立っていた。


 サラッとした髪も後ろで束ねて、いつもの最高に可愛い雰囲気とは違って大人な魅力を感じる。


 情けない声をだしてしまうのも仕方ない可愛さ。


「どう……かな?」

「い、いいと思います」

「えへへ……ありがとう」

「ふひっ」

「うわ……気持ち悪い笑い方……」


 あまりに可愛くて少しどもってしまう。いやでもこれは仕方ねぇって。誰だって今の美咲を前にしたら言葉失っちゃうからね。俺は大丈夫とか思ってる奴も、お……おふ……とか言って鼻の下伸ばすしかできなくなるから。


 やはり天使は天使。下々の民とは纏う輝きが違いすぎる。その威光のせいで隣にいる姉貴さえいつもよりマシに見えてしまうんだから。


「ちょっと、なんか今失礼な波動を感じたんだけど?」

「お前エスパーかよ……」


 なんでわかるの? 俺そこまでわかりやすい視線送ってないけど?


「あんたの考えることなんてお見通しよ。どうせ美咲ちゃんと私を比較でもしてたんでしょ」

「よくわかってるじゃねぇか。美咲は姉貴と違って可愛いなぁって思ってたんだよ。姉貴と違ってな」

「ガキンチョには私の有り余る大人の魅力がわからないのねぇ。いやぁ残念」

「大人の魅力……はは」


 どの口が言ってんだ。思わず乾いた笑いが出ちまったよ。


 たしかに体は大人かも知れないが、中身はそれとは対極の存在。心と身体が一致していない。姉貴とはそんな人間だ。いやそんな人間であれ。これ以上俺より先に進むんじゃない。一緒に穀潰しをしていく仲だろ? 抜け駆けは俺が許さねぇぜ!


「ふ……私の魅力に気づいた時、あんたは大人の階段を昇るのよ」


 俺の煽りをものともせず、姉貴は大人の余裕をかましてくる。


 っく……これではまるで俺がクソガキみたいじゃねぇか……たぶんあってる。


「自意識過剰かよ」

「正当な評価よ」

「そういうのって他人がするもんだろ?」

「えっと……私は七海さんを素敵な女性だと思ってますよ」

「さすが美咲ちゃん! この馬鹿とは違ってちゃんとわかってる!」

「わぷっ!?」


 姉貴は美咲を抱き寄せると自分の胸に美咲の顔を沈めた。


 愛情表現が独特ってか美咲少し苦しそうだけど?


「なぁ、姉貴は社交辞令って言葉知ってるか?」

「ん? 八尋は鉄拳制裁って言葉知ってる?」

「待て、振り上げた拳を降ろせ」

「私、一度上げた拳は簡単に降ろせないのよ」

「おい待て! さらに振りかぶるな! 姉貴の手は可愛い弟を抱きしめるためにある! そうだろ?」

「私に弟はいない。いるのは妹だけよ」

「目の前にいるだろうが!」

「たった今、あんたの枠は美咲ちゃんに入れ替わったわ。だから弟はもういないのよ」

「勝手に消すなよ! あとそろそろ拳降ろせ!」

「私は気づいたのよ。口答えする弟より、全てが完璧な妹だって」


 なんだ、姉貴も気づいちまったか。世界の真理ってやつによ。でも拳は降ろせ。


 それを引き合いに出されるとぐぅの音も出ない。そりゃ美咲の方が俺よりも魅力的だろうよ。


「残念だったな姉貴。血の繋がりには抗えないんだぜ?」

「本当に残念ね。あんたさっさと美咲ちゃんと結婚しなさいよ」

「は? 結婚⁉︎」

「そうすれば美咲ちゃんは妹になるじゃない。完璧なプランね!」


 完璧なプランだけど。完璧なプランだけど!


 そりゃあね、まあ多少はそんな未来を思い描いちゃったりしてますよ。ええ。こんな可愛い彼女ができるなんて、我が人生における最大の功績だからね。


 でも本人の前で言うなって。そういうのは男の中の妄想で終わらせておくんだよ。あえて言語化して相手に変な意識させんなって。美咲だってまだそこまで考えてくれてねぇよ。


「な、七海さん! その話はまだ早いですよ!」

「まだ?」

「あ……あぅ」


 美咲は姉貴の胸に顔を埋めた。顔は隠せても耳の赤さは隠せてない。


 は? 可愛いかよ? 可愛いだよ。


 しかもまだって、え? 俺、最高の未来思い描いちゃっていいの? 桃源郷が見えるぞ?


 そんな美咲の可愛さやら気恥ずかしさやら感じていると、少し前に出ていった六花の姿を思い出す。美咲と同じく浴衣姿だったからだろうか。


 見かけても絶対に話しかけないでよ、と年頃の妹っぽいセリフを残して出かけていった。


 しかし、絶対に話しかけるなと言われると話しかけたくなるのが人間の性。試しに話しかけてみた姿を想像してみたら、マジで嫌そうな顔をしている絵が浮かんだ。桃源郷にいたと思ったら煉獄の世界に迷い込んでたわ。お兄ちゃん悲しい。


 ただ、同じ祭りに行くんだ。人混みの中でうっかり六花と出くわすこともあるだろう。愛しき妹よ! と話しかけたい気持ちはあるが、さすがにこれ以上嫌われたくないし、下手に刺激するのはやめるか。


「んじゃ、俺たちもぼちぼち行くとするか」

「あ、うん! 行く!」

「はいはい。行ってらっしゃい」

「そういや姉貴は行かないのか?」

「今回は若人たちに任せるわ。あたしはパス」

「……そうか」


 俺にはわかったぞ姉貴。一緒に行く友達がいねぇんだな。わかる。わかるぞ。


 去年も今住んでる場所で夏祭りはあった。でも、なんとなく一人で行く気にはならねぇんだよな。


 祭りって夜にやってるくせに雰囲気は昼以上に明るいからな。幸せそうなカップルとか、友達同士でわいわいやってる中、一人で楽しめる気がしねぇよな。行けばそれなりに楽しいんだろうが、一人で行くには重い腰が上がらない。去年の俺がそうだった。だから姉貴もそうなんだな……ちゃんと血は繋がってるじゃねぇか。


「わかったよ姉貴。ゆっくりしてくれ」

「……なんか変なこと考えてない?」

「大丈夫。俺はわかってる」


 こんな寂しいこと、あえて言及する必要はない。


「……?」


 首を傾げる姉貴の肩にそっと手を置いて、俺はそのまま美咲と家を出た。

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