第77話 体育祭と踏み出す一歩⑤

「か、神崎が来たぞおおおおおお」

「やばい本気で道連れにするつもりだぞ⁉︎」

「神崎君いったん落ち着こう⁉︎」


 俺は怪物かよ……。


 応援席の前に立てば、クラスの皆々様は青ざめた顔で俺を見る。そんな顔すんなや。俺もいまちょっと心の余裕がないんだよ。


 そして焦っているところ悪いが、お前らなど今の俺の眼中には存在しない。


 クラスの阿鼻叫喚を無視して、俺は静かに俺を見つめる女の子の前に立ち、手を差し出した。


「ちょっと俺とあそこまで行こうか、相原」

「え、私!?」

「ま、拒否権はないんだけどさ」


 戸惑う相原をよそに、俺は彼女の手を取り引っ張り出す。昨日とは逆の構図。


「おい神崎⁉︎ 相原さんはさすがにまずいんじゃないか⁉︎」


 クラスの誰かが声を上げる。


「まずいもなにも、お題に適した人材が相原しかいないんだから仕方ないだろ。そういうことだから」


 クラスの面々が呆気に取られている中、俺は颯爽と相原の手を取ってゴールに駆け出す。


 他の奴らはまだ借りものを探している最中か。


「神崎君、私が適したお題ってなに?」

「異性の友達。言ってた通り優しいお題だった」

「そ、そうかな?」

「人によっては厳しいかもな」


 これからやろうとしていることへの緊張から、心臓の鼓動が速く脈打つ。それを相原に悟らせないため、表面上は平静を装うが、手から溢れ出る汗を止めることができない。


 止まってくれ俺の手汗。神崎君の手ヌルヌルしてるねなんて言われた日には俺死ぬぞ。相原は天使だから思ってても言わないかもしれないけど。いや、その方がキツイな。


 とにかく、俺の内心はかなり冷静ではないと言うこと。


 普段なら軽口を叩けそうな場面でも、今日はゴールに着くまで何も言えなかった。


 相原もそんな俺の感情が伝わってしまったのか、少し不安そうにしている。


「おおっと、一番最初にやってきたのは赤組の選手だあ!」


 実況の生徒がゴールに着いた俺たちを笑顔で迎える。


「か、神崎君……て、手を……」

「おわっ⁉︎ ごめん⁉︎」


 繋いだ手を慌てて離す。


 相原は恥ずかしそうに、だけどどこか名残惜しそうにさっきまで握っていた手を見つめていた。手汗大丈夫だったかなぁと思い、自分の手を見れば全然大丈夫じゃないくらい汗が滲んでいた。死んだわ。


「では、選手はお題の封筒を私にください!」


 俺が封筒を渡すと、実況はそれはもう楽しそうに封筒の中身を取り出した。やはり、見る方はどんなお題で誰を連れてきたのか気になって仕方ないんだろう。


「これは……」


 中身を見て一瞬固まった後、俺と相原を交互に見てはニヤニヤする。相原は訳もわからずに首を傾げる。


「お題って異性の友達なんだよね?」

「…………」


 俺は相原の問いに答えなかった。いや、正確には緊張しすぎて答えられなかったが正しい。


 実況の人はすぐに自分の仕事を思いだしたのか表情を整えて、お題を読み上げる。


「記念すべき一発目のお題は……」


 心臓がより一層高鳴る。


「告白したい人です‼︎」

「え……?」


 静まり返る校庭。だけどそれは一瞬で、どこかでざわめきが起これば、それが伝播してやがて校庭全部を飲み込む大きな波へと変化していく。


 相原は驚き、話が違うぞと言った目で俺を見る。その瞳は状況への理解が追いついておらず、左右に泳いでいる。


 俺はそんな相原にお構いなしに話しかける。


「いやさ、ちょうどいいお題だったからもういっそみんなの前で昨日のやり直しをしちゃおうと思って。この先毎回昨日みたいに逃げられたらこっちも困るしな。だからこっちも逃げ場のない状況をつくってやろう、みたいな」


