第39話 天使は渡したい
相原美咲は天使である。この断定を覆すものなどこの世にいないし、いたら俺が粛清する。その天使様は自己紹介の時にこう言った。
『趣味は料理です』
俺自身、一人暮らしの割には料理が得意ではないので、料理ができる女の人はとても魅力的に見える。
一応できないことはない。電子レンジは使えるし、冷凍チャーハンを炒めて食べることはできる。佐伯はそれって料理か? と言っていたことがあるが、カップ麺以外のものを作ればそれは料理だろう。たぶん料理だよ。きっと。
とにかく、料理が出来る人は凄いってこと。
さて、なぜこんなことを思い出したかと言えば今この状況にある。杉浦さんにご飯へ拉致られた(自分から)次の日、バイトが終わると相原がいつもと違い何やら落ち着かない様子でクネクネしていた。
最近は片付けを毎日手伝ってくれていたのに、今日は片付けが終わるタイミングで現れてはそんな動きをするので違和感が凄い。
手を後ろにやり明らかに何かを隠している様子。可愛いかよ。
覗こうとしても絶対に俺に見られないように常に体の向きを変えては隠そうとする。
うーん、サプライズ? つっても誕生日とか全然先だし、なんなら相原には誕生日教えてないし、じゃあなんなんだろうと考えていると、相原は何回か深呼吸したかと思えば、後ろに隠していたものを押し付けるように俺の目の前に差し出す。
「これ、受け取って!」
目の前に現れた可愛いらしい魚の模様が描かれた布に覆われたひと包みの何か。
相原の顔は明後日の方向を向いていて、俺と顔を合わせようとしない。横から見える耳はほんのり朱に染まっていた。
これって、あれだよな。
「時限爆弾?」
一人暮らしを黙っていた罰として、家に帰ったら爆発するように仕込まれたものとか?
「違う!お弁当!」
「ですよね」
うん、本当は知ってた。時限爆弾作れる高校生がいてたまるかよ。
恥ずかしそうに、でも包みは押し付けるように手を伸ばすので受け取る。ズッシリとした重みを感じる。包みの高さ的に一段ではないだろう。これ、生活の足しにしてくださいとか実は裏に金の小判入ってたりしない? しない。
なんで? 弁当を受け取ったはいいものの脳内では疑問の芽がそこかしこから顔を出す。そのせいでさっきから思考がおかしなことになってる。
「…………」
相原さんどうして俺を見たまま黙るのかな。吸い込まれそうな瞳が揺れている。恥ずかしそうに、でもどこか不安そうな雰囲気を醸し出して上下に揺れて焦点の合わない視線。
なにか言わなくては。そう思っても言葉が簡単に出てこなかった。やはりなぜ? の要素が強すぎて頭の中がこんがらがっている。だってこんなの、もうあれじゃん。辿り着きそうになる答えに蓋をして、俺は弁当を見つめる。
「えっと……ありがとう?」
「なんで疑問系?」
「目の前の現実が受け入れられなくて。ちょっと待ってて」
そうか、ワンチャン夢の可能性もあるよな。夢には痛覚がないからと、自分の頬を試しに思い切り引っ叩いて見た。乾いた音の後に、鈍い痛みがやってくる。現実だわこれ。
「なにしてるの?」
「夢と現実の確認をしてた」
相原はまるで変な奴を見てしまったかのような引き攣った表情をしている。え? この相原の表情も現実なの? 夢であってくれ。
「結果は?」
「現実でした」
いや、まじで現実なんこれ。だって俺今相原が渡してくれた弁当を持ってるんだぞ。まだ厳密には相原が作ったかどうかは確定できないが、まさか相原のお母様が俺のために弁当作るとかありえないだろ。相原が俺のために作るのもまあ中々あり得ないけど、少なくともお母様よりは可能性が高い。
「あの、この弁当って」
「私が……作りました」
相原が作ったのかぁ。俯きながら言うその仕草が可愛くて、胸を打たれ、俺は気付けば財布から野口さんを取り出し弁当のお返しとばかりに相原へ差し出していた。
「つまらないものですが……」
「…………」
あれ、俺としては弁当の正当な対価としてお支払いさせて頂こうと思ったんだけど、相原は口を大きく開けて固まってしまった。
そうか、俺は何を驕っていたんだ。相原の手作り弁当が千円で食べれるわけないだろうが。うちのクラスで弁当オークションに掛かけたら平気で万を超える代物だぞ。それを千円で食べようだなんて、どこまで愚かなんだ俺は。
「こんなんじゃ足りないよな!」
「違うわアホ!」
突然やってきたのは頭への衝撃。気づけば隣には杉浦さんが呆れた表情で立っていた。
「痛い。姉貴にしかぶたれたことないのに」
「お姉さんにはぶたれてるんだ……」
叩かれた頭を押さえながら恨めしそうに呟く。まじで痛いんだが。結構本気で叩いたな杉浦さん。
「目は覚めたろ?」
「まあ、たしかに」
脳に物理的な刺激を送られたことで、おかしくなっていた思考に冷静さが戻ってくる。なんだよ相原の弁当オークションって。んなことあるわけねぇだろうが。
「つまり、相原が俺のために作ってくれた弁当ってことで良いんだよな?」
壊れていた自分の脳みそを叱責しつつ、この状況を客観的に考えると、そう思う以外になんの答えも出てこなかった。
相原は俯きがちに小さく首を縦に振った。
相原が、俺のために、弁当を作ってくれた。やばいドキがムネムネなんですけどぉ。え、なにその恥ずかしがってる姿、可愛いんですけど。指を合わせてモジモジしてるの可愛いんですけど! もうずっと見てられるんだが……いかん、また脳が壊れるところだった。
こんな時は頭の中の篠宮姉妹に罵倒してもらおう。
『弁当のひとつで浮かれるとか雑魚じゃん』
『やひろはざこ』
やべぇ、頭がハッピー過ぎて脳内罵倒の切れ味がすこぶる悪い。女の子の手作り弁当で浮かれない男はいないだろ雑魚め。大事な時に使えない奴らだな。
でも脳みそにツッコミ入れたら少し冷静な自分が戻ってきた。
そんな頭によぎるのは、やはり最初の疑問。なぜ、相原が、俺に、弁当を作ってくれたかだ。
「この弁当、どうしてーー」
「え、えっとね!」
俺に、と言い終わる前に相原が早口で喋り始めた。
「昨日神崎君一人暮らしだって言ってたでしょ。それに晩御飯はコンビニか外食がメインって言ってて、それでは健康に悪いかなって思って、それに神崎君は私のお父さんのお店で頑張ってて、それはつまり私のお店で頑張ってくれてるってことで、じゃあそんな頑張る神崎君に日頃のお礼と健康のためにお弁当を作ってあげようかなって」
手をあたふたさせながら捲し立てる相原。
天使検定1級になったからもうだいたい聞き取れた。
ところどころ意味がわからなかったが、つまり日頃のお礼で作ってくれたと言うことか。
「なるほど、つまり感謝の印ということですな」
「ま、まあそんなところだよ!」
「お嬢……」
慎ましく、慎ましい胸を張る相原とは裏腹に、なぜか杉浦さんが大きなため息を吐いていた。
「とにかく、神崎君はもっと健康に気を使うべきなの!」
「了解です!」
これってそういう話だったっけ? と思うものの、たしかにコンビニと外食だけでは不健康には変わりないので、敬礼のポーズをしておいた。
なるほど、日頃のお礼だったのか。それからは相原と話すことなく、てかちょっと距離を置かれているような感覚に苛まれながら家に帰った。
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