第40話 凡人は目を逸らす
「ただいま〜」
真っ暗な部屋に話しかけても返事は返ってこない。一人暮らしなんだから当然だ。むしろ、『おかえり〜』とか声がする方が怖いんだけど。
一般的な家電の他には勉強用の机と殆ど空の本棚。実家から持ってきた最新のゲーム機と少しのソフトがあるくらいで、娯楽と呼べるものはあまり持って行かず、生活で必要なもの以外は必要最低限で済ませた。
キッチンから割り箸と飲み物を用意してテーブルに座る。
姉貴が住んでいた部屋にそのまま俺が住んでいる形なので、置いてある家具は姉貴が住んでいた時のものを使う。だから椅子が4つもある。姉貴どんだけ人呼ぼうとしてんだよ。寂しがり屋かよ。
一人で扱うには大きすぎるテーブルで、俺は可愛い魚の包みを剥がし、二段重ねのお弁当箱の中身と対面する。
「これが、天使の施し」
卵焼き、唐揚げ、きんぴら、炒めた野菜等のおかずが顔を覗かせて、俺の食欲が刺激される。二段目はご飯だけど、なんとふりかけの小袋というおまけがついている。
食べるのか? 食べていいのか? 神棚を作ってかざるべきではないのか?
相原美咲が作るだけで付加価値が跳ね上がるこの弁当を、本当にここで食べてしまっていいのか?
しばらく観賞していようかと思ったけど、人間の三大欲求のひとつには抗えず、俺は断腸の思いで天使の弁当に手を付けた。
そこからは一瞬だった。味が染みている唐揚げ、ほのかに甘い卵焼き、ご飯が進む味付けのきんぴらや野菜炒め。一口食べたらどんどん箸が進み、気づいた時には弁当箱は空になっていた。
「イリュージョン……」
空になった弁当箱を眺める。美味かった。全てが完璧に整えられていた。本当なら家宝にするべきものだったはずが胃の中に消えてしまった。
弁当箱を洗いながら考える。
明日は土曜日。弁当箱は次のバイトの時に返そうかとも思ったが、来週からはテスト期間。勉強の時間を取ろうと思ってしばらくバイトを空けていたんだった。まあ、こっそり学校で返してもいいしな。
誰かに、特に男子にだけは絶対に見つかるわけにはいかない。命が危ないからね。
弁当箱を綺麗に洗った後、風呂などをサクッと済ませて寝室のベッドにダイブする。
「やっぱ……そういうことだよなぁ」
大の字で天井を見ながら一人呟く。
まだ、一緒のクラスになってから1ヶ月と半分を過ぎたところ。それだというのに、思えば彼女は最初からどこか好感度が高かった。前にどこかで会ったことがあるかと黒歴史ノート(日記)を読み返してみたけど、記載はどこにもなく、俺の記憶にもない。
目を逸らすな、か。昨日杉浦さんに言われたことを思い出す。
俺だってさすがにここまでされて気が付かないほどの鈍感じゃない。相原は早口で誤魔化していたけど、その奥にある真意は透けて見えていた。
「でもなぁ……」
俺だって彼女を一眼見た時から胸にハートの矢を撃たれている。ただ、それは彼女が他を圧倒する美貌と優しさを持っていたからだ。第一印象で好意を持つにはそれなりのスペックが必要なんだ。
じゃあ、俺は? 毎日鏡で見る姿は平凡そのもの。何か好意を持たれるような行動だってした覚えはない。だからわからない。なぜ彼女が俺に好意を持ち、それを隠そうともしないのか。
俺と彼女が釣り合っているとは思えない。彼女は天使で、俺は下民。本来交わることのない者たちが学校生活というある種閉鎖空間の中、偶然にも出会ってしまっただけ。バイト先も偶々彼女の親が経営しているところだっただけ。それだけなのだ。
俺は相原美咲に一目惚れをした。恋人になれるのならそれはとても光栄なことだ。だが、なにかが喉元でつっかえている。俺の知らない何かがあるような気がして、それが怖い。なぜ、彼女は俺に好意を向ける? その理由がまるでわからない。その理由を知りたい。でも知るのが怖い。
