第79話 天使と凡人

「えらい目に遭った……」


 放課後の帰り道。騎馬戦でボコボコにされてもなお俺への攻撃、もとい口撃は収まらなかった。というかあいつら俺が良からぬ何かをしたとしか思っていない。俺が正攻法で相原と付き合ったことを微塵も信じていなかった。まあ確かに俺と相原で釣り合いが取れているかと言うと俺も首を縦に振りづらいのは納得しているわけだが。それにしたってだよな。


「みんな楽しそうだったね」


 隣を歩く天使が笑う。


 帰りは相原が誘ってくれた。俺も相原と帰りたかったが、もし俺から誘おうものなら嫉妬に狂ったあいつらがどんな呪術使ってくんのかなぁ、とか考えていたからこの誘いは渡りに船だった。


 週明け教室に行ったら藁人形とかないよなさすがに。今日の嫉妬に狂った男連中を見ていると、普通だったら有り得ないことでも否定しきれないのが怖いところ。玄関に盛り塩しとこうかな。


「みんなって言うのは?」

「2年生の、特に男子かな。団結力が凄かったよね。特に騎馬戦」

「うん……そうだな」

「違うの?」

「まあ……団結力で言えば相当固かっただろうな」

「神崎君凄い狙われてたもんね!」


 相原は楽しそうに笑う。


「まあ、あれは作戦だから……」


 俺、という個人をぶっ殺そうという硬い団結力があったのは間違いない。そして、仲間はその相手の憎しみを逆手に取った作戦を立てたのもあっている。だが、俺を生贄にする作戦を立てる時点であいつらに人の心はない。その作戦では俺は確実に死ぬのだから。


 ただ、なぜそうなったかは相原にだけは言わない方がいいだろう。なんとなく、責任を感じてしまいそうな気がしたから。


 しかし、男連中は俺をボコボコにできて楽しかったのか? でも騎馬戦の時に泣きながら攻撃してきた奴もいたし、あれは楽しくなさそうだったよなぁ。


「でも神崎君も結構粘ってたよね。作戦立てた人は神崎君のその粘り強さを知ってたのかな?」

「粘り強い……か」

「どうかしたの?」

「いやなんでもない」


 あの時はとにかく俺も必死だった。負けようと思えば簡単に負けられたが、きっとそれは良くないことだと思った。


 原動力は嫉妬とかだったかもしれないけど、少なくとも奴らは本気で向かってきた。それがどんな思いであったとしても、本気の奴には本気で向き合わないといけない。そう思った。


 だから俺は本気で挑んだ。結果としては3、4体撃破した後はもみくちゃにされて負けたけど。


 男連中も俺を倒してスッキリした顔してたし、まあ結果的には悪くなかったかもな。


「なあ相原」


 それよりも、相原に聞いておかないといけないことがある。


「付き合うことになったけど、これから俺たちどうすればいいんだ?」

「どうっていうのは?」


 相原は不思議そうに首を傾げる。


「彼氏彼女って何すればいいんだろうなぁって思いまして」


 俺は正直に白状した。


 彼氏彼女の関係。友達から一歩進んだ関係になれたものの、じゃあ彼氏彼女って何をすればいいの?


 あんなことやこんなこと、色々と妄想は捗るが、そこに至るまでにどんなステップを踏んで仲を進展させていけばいいんだろうか。


 今日から彼氏彼女です! と言ったところで、どうすればいいのかわからなかった。


「そんなの、今まで通りでいいんだよ」


 相原は俺のそんな悩みを一蹴した。


「彼氏彼女になったからって、急に何かが変わるわけじゃないと思うよ」

「そういうもんか?」

「世の中のカップルだってきっと急に変わったりはしなくて、普段通り過ごしていってどんどん仲を深めていくんだと思うよ。あの人はこれが好きなんだとか、こんなことを思ってるんだとか、そうやって知らない面をいっぱい知って深い関係になっていくんだよ」


 俺が黙っていると、相原は続ける。


「私は神崎君が……好き」


 好きの部分は小声だった。


「神崎君のことをもっと知りたいから、一番近くで一緒にいたい。それだけ。だから今まで通りでよくて、そこから少しずつ変わっていけばいいんじゃないかな。彼氏彼女だからなにか変わるんじゃなくて、きっとそれはこれから二人で過ごしていくうちに勝手についてくるものなんじゃないかな」