 努めて淡々としているが、内心はもうそれはそれはバクバクしている。今にも心臓が飛び出して一人旅に出そうな勢いだ。


 心なしか早口になっていたと思う。


 だけど、このお題を手にした瞬間に俺がどうするべきかは決まっていた。


「え……?」


 相原はまだ落ち着かない様子だ。


「では、どうぞ‼︎」


 そっとマイクを手渡すと、実況の人は空気を読んで俺たちから距離を取る。


 相原の方に向き直り、彼女の視線と俺の視線が交錯する。相原の綺麗な目。その奥はさっきからずっと揺らめいている。


 俺と相原の間、一瞬の時間が引き延ばされ、俺の中では様々な情景、感情が次々と浮かんでくる。


 相原美咲。目の前の可憐な少女に一目惚れした時のことは今でも鮮明に思い出せる。


 入学試験で消しゴムを忘れて絶望しかけていた俺にそっと差し出してくれた日のことを。それだけのこと、と思う人もいるかもしれない。だけど、俺はその瞬間、天使に心を撃ち抜かれてしまったのだ。


 惚れた女の子と今年は教室で、バイト先で、同じ時間を過ごせること。言葉にはできない幸せな時間を過ごせていると思っていた。


 それでも、どうしてという思いが拭えなかった。考えてみれば不自然だった。相原美咲は誰が見てもわかるほどの美少女である。それがどうして俺如きに好意を見せるのか。もしかしたら……の考えに蓋をして俺はぬるま湯にに浸かっていた。考え過ぎな可能性だってあるから。


 そんな俺に、彼女は手痛い一撃をお見舞いしてくれた。ずっと前から俺を知っていると、以前の俺に助けられたお礼を言いたかったと。


 驚きを隠せない反面、ああ、やっぱりそういうことかと納得する自分もいた。疑問が解消されてスッキリすると同時に、俺はやはりスペアなのだと認識した。


 神崎八尋。記憶を失った男。人に与えられる名前は誰のものなのか。俺の名前は俺のものなのか。少なくとも、俺は俺のことを神崎八尋だとは思えていなかった。俺は神崎八尋が生きてきた道を何も覚えていないんだから。人が人であれるのは、周りがその人をその人と認識してくれるからだ。認知によりその名前はその人のものになる。


 周りの認知は、記憶を失う前の俺に向けられたものであったと思う。だから俺は神崎八尋の中に入ったなにかでしかないと思っていた。


 時には望まれた姿を演じてみても、結局は自爆して逃げ出して、そうしてまたここでも過去が追いかけてきて、もうどうすればいいかわからなくなっていた。


 でも、答えは単純だった。


 俺は俺だと言ってくれる天使がいた。


 他人の認知はあるかれもしれない。けど結局は俺自身がどう思うかでしかなかった。他人がどう思うかなんてどうでもよくて、自分自身で向き合うしかなかったんだ。


 過去の俺、今の俺、二つの人格は存在しない。全部ひっくるめて俺だったんだ。


 楽しい気持ちも、嬉しい気持ちも、人を好きだと思う気持ちも、過去の俺が辿ってきた道も全部俺のものだ。そう気がつくまでに、随分時間がかかってしまった。


 そして、目の前の可愛い女の子に抱いた俺の気持ちも、過去の俺と同じものだとしても、これは今の俺の気持ちに他ならない。


 だからこそ、俺にぶつけられた気持ちは俺の言葉で返さないと。


 告白は、男からしてほしいんだろ?


 だったら俺は――


「2年A組神崎八尋‼︎」


 今日は、俺が新たに踏み出す第一歩。どうせなら全員に教えてやるから耳の穴をかっぽじってよく聞けよ。俺の魂の叫びってやつをよ!


「俺は、目の前にいる相原美咲さんが……」


 そこで大きく息を吸い込む。


「大好きだあああああああああああああああああ‼︎」


 ありったけの想いを、肺の酸素が無くなるくらい校庭に轟かせた。


 響け俺の想い。いっそ学校を飛び越えて世界に響き渡れ。


 一人の凡人が叫ぶ愛の咆哮を。


「俺と、付き合ってくれええええええええええ!!」


 この言葉は、この想いは、俺の……俺だけのものだ!

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