第76話 体育祭と踏み出す一歩④
「パン食い競争って命がけなんだな」
「ざっきー、あれはイレギュラーだよ」
「だよなあ……」
まあパン食い競争にそこまで全力で挑もうとする気概は大したもんだ。パンと真剣に向き合うとか俺一回も思ったことないし。
しかし、こうも思う。全員がハカセと同じ気概で臨んだパン食い競争はどのような戦いになるのかと。命を掛ける勢いでパンに食らいつかんとする男たち。その光景は少し見てみたいと思った。
篠宮は他の友達とも話してくると言って去って行き、俺は一人でハカセの生き様を見届けることにした。
パン食い競争。吊るされたパンを口で咥えてゴールまで運ぶ徒競走の亜種。純粋な速さとは別にパンを素早く取り切るテクニックを求められる。
今回必須で出なければならない数ある競争の中でも一番楽そうだからか人気があった。まさかあの中にガチ勢がいたとは誰も思わなかっただろうな。
パン食い競争は穏やかに進行していく。100メートル走のような迫力はなく、走者もどこか手を抜いているような雰囲気からか、比較的緩い空気が蔓延している。
閑話休題な様子で、オーディエンスも競技よりかは雑談の方に意識が傾いていた。
「まあ無理もないよなぁ」
全力でやるなら応援の価値もあるけど、なんというかそんな気にならないってのはわかる。
それでも、ハカセは文字通り一人だけ異質の活躍をしていた。
パンを咥えるなんて言葉が可愛く聞こえるような噛み付き。人間の中に野生の動物が紛れ込んでしまったみたいに、パンを袋ごと噛みちぎりそうな勢いでゲットしていた。
まあ、楽しそうで何よりだな。何事も本人が楽しそうならそれでいいよな。うんうん。野獣と化したハカセの奮闘を目にしつつ、俺は自分の競技に意識を傾け始めた。
この後は色別対抗綱引きをやって、障害物競争が終わればいよいよ午前の目玉、借りもの競争と言うわけだ。たしか相原は障害物競争に出るはずなので、しかとその可愛さを目に焼き付けておこう。最悪借りもの競争で死ぬかもしれないし。
一人で競技を眺めているとハカセが帰ってきた。飢餓の中差し出されたひとつのパンの如く、勝ち取ったパンに思いっきり齧り付いている。何も食ってないならさぞ美味しいでしょうね。
そして舞台は一度団体戦に移る。
綱引きは各学年、クラスから男女5人ずつ選ばれる。学年、男女問わずチームとして戦う競技。個人戦よりも応援の声に熱が入っているように見えた。それは俺も同じで、クラスの応援席に戻って戦う連中へ声援を送る。
結果としては最初に負けて次は勝ち。3位だった。
チームが負けると、直接自分が戦ったわけではないのに悔しい気持ちになった。
そして我らの天使相原の出番がやってくる。どこにいても彼女の姿は目立つ。そしてなんと競技の時は髪を後ろで結んでいるのだ。いつもと違うギャップに俺の心は撃ち抜かれてしまう。元から撃ち抜かれているけど。
「ん?」
今相原が俺に手を振っていたような。と思ったが今クラスは固まっているので、きっと他の女子連中に手を振ったんだろう。
あまり自惚れ過ぎるのはよくない。相原が俺に好意を抱いてくれているのは理解しているけど、全てが俺のために行われていると思ってはいけない。と、言ってもやっぱり俺に向けてそうな気がするからニヤケちゃうんだよなぁ。
「どうしたのざっきー、気持ち悪い顔してるよ?」
「お前はいつも俺を冷静にしてくれるな」
篠宮の冷静なツッコミで自惚れた心に待ったをかけた。やはり、落ち着きたい時は脳内とリアルの篠宮に何かしら言ってもらうのが一番早いな。
普段ならそんなことはないと自分で戒めるところだっだが、昨日のあれがあったからこそ自制の鎖が緩くなっている。
「早いとこ決着つけねぇとな……」
「なんか言った?」
「いや、なにも」
そうだな。こう言った話題は時間をかけ過ぎても良くない。この後は俺の番だし、その後の昼休みにでも相原見つけて話すとするか。鉄は熱いうちに打て。もうお互いの意思確認は済んでるんだし、あとは事実の確認をするだけ、のはず。
つっても、人気者の相原を昼休みに連れ出すのってかなり至難の技だよなぁ。次回のバイトのあとにした方が無難か。いや、どうすっかなぁ。
そうこう考えているうちに、俺は自分の出番に向けて準備をすることになった。
「神崎、わかってるよな?」
「なんだ井上、お前巻き込まれたいのか?」
「神崎⁉︎ わかってるよな⁉︎」
必死の形相で俺に声をかけるクラスの面々。頼むから変なことには巻き込んでくれるなよ、との思いがしっかりと伝わってくる。
「大丈夫大丈夫。お前になるとは限らないから安心しとけって」
「選択肢から消そうぜ! な!?」
「じゃ、適当に行ってくるわ」
「かんざきいいいいいいい!!」
ほんと、どんなお題が出てくるのかわからないけど、そこまで必死に懇願するとか去年どんだけやりたい放題だったのか逆に気になるわ。
怖くないと言えば嘘になるけど、自分でエントリーしまった以上やり切る他ない。
「神崎」
男子の魂の叫びをバックに集合場所へ向かおうとしていると、聞き覚えのある落ち着いた声に振り向く。委員長だ。
「どうした委員長?」
「いや、なんとなく声かけとこうかと思っただけなんだけど、やっぱりやめた」
「なんで?」
「今日の神崎はいい顔してるから」
「なんだそれ? そういうのは佐伯みたいな奴に言うんだよ」
いい顔ってイケメンのことだろ? なら俺みたいな普通の男には似つかわしくない言葉だよな。
「そういうんじゃなくてさ。今日の神崎、なんかこの前よりスッキリしてるって意味」
「そう見える?」
「委員長だからわかるのよ」
「そうですかい。話がないなら俺行くぞ?」
「あ、一個だけ」
歩き出そうとしたところで、再び委員長に呼び止められる。
「私は選択肢から外してね! よろしく!」
「考えとくよ」
最後に言うことがそれかい。と、思わず笑みをこぼして、俺は今度こそ集合場所に向かった。
「これは……またなんとも……」
辿り着いた先はこの世の終わりとでも言いたくなりそうな沈んだ雰囲気に包まれていた。俺はこの後こいつらと競争するはずなんだけど来る場所間違えたか?