 相原は最後に、「なんてね」と冗談っぽく戯けて言ってみせた。


「相手を知りたい、か」


 一番近くでその人を見て、知りたい。彼氏彼女はその特権を持っているだけで特に何かを変える必要はないってことだろうか。そこで俺は考える。はたして俺は相原のことをどれだけ知っているのだろうかと。


 それは別に俺に限った話ではない。黒歴史ノートに書いてある相原像は、今の相原とは少し雰囲気が違う。じゃあそれは相原ではないのかと言えばそれもまた違う。全部相原だ。


 そう、よく考えてみれば俺はまだ相原のことを全然知らない。学校では天使の相原。俺といる時は学校とは違った雰囲気を見せてくれる相原。


 相原は可愛くていい奴だ。そんなところに惹かれたことは嘘じゃないし、今こうして付き合うことになって舞い上がる程嬉しい気持ちはとてもある。


 しかしだ。俺はそんな相原の表面的なことしか知らない。相原の好きなもの、嫌いなもの、何をどう思っているとかそんなところまでは全部把握しているわけじゃない。この前屋上で話した時に、初めて心の底から思っていることの一端を知れたような気がする。


「相原の言う通りなのかも。彼氏彼女って言葉に囚われてたけど、そんなの気にする必要なかったんだな」


 相手を一番近くから見ていたい。肩書きを気にし過ぎてたけど、そこから初めたって全然おかしくないし、むしろスッと胸に落ちた気がする。


「誰かと付き合うって初めてだったから、何かしなきゃいけないって焦ってるのかもな俺」

「ふふ、私も初めてだから一緒だね」

「それは意外だ。でもまぁ、あんなに大々的に告白してしまったわけだし、なんかしなきゃって思ってたんだろうな」

「あ、あれは嬉しかったけど……恥ずかしかったかな」


 相原はあの時を思い出したのか、顔を紅潮させて俯いた。


「いやぁ、まあ……ははは」


 思い出される今日の光景。全校生徒の前で告白をした頭のおかしい男の姿。思い出せばのたうち回りそうなほど恥ずかしいが、後悔はしていない。


 ただまあ、相原には悪いことしちゃったかなぁとは思う。あれは完全に俺の自己満足兼暴走だからな。だって返事は早くしないとだし、かと言って相原を連れ出せなかったし、仕方ないことだったんだ。


 体育祭という特殊なイベントの熱に当てられたのかもしれない。ともかくうまくいってよかった。あれで失敗してたら心が持たない。


「まあでも、うん。こんな吹っ切れた行動ができたのも相原のおかげだよ。ありがとな」

「ううん、私はちょっと手を差し出しただけだよ」

「それでも俺にとっては相当なことだったんだよ。だからありがとうは言わせてくれ」

「じゃあ受け取っておきます」


 彼女は照れ臭そうに笑った。


 君が俺を俺として受け入れてくれたから今の俺がいる。道に迷った俺に手を差し伸べてくれた君がいた。


 でも決して無理やり引っ張り出さない。差し伸べられた手を握るかは、俺自身が決めなくてはいけないことなんだ。自分と向き合い、一歩踏み出す勇気をくれた。だからこうして今がある。過去の俺がどんな人でも、今を生きているのは俺なんだ。俺でしかないんだ。


 ならばいっそ、過去を超えるほどナイスな男に俺がなればいい。迷える人に手を差し伸べられる、隣にいる彼女のような人に俺もなればいい。いや、なろう。彼女の隣に立って恥ずかしくない男に俺はなるんだ。


