第8話 価値観
後ろを見て、あの厄介者が付いて来てないことを確認する。それから俺はその場に留まると、二人も合わせて歩みを止めた。
「追って来てないみたいだし、とりあえずはOKかな。佐伯も運が悪かったな」
「あ、ああ……」
軽い感じで話しかけたものの佐伯はどこか上の空だった。
「ざっきーすごいね!」
「ほ? どのへんが?」
感心したように篠宮が言うが、俺としては何がすごいのかわからないから聞き返す。
「いや、今の全部でしょ! なにあの颯爽と助けに行く姿! ちょっとびっくりしちゃったんだけど!」
篠宮は興奮してるのか、早口で捲し立てるように言葉を放ち続ける。ぐいぐい一歩ずつ近づいてくるものだから、思わず両手で静止する。
「近い近い! パーソナルスペース!」
咄嗟に覚えたての言葉を叫ぶ。
パーソナルスペース。他人に近づかれると不快に感じる空間のこと。でも別に篠宮に近づかれても不快ではなかったので使い方としては間違えている。覚えたばかりの言葉を使うものではないね。俺もちょっとテンパってる。
これは女子特有の良い香りが鼻腔をくすぐった所為に違いない。さっき手を掴んだ時もそうだが、篠宮も平らではあるが女子ということか。平ではあるが。
「わ、ごめんごめん! 本当に興奮しちゃってさ」
慌てて二歩ほど距離を取る篠宮。その姿に少し寂しさを覚えた俺は天邪鬼。
「興奮しすぎだろ……」
「だってねぇ……佐伯もそう思うでしょ⁉︎」
「……そうだな」
同意を求められて首を縦に振る佐伯だったが、未だ心ここにあらずと言った様子。あいつらからの報復でも恐れているのだろうか。ま、仮に報復があったとしても間違いなく俺なんだけどな。
「神崎、ひとつ聞いていいか?」
「なんだ? お前が俺に訊くようなことがあるのか?」
「なんで俺を助けてくれたんだ? クラスメートにこういうのも悪いけど、俺たちはまだそんなに仲良くなかったと思うんだ」
佐伯から向けられる目に浮かぶのは困惑。そして俺も困惑。
「仲良くないと助けちゃいけないのか?」
「そうじゃない!」
佐伯は俺の言葉を強く否定する。
「わからないだけなんだよ。だって、仲良くもないのにあんな面倒そうなところに割って入って助ける理由があるか? 他の先輩方もみんなスルーしてただろ?」
「はぁ……」
理由、ね。俺は逆にこいつの言っていることが理解出来なかった。そもそも論として、仲が良いから助ける、仲が良くないから助けないなんて基準は俺にはない。
困ってたから助けただけ。そこに仲の良さなんてトッピングは入らない。
こと人助けについては佐伯と価値観が合わないみたいだ。価値観が違えば意見も異なる。それだけの話。
「困っているクラスメートがいたから助けた。それだけじゃだめなのか?」
「それは……だめじゃないけど……」
否定はしない、だけど肯定もしきれていない反応。とは言え、これ以上の理由がないから答えようもない。
「じゃあそれでよくないか?」
「それでも……」
「それでもじゃない! もうそれでいいの! これ以上は喧嘩になるから!」
「あ、ああ」
助けた相手と喧嘩になるなんて意味がわからないことになる前に、強引に会話を断ち切る。
語気を強めて言ったからか、佐伯は若干慄いている。
「でも、そうか……人助けの理由なんてそんなんでいいんだよな。そうだよな」
佐伯はどこか自分に言い聞かせるように言うが、薄く笑いながら言うもんだからさすがのイケメンでもちょっと気持ち悪いな。これ、イケメンだからちょっと気持ち悪いで済んでるけど、俺ならだいぶ気持ち悪いからな。イケメンは何にでもプラスの補正がかかるからズルいわ。
「神崎、俺は正直お前のことただのバカだと思ってたけど違ったんだな」
どうにも失礼なことを言われている気がする。
「あれ? 俺酷いこと言われてない?」
いや、失礼なことだよ。なにサラッとバカだと思ってたとか言っちゃうのかな。俺たち出会ってからまだそう時間経ってないからね。バカっていう評価を下すのはまだ早いからね?