やる前にしてはみんなの顔が沈みすぎている。
「はあ……俺はもう終わりだ」
「どうして俺がこんな目に……」
「せめて傷付かない奴がいい……」
こいつら、もう目が死んでやがる。それほどなのか借りもの競争。やる前から心が折られる程にえげつないのか借りもの競争。
だが、必要以上にナイーブになっている可能性だってある。むしろそうであって欲しい。こんな地獄のような雰囲気は勘弁してくれ。
だから先輩たちの顔を見れば。
「じゃんけんってさ、残酷だよな」
「熱で寝込んでたらこれってあんまりだろ……」
あっダメそうですねこれ。よく見たら男子も女子もみんな目が死んでたわ。もはや生きてんの俺くらいじゃね? 俺の方がおかしいのかこれ? つかこんな雰囲気ならもうこの競技やめた方がいいだろ何考えてんだよ運営は。
『さあ皆さんやって参りました! 借りもの競争の時間ですよ‼︎』
実況の生徒がそう声を張り上げれば、周りからは大歓声が響き渡る。なんで⁉︎
湧き立つ観衆と絶望のプレイヤー陣。安全圏から見れば凄く熱い競技ということか。
『今年も勝者と敗者に分けられる借りもの競争。実況の立場からは全員勝者になって欲しいところですが、こればかりはお題と相手の運次第。皆さん、応援の準備はよろしいですか⁉︎』
『うおおおおおおおおお!!』
な、なにこれえええええええ⁉︎
借りもの競争ってこんな始まる前から熱狂するものだっけ⁉︎ いやでも盛り上がりと反比例してこっちのテンションどんどん下がってるけど。
後ろの先輩方の沈んだ会話が聴こえてくる。
「なあ、去年勝者いたか?」
「いや、もれなく全員死んだはずだろ」
「じゃあ俺たちも覚悟を決めて潔く死ぬか」
いや、だからこれ借りもの競争だよね?
まじで生きるか死ぬかの戦いなのこれ。本当ならそりゃクラスの連中も忌避するわけだよ。今更怖くなってきたんだけど。
『競技の前ですが、先にお伝えしなくてはならないことがあります』
真に迫った声音に、校庭がしんと静まり返る。
『去年のお題を攻めすぎたせいか、とあるお方から大層怒られまして、今年のお題はほとんど常識的なものへと変わっています。なのでプレイヤーの皆さん、今年はご安心ください。変なものは一部しか入っておりません』
それ絶対校長先生のカツラじゃん。校長先生に本気で怒られたやつじゃん。
しかし、いい仕事をしたな校長。きっとあなたの輝きのおかげで救われる命があるよ。ほら、みんなの目に光が戻りつつある。
『と、前振りに時間を割いても仕方ないので早速初めて行きましょう! これは時間がかかってもゴールするまで終われませんのでみなさん頑張ってください!』
放送席にいた実況の女子はマイクを持ったまま、校庭の中心へ向かいつつルールを説明した。
『では1組目行きましょう!』
「はあ、気が進まねぇなぁ」
4人1組のレース。俺は初戦から出番だった。どうせなら一回見て雰囲気を掴んでおきたかったが仕方ない。常識的なお題とやらが当たるのを願っていくしかない。
若干生気を取り戻した奴らと並んでスタートする。周りの足取りがかなり遅いせいか、真っ先にお題の封筒の元へ辿り着く。
ばら撒かれた封筒。選びたい放題なので、適当に一つ拾って中身を取り出す。
「……これは」
なるほど……そうきたか。確かにえぐいな借りもの競争。
俺は中身を確認してから、一直線にクラスの応援席へと向かった。
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