第132話 夏休みの始まり

 7月の後半。数日前に校長先生や生徒指導担当のありがたい説法を聞かされたのは世の高校生全員であろう。これから始まる最高に自由でハッピーな時間をエンジョイするためには、無駄に長い大人の話を聞かなければならなかったらしい。


 せめて……せめて空調をつけてくれと何度思ったことか。夏の体育館に人が密集したらそりゃ暑いよねって話。みんなの、「はよ夏休み開始させろや」の怨念がより体育館に熱を与えた。


 なんで校長先生の話ってあんなに長いの? 長すぎて誰の記憶にも残らないと思うのは俺だけ?


 とは言えそれはもう過ぎた話。


 俺は今、空調の効いた落ち着いた環境で己の職務を放棄している。


 言葉は間違ってない。だって客が一人もいないから。


「平日の昼間ってこんな感じなんですね」


 喫茶店と言いながら料理が最強過ぎてほぼレストランのようになっていた我がバイト先。だがそれは夜の世界での認識だったようだ。


 夏休みに入り、特にやることもなく暇を持て余していた俺。友達少ないからね。


 それをボスに伝えたところ、よかったら昼間から入ってくれないかなと言われ快諾した。ボスには世話になってるし、力を求められているなら応えたい。まあ、今回ばかりはちょっとした思惑もあって恩を売っておきたかったんだけど。


 夕方からはボチボチ混み始める店。だけど、昼間は言っちゃ悪いが人の入りは少ない。現在店には誰も客がいない。


 バイトとしてはこれほど楽なことはないんだけど、暇は暇で辛い。最近の夜は実梨のファンと思われる人達が顔を出したりで忙しかったからな。くっそ忙しいのも辛いけど、暇は暇で嫌。人間とはかくも贅沢な生き物である。


「多くの人は仕事をしている時間だからね。まあもう少しで混み始めて来るよ」


 今は人もいないのでボスが雑談に応じてくれる。


 経験による予測。つまりこれは嵐の前の静けさ。ならこの束の間の暇を堪能するのも悪くない。


「なんだかこれで給料を貰うの申し訳ないんですけど……」


 なんて思いつつ、やっぱり何もしていないのにお金を貰うのは気が引けるんだよなぁ。今なんてテーブルの清掃と備品の整理とかしかしてない。


 もうメニューとかくっそ綺麗に並べたし、テーブルは塵ひとつ残さないくらい拭いた。わかるだろ? 俺がどれだけ暇か。もうやることなくなったからね。店内をこれ以上整えることはできない。むしろお客様にさえ完璧に整えたフィールドを汚すなと思うくらいには整えた。


 俺……頑張ったよ。時間の流れ……くっそ遅いよ。いやぁ、これはさすがに1時間は経ったでしょ! と思って時計を見た時の絶望感ね。30分も経ってなかったわ。


「いいんだよこれも仕事だから。ホールに誰か一人いるだけで僕は助かる」


 気を遣ってくれているのか、はたまた本心か。


 ボスは最強だから俺がいなくてもなんとかしそうな気がする。注文取りながら料理とか普通にできそうだし。


「普段も誰かしらはいるんですか?」


 俺が今日ここにいるのは夏休みだからってのが大きい。


 普段だったら学校の時間だし、まあいるとしたら大学生組か。


「大体は杉浦君が入ってるね。ほら、彼留年して授業が少ないから暇なんだって」

「あぁ……」


 そうっすね、と言うのは杉浦さんが可哀想だから踏み止まった。


 なるほどね。そういや杉浦さん留年してるから授業の数が少ないのか。前に姉貴が、留年生は授業が少なくていいわよねとかいってたなそういや。絶対それ以外を気にした方がいいと思うけど。楽をする前に絶望味わってるはずなんだよなぁ。


 でも杉浦さんべつに絶望してる感じなかったな。親に土下座してなんとかしたらしいし、ああいうメンタリティの人が留年すんだろうな。


「僕としては助かるんだけど、彼の将来を考えると複雑なんだよね」

「大丈夫ですよボス。たぶん杉浦さん将来のことなんて考えてないと思います」


 杉浦さんは今を生きるタイプの人間だからな。


 未来を見るっつっても明日の予定くらいしか見てなさそう。


「神崎君も言うようになったね」

「柳節が移ったかもしれませんね」


 なんて言えば、ボスは苦笑いして言及を控えた。


 いや、なんでも言っていいんですよボス? そうだね、とかさ。


 なんも言ってくれないと俺が柳さんを馬鹿にしてるみたいじゃん。してないですよ柳さん。俺は命が惜しいので杉浦派か柳派で言えば柳派ですから。祈る神はいないけど誓いますよ?