 だからもう後ろは向かない。前だけを見て生きていく。新しい俺としての道を。俺が神崎八尋なんだから。


「そういえば、あの時の特権を覚えてる?」

「特権?」

「勝った人が負けた人になんでも言うこと聞いてもらえるやつ」

「ああ、あったなそんなの」


 いつぞやのゲームセンターで俺が負けた時のやつか。


「あれを今使います!」

「なるほど」


 高らかに宣言する相原。いやこのタイミングでと思うが、相原がどんなお願いをするのか気になる。


「かかってこい!」

「じゃあ……名前で呼び合いたいです‼︎」

「な、名前? そんなんでいいのか?」


 思ったより可愛い要求。


「それくらいだったらそんな特権使わなくても全然対応するぞ。むしろそれ俺にとってご褒美じゃね?」


 可愛い彼女を名前呼びできるって最高かよ。


「いいの! それに私が八尋君に命令したくないからこれでいいの!」

「や、八尋君……ふへっ」


 やべ、急に名前呼ばれたのが嬉しすぎてキモい声出ちゃったしでも相原からの名前呼び最高過ぎるし俺はどう反応すればいいんだよ⁉︎


「さあ八尋君も呼んで‼︎」


 なんだか相原の……美咲の圧が強い。いやでも急に名前呼ぶのとか恥ずかしいなぁ。


 しかし、これは敗者への命令である。それにこの恥ずかしさなど、今日の告白に比べれば大したことはないではないか。


「み、みしゃき」


 恥ずかしさと照れが混じって噛んでしまった。


「噛んだのでもう一回」

「み、美咲」


 あまりにダサすぎて逆に冷静になれたか、今度はちゃんと言うことができた。が、やっぱり女子を名前で呼び捨てにするのは照れる。


「よろしい」


 美咲は満足そうに頷く。


「いやでもそれなら、あい……美咲も俺のことを呼び捨てにするべきでは?」


 まだ慣れないから意識しないと相原と言ってしまいそうになる。


「わ、私は八尋君でいいの!」

「いやいや、せっかくなら呼び捨てもいいんじゃないか?」

「いいの私はこれで満足してるから!」

「そうは言ってもなぁ。対等に行くならお互い呼び捨てでいいと思わないか?」

「よ、呼び捨ては私が恥ずかしくて……無理かも」


 か、可愛いかよ。口に出そうになった気持ち悪い声を抑える。


 美咲は黙って俯いてしまった。耳が赤いところを見ると照れていらっしゃるようだ。


 呼び捨てが恥ずかしい。俺にはわからない感性だけど、美咲はそう思っているってことだよな。


 今、俺は美咲の新しい感性を一つ知ることができたことで、さっき美咲が言っていた言葉の意味を理解した。こうした積み重ねをして、俺はどんどん美咲を知っていくんだ。隣で彼女と一緒に歩きながら。


「まあ美咲がそれがいいなら何も言わねぇよ。とりあえずこれで罰ゲームは完遂だな」


 お互いを名前で呼び合う。正直に言えばご褒美であるが、俺への罰はこれにて完遂。


 でもまあ、よく考えたらこれでまたクラスで愛のあるかわからないイジリを受けるんだろうなぁ。


 それもまた一興か。


「つーわけで、これからもよろしくな美咲」

「こちらこそ、よろしくね八尋君」


 長く己の道に迷い、たどり着いた先で出会った一人の天使。俺を苦しめ、俺を救ってくれた天使。


『じゃあな!』


 誰もいない後ろを振り返り、俺は心の中に渦巻いていた過去の幻影に別れを告げた。


 隣を歩く彼女と一緒に、これからは前だけを見て生きていくんだ。だから過去はもうここでお別れだ。


『それでいいんだよ』


 聞こえるはずのない声がしたような気がして振り返っても、そこには誰もいなかった。


 気のせいか。いやでも確かに声が聞こえたような。


「どうかしたの?」


 美咲が俺の顔を覗き込む。


 どうかしたの? ってことはあの声は美咲には聞こえていないってことか。俺だけに聞こえた声。幻聴にしてはやけにはっきり聞こえたような。


「……いや、なんでもない」


 声が聞こえたような気がした、と言っても通じないだろうから誤魔化す。


「じゃあなんで笑ってるの?」

「え? 俺笑ってたか?」

「うん。なかなかスッキリした笑顔だよ?」

「そうか……じゃあきっと美咲と一緒にいるからだな」


 そう言って俺たちは笑い合った。


 聞こえた声の正体はわからない。でも、その声を聞いて、俺の中でなんとなく当たりは付いていた。現実には絶対あり得ないと思うし、そう考えてしまう俺の頭もどうかしていると思う。けど、俺はなぜかそれが正解なような気がしたんだ。


『ああ、わかってるよ』


 最後にもう一度だけ、誰もいない景色を振り返った。


 じゃあな。過去の俺。叶うのならば、一度でいいからお前と話してみたかったよ。それで文句の一つでも言ってやらねぇとこっちの気が収まらねぇんだよ。


 まあ、無理なのは知ってんだけどさ。


 今度こそ、俺は前を向いて歩き出した。


 みんなの天使改め、俺の天使と一緒に。






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

ここまで読んでいただきありがとうございました!

「みんなの天使が俺に甘い」1章はこれにて終了です!

次回に区切りのあとがきを書いてありますので、よろしければそこまでお付き合いください!

あとがきでも触れますが、完結ではないですからね!


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