第131話 今年の夏は
「なんだよ寝起きか?」
「大学生にとっての夕方は朝なのよ」
「それはやばすぎるだろ……」
「1限に出席するのは始発って言われる世界なの、大学ってのは」
「はぁ……」
思わず気のないため息が漏れた。
ああ……こいつはたぶん杉浦さんと似たような大学生だ。柳さんに毛嫌いされそうな人種だこれ。
もうこの一瞬の会話でだらしなさしか感じなかった。1限ってたしか9時始業って言ってたよな。しかも姉貴の大学は家からそう遠くなかったはずだ。9時ってさ、俺の始業より全然遅いじゃん。始発? 頭沸いてんだろ。本当の始発に乗っている方々に謝ってください。
お前ちゃんと高校通ってたんだよな? 心配になってきたわ。
「で、要件は? あんたからかけてくるなんて珍しいわね」
「たしかにそうだな」
普段なら俺から姉貴に電話をすることなんてない。だいたい姉貴からかけてきて、俺が嫌な顔しながら電話を取るのが常。電話は顔が見えないから、どれだけ嫌な顔をしたって相手に伝わらない。いつもめちゃくちゃ苦虫噛み潰してるわ。
だから電話越しの姉貴も少し驚いているように感じた。
「まさか姉の声が急に聴きたくなったとかじゃないでしょ?」
「当たり前だろ。気持ち悪いこと言うなよ」
今背筋がぞわっとした。
「じゃあなんなの? 忙しいから手短に話して」
「今まで寝てたんだよな? どこが忙しいんだよ」
「惰眠を貪るって用事があるの。察しなさいよ」
「……ダメ人間」
「あ? なんか言った?」
「いえ……べつに」
「で、要件は? 早くして」
寝起きだから機嫌悪いな。こりゃ長引かせたら面倒なことになりそうだ。
「ああ……」
俺は自分の心を落ち着けるように、一度大きく深呼吸をした。
覚悟を決めろ。逃げるのはもうやめるんだろ。
「もうすぐ夏休みだろ?」
「そういえば、高校生はもう夏休みになるのね。それがどうかしたの? まさか自慢だけしたかったの?」
「んなわけあるかよ。夏休み中に実家へ顔出すよ」
「…………は?」
電話越しに聞こえてきたのは気の抜けた姉貴の声。
その声を最後に、しばらく姉貴から返事が返ってこなかった。
「ごめん。もう一回言って?」
もう切ってやろうか? と思うころ、姉貴から反応が返って来た。
こいつ話聞いてなかったのか?
「夏休み中に実家へ顔出すよ」
「……本気?」
「本気も本気」
「あんた……大丈夫なの?」
「…………」
姉貴からの予想外の言葉に、今度は俺が反応に困ってしまった。
電話越しでもわかるほど心配そうな声。普段の姉貴からは考えられないほど控えめな声音だった。
いやでもそうか。あの家でも、姉貴だけは最初から今の俺の味方だったな。
一人暮らし初めてからの扱いが悪かったから忘れてた。深夜のドライブとかに連れまわされて影響でその記憶がドライブに行ったきりだったわ。
「大丈夫かは……わからない」
そう、大丈夫かは俺にもわからないんだ。
もしかしたら、また体の中のものがリバースするかもしれない。
それでも、俺は決めたんだ。
「だけど、もう逃げるのはやめた。俺は家族とちゃんと向き合わないといけないんだ」
自分自身にケリはつけた。俺は俺だって、もうそれで生きると決めたんだ。
だから家族にも、俺は俺として受け入れてもらわないといけないんだ。
心と心でぶつかれ。俺は中村姉妹にそう言った。美咲とはそれでお互い理解し合えたんだ。
だったら、次は家族とぶつかるときが来たんだ。人を焚きつけといて俺が怖気づいてちゃ締まらねぇだろうが。
「俺は俺でしかあれない。だから、ちゃんと今の俺をみんなに見せつけないとな」
「そう……」
顔は見えない。だけど短くそれだけ言った姉貴の顔は、なんとなく笑っているような気がした。
「で、いつ来るの?」
「お盆期間に帰るよ。バイトのシフトを開けすぎるわけにもいかないから1週間くらい」
たぶん、最初はそれくらいの方が俺にとっても、母さんや六花にとってもいいはずだ。
滞在時間を短くする辺り、まだ俺の中に逃げの心が残ってんな。そこは許してくれ。これでもだいぶ勇気ふり絞ってるからさ。
今もちょっと足が震えてる。やっぱ怖いな。あの家に帰るのはさ。
「姉貴から父さんたちに伝えておいてくれ」
「わかった。父さんは喜ぶと思うわよ」
「他は?」
「さあ? それは帰ってからのお楽しみで」
「そうか」
具体的に言及しないのは姉貴の優しさか。
いや、全然楽しみじゃねぇんだが? 普通にどんな雰囲気になるかわかるんだよなぁ。
特に
「じゃあ私は寝るって用事があるから切るわよ。こっち来る日が確定したらまた教えて」
「わかった……って返事する前に切るなよ」
どんだけ寝る用事が大事なんだよ。可愛い弟が頑張ってかけた電話より大事か?
まあそこで俺を取るような姉貴は姉貴じゃねぇからな。これくらい雑な方がお互い丁度いい。
家族で気を遣い過ぎるのも変な話だ。
「と、俺は思ってるんだよ」
人の価値観は移り変わる。
俺もきっと、昔と今では考え方も違うはずだ。
今なら、俺は俺として家族と向き合える気がする。
「うわっ……汗すご……夏さんもう本気出しちゃった感じ?」
シャツが肌にまとわりつくのを感じながら、俺は携帯をソファに投げた。
「今年の夏は、色々ありそうだな」
誰もいない部屋で、当たり前なことを一人ボヤいてみた。
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