イケメンスマイルでも俺は騙されないからな。
「もしかしたら、藤原は……」
「俺の言葉はスルーですか……」
あとなぜそこでハカセが出てくる。よくわかんないけどそれは違うんじゃないかな。
「俺も、神崎に興味が出てきたよ」
なにやら自己完結した佐伯が言う。
「その言い方やめて。今日のトラウマなの」
鮮明に思い出される昼前の教室でのあれやこれや。過去を覗いただけで背筋から嫌な汗が出てくる。間違いなく悪しき記憶だ。今日の出来事の中で寝たら消えてほしい記憶ランキング暫定1位だが、嫌な記憶ほど消えないのは世の常。この記憶は消えない確信があった。暫定2位はクラスLINEハブられ事件。これも消えなさそうだった。きっと昼ごはんにハカセが食べていたメニューとかその辺のどうでもいい記憶から消えていく。ラーメンだっけ? もう消えかかってた。
「私も、ざっきーにもっと興味が出てきた!」
さっきまで黙ってた篠宮も意気揚々と俺のトラウマを刺激する。篠宮平野のことまだ根に持ってんのか⁉︎
もっとってことは元から少しは興味を持ってくれてたってことですか。それはそれでちょっと気になる。
「だからその言い方やめろ‼︎ てかお前ら部活行かなくて良いのかよ⁉︎」
その言葉に二人ともハッとする。
「「やばい‼︎」」
見事なハモリ。仲良いですね。
「じゃあねざっきーまた明日!」
「じゃあな神崎!」
「また明日な」
別れの挨拶を済ますと、二人は全力で廊下を駆けて行く。廊下は走ってはいけないと、先人たちは言っていた気がする。
「神崎!」
俺も下駄箱に向かおうと踵を返したところで、俺を呼ぶ声がしたので振り返る。佐伯だった。
「大事なこと言い忘れてた! さっきはありがとう!」
太陽のように眩しい笑顔で佐伯は言う。イケメンが笑った時の破壊力凄い。ケバ女たちも佐伯にあんな顔させるなんて素材の活かし方を全く分かっていない。一応言っておくけど、俺ホモじゃないからね。誰に向けての言葉だろうか。
「気にするな! あと廊下は走るなよ!」
そういうと、佐伯はクスッと頬を緩ませた後、俺の忠告を無視して再び廊下を駆けて行った。
俺の忠告を無視するとは、今度委員長に佐伯は廊下を全力疾走する不良だとタレ込んで戒めてもらおうか。想像してみるも、俺が失笑されて終わりそうな絵が浮かんだ。
「さてと、色々片付いたし俺もバイト行くか」
ふと時計を見て仰天。時刻は俺が思っているよりも遥かに進んでいた。
「やべ……時間使い過ぎた」
落ち着け。一度深呼吸。まだ間に合わない時間ではない。ただ、歩いていては間に合わず、どうやら本気を出さなきゃいけないようだ。
なら、話は早いな。大きく息を吸って、俺は廊下を全力で走り出した。廊下は走ってはいけない。先人はそう言うが、人には走らなきゃいけない時もある。佐伯、お前もそうだったんだろ?
結局、俺はたまたま通りかかった体育教師に廊下を走るなと怒られた。因果応報。人にダメだと言いながら自分は走ったツケを払わされた。
バイトにはなんとか間に合ったが、とても春には似つかわしくない汗だくの男が一人。まあ、そんな日があってもいいだろう。
次の日、更新されなかった今日の記憶から消したいランキング1位と2位はしっかり覚えていた。やっぱりハカセの昼ごはんはしっかり忘れてた。そばだっけ?
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