「ああそう言えば、ボスにちょっとお願いがあるんですよ」


 今は二人きりでお客様もいない。


 真面目な話をするには都合がいいので切り出した。


「神崎君がお願いなんて珍しいね。どうしたんだい?」

「お盆休みにまとまった休みが欲しくて……」

「休み? どれくらい?」

「1週間程度です」

「結構長いね」


 ボスは考えるように手を顎に当てる。


 世間一般の企業であればお盆は休みになるかもしれない。だけどボスのお店は飲食店。いわゆるサービス業だ。


 そうした仕事は、世間が休みの時こそかき入れ時になる。ここも例外ではないだろう。


 それに現在活動を休止している元国民的アイドルがお忍び(という体)で働いているし、長期の休みの時は遠方から熱心なファンが来てもおかしくない。まあ、そのアイドル本人がいない可能性もあるわけだが。


 だからこそボスは悩んでると思うし、俺も結構なお願いをしていると思う。


 俺が休めば誰かが変わりに穴を埋めないといけない。俺程度一人消えたところでなんともないとは思うけど、誰かしらに負担が行くのは確かだろう。


 だとしても、これは俺にとっても譲れないお願いだった。


 夏に実家へ帰る。それはもう決定事項だ。


 だから俺は結論ありきのお願いをしている。


「差し支えなければ理由を聞いてもいいかな?」


 ボスは控えめな感じで訊いてくる。


 ま、当然だよな。ただの道楽で休むのかどうか知りたいんだろう。


「……実家に帰りたいんです」

「実家に?」

「まあ、ちょっと実家と折合がついてなくてですね。それもあって一人暮らしだったんですけど、そろそろ正面切って向き合わないといけないと思いまして。だからそのために休みが欲しいんで、なんとかお願いします」


 適当な理由をでっち上げることもできた。ちょっと家族から呼び出されて……とか。


 だけどそれは違うと思った。大事なところを隠して休みを貰っても後ろめたさが残ってしまう。そんな感情を持ったまま実家に帰りたくない。全部正直に話して、正々堂々休みを貰って、そんでその期間は全部家族のことに集中したい。


 だからこれは俺の意志表示だ。家族と向き合う時間を俺にくれと、ボスに小細工なしで要求しているんだ。


 俺の目をジッと見つめた後、ボスはいつも通りの穏やかな顔で頷いた。


「……わかった。帰る日を決めたら教えてね。シフトを調整するよ」

「ありがとうございます」

「いいんだよ。僕は神崎君の意志を尊重したい。その代わり、帰る前と後はそこそこシフト入れるけどいいかな?」

「大丈夫です。それくらいは覚悟してました」


 ただで長く休ませてくれなんて虫のいい話をするつもりはない。


 俺が長く休む間、周りの人は俺の代わりに多く出勤するかもしれない。杉浦さんは金が稼げてラッキーとか言いそうだけど、それでもやっぱり周りに負担をかけた分は俺が返さないといけない。


 その程度だったらいくらでも働く。


 どんな事情にせよ、店じゃなくて俺の意志を優先してくれたボス。ほんと、この人には頭が上がらない。


 もうめっちゃ働く。恩には報いるんだよ俺は。


 なんて思ってると、店の扉のベルが鳴る。誰かが入って来た合図だ。


「いらっしゃいませ!」


 気合を示すためにいつもよりちょっとだけ元気に振り返って挨拶をした。


 だけどすぐにそれを後悔した。


「お、ほんとに働いてる。やっほーざっきー! 遊びに来たよ!」


 ほんとに働いてるじゃねぇんだよ。篠宮ぁ。


 暇で暇で仕方がなかった店。そこには篠宮を始め、いつも見るメンツが勢揃いしていた。

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