「……俺も弱っちい人間だな」
毎日、ひとりの夜は余計なことを考えてしまう。
まあ、それでも寝りゃあ大抵のことは忘れる。俺は全てに蓋をするように目を閉じ、意識を深い闇に沈めていった。
「……なんか……震えてる」
朝、珍しく携帯の振動で目が覚める。寝ぼけたまま携帯を見れば、LINEのメッセージだった。
LINEの送り主は美咲。
「美咲…………相原⁉︎」
急に意識が覚醒し、俺は飛び跳ねるように起き上がり、そのままベッドに正座した。なんで? どうして相原が俺にメッセージを⁉︎ ボスの店が爆破でもされたのか⁉︎
「おはよう、朝からごめんね。起きたら返事ください⁉︎」
なぜこんな朝からLINEがとか、相原早起きだねとか思うが、返事をくれと書いてあるのでとりあえずおはようございますと返すと、5秒も経たない内に既読がついた。LINEは相手が自分のメッセージを見ると、自分の画面に既読の文字が付くと以前学んだ。それにしても早すぎるだろ。
あまりの早さに衝撃を受けていると次のメッセージが飛んでくる。
『なんで丁寧語?』
の後に首を傾げる猫のスタンプ。いやLINEの使い方も相変わらず可愛いなおい。
『なんとなく?』
『そうですか』
『なんで丁寧語?』
『なんとなく?』
画面の向こう、相手の顔は見えないけど相原は今楽しんでそうな気がする。なんとなく?
『朝からLINEが来てびっくりした。何か用があった?』
既読が一瞬で付くも、その先のメッセージが中々来ない。5分待っても返事が来ない。女の子にLINEを送っても、3日待たされた末にごめん寝てたと返事が来ることもあるらしい。杉浦さんの実体験。杉浦さんはよく寝る子だよなとか言って現実逃避してた。寝る子は育つというけれど、3日は寝すぎだろ。絶対嘘だよそれ。
『弁当箱、今日回収しに行くから』
俺もここからメッセージを寝かして熟成されるかと覚悟していたところで返事がきた。
「弁当箱、今日回収しに行くから?」
意味がわからずついメッセージを読み上げた。
『どこに?』
『神崎君の家に。ダメ?』
「ええええええええええええ⁉︎」
携帯を放り投げて、静かな部屋に俺の絶叫が響き渡る。お隣の部屋の方、朝からすみません。でもこれは我慢できないですよ。
相原が、俺の家に来る⁉︎ いや待てまだ確定ではない。俺が断ればこの話はなかったことにできるはずだ。そうだ。俺が店に返しに行けばそれでいい。わざわざ相原の足を使わせるまでもないじゃないか。
携帯を拾ってメッセージを打とうとして俺は固まる。ダメ? の後に涙目でお願いしている猫のスタンプがあった。これはきっと相原の気持ちを表しているはず。神崎八尋、相原美咲を見守り隊としてお前は相原を悲しませたいのか?
『かかってこい』
俺の手は自然と相原を迎え入れるメッセージを打っていた。いいんだ。相原美咲を見守り隊、隊長として彼女が悲しむ顔はさせないと誓った。
それに、見られて困るものなんてなにも……あったわひとつだけ。件の黒歴史ノートだけは見つからないように、いやそもそも普段から勉強机の引き出しの奥の奥にしまってるし大丈夫か。相原は人様の机は勝手に開けたりしないだろ。
『ほんと⁉︎ じゃあ昼前くらいに行くね!』
『場所はわかるの?』
『お父さんに聞くから大丈夫!』
ああ、バイトの面接の時に使った履歴書から辿るのね。最近は住所を打てば携帯が道案内までしてくれる時代だし、便利な世の中だよなほんと。
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