第38話 夜空を見上げて

「それにお嬢はあれだ、長年見てきているからもう妹みたいなもんだな」

「本当の妹はいないんですか?」

「いるけど、あいつ俺を見る度に『まだ呼吸して地球に迷惑かけてるんだ』とか言うくらい俺のこと嫌ってるからなぁ。ははは」


 え、なにその規模の大きい罵倒。呼吸で出る二酸化炭素が地球温暖化に影響するから死んだ方がいいってこと? 散々な言われようなのに楽しそうだな。


「ここまで嫌われると、次はどんな罵倒をされるか逆に楽しみになってくんだよな」


 もしかして度が過ぎると逆に仲良くなるみたいな感じなのかな。


 でも少しわかってきたぞ。杉浦さんは恋愛対象になり得る女の人には話しかけられないけど、家族や柳さんみたいに恋愛的に全く興味のない人には普通に話せるみたいだ。柳さん俺はそんなこと思ってないですからね。心の中で謝っておく。でも俺は相原一筋なんで。


「じゃあ相原や柳さんと話すみたいに他の女の人にも話しかければいいじゃないですか? 俺はなんでそれが出来ないかわからないですよ」

「それができたら苦労はしねぇよ。神崎には俺の純情さがわからんか」

「ええまったく」


 はたしてそれは純情と言えるのか。女の人に対して臆病なだけと言い換えられるかもしれない。


 臆病、か。俺も人のこと言えないよな。


「そういえば、長い間相原を見てきたって言いましたけど、杉浦さんはいつからバイトしてるんですか?」

「高一からだな」

「俺より1年早い。てことは6年目ですか」


 つまりもうすぐ小学校入学から卒業までの年月をバイトで費やすことになるのか。


 杉浦さんがバイトを始めたころの相原は小学校高学年。まだランドセルを背負った相原を見ているだと……。今でさえ神々しい天使のリアル天使期間から成長を見ている。それはたしかに妹扱いも頷ける。なんて羨ましい。


「もうそんな経つのか」


 感慨深そうに言って煙を吐く。


「そう考えるとお嬢こそ真の妹と言えるかもしれんな。顔見ただけで舌打ちしないし」


 杉浦さん妹にどんだけ嫌われてんだよ。顔見ただけで舌打ちするような関係って、むしろなぜそんな関係になったのか経緯を聞いてみたいわ。


「お転婆だったお嬢が見事に可愛く成長したよなぁ。お兄ちゃんとして鼻が高い」

「本当の妹はいいんですか?」

「は? 俺の妹はお嬢だけだが」

「そうですね」


 一人また、地球温暖化防止のために存在を抹消されたようだった。杉浦さんがさっき楽しそうに話していた人はもう妹じゃなくなったみたい。


「まあちょっと危ない時期はあったけど、結果的にはお嬢を成長させたみたいだな。あれからお嬢は社交的になったようだし」

「危ない時期?」

「ま、そこは気にすんな。俺が話せることじゃない」


 杉浦さんは残りを一気に吸い切って、タバコを灰皿に捨てた。


「人間誰しも人には言い辛い秘密はあるもんだ。お前みたいにな」


 そう言って杉浦さんは、俺わかってるんだぜ? と含みのある視線を俺に向ける。


 それがなんだか嫌な感じがして、俺は杉浦さんから目を背けて視線を空に移した。曇り空。月や星が見えれば綺麗ですねと話題転換できそうなのに、都合の悪い天気だ。


 でも、視線を外してから気がつく。こんな質問をされて視線を外したら、俺は人に言い辛い秘密を抱えていますと自白しているようなものだ。


 自然と視線を戻したが、案の定杉浦さんはそれに気がついたようで、フフと鼻で笑う。


 背中に緊張感が走る。


「そんな怖い顔すんなよ。別に深く聞くつもりはねぇよ」


 俺はそんな怖い顔してたのか。いかんいかん。いつでもスマイル八尋君だ。怖い顔してたら迷子のゆいかがまた俺を見た時に泣いてしまう。


 それを想像したら、ゆいかに馬鹿にされる自分の姿が見えて、不思議と緊張が解けていくのがわかる。


「杉浦さんは俺が何を隠していると思ってるんですか?」

「一人暮らしを隠していた理由、本当かもしれねぇけど、あれが理由の全部じゃないだろ?」


 この人普段はおちゃらけてるのに意外と人を良く見ている。俺は観念したように両手を上げた。


「うまく誤魔化せたと思ったんですけどね」


 実際相原は納得してくれたし、うまく行ったと思ったんだけどな。ただ、相原には深層の部分を隠し通せたので、杉浦さんに気づかれたのは予想外だけど結果としては問題ない。


「男の溜まり場にしたくないなら、お嬢にまで隠す理由はないだろ?」

「相原がバラすかもしれないのに?」

「お嬢がそんなやつじゃないってお前もわかってるだろ?」


 顔は笑っているけど言葉には力強い意味が籠められていたように感じた。お前はお嬢の何を見てきたんだ、と言う裏側の言葉を。


「そうですね。失言でした」


 今のは冗談でも相原を信用していないと言っているのと同じだ。杉浦さんもそれがわかっていたから語気が強くなったのだろう。


 相原は信用できると思う。そう俺自身が思っているからこそ、冗談でも本人がいないところで彼女を下げる発言をしてしまったことを反省する。これでは、俺が本当は相原を信用できていないみたいじゃないか。


「最初に言ったけど、深く聞くつもりはねぇ。でもな神崎、最後に人生の先輩から一つ助言してやるよ」

「恋愛に関してはあてにならなそう」


 さっきまで酔っ払っていたとは思えない真剣な眼差しに、俺はあえて水を差した。


「うるせえな! 真面目な話だ」


 俺の茶化しで雰囲気が壊されたのか、杉浦さんは咳払いを一つ入れて仕切り直す。


「なあ神崎」


 そこからやりなおすのか。


「お前がどんな悩みを抱えているかはわからねぇけど、あまり目を逸らしすぎるなよ。誰も幸せにならねぇぞ」

「実体験ですか?」

「さあな。さ、帰るか」


 話は終わりだと言わんばかりに、杉浦さんはそそくさと足を進めた。生暖かい夜風に煽られながら、俺たちは帰路に着いた。


 目を逸らすな、か。中々手厳しい指摘だな。あの人はどこまで俺を把握してるのか、それともただ勘で言っているのか。そもそも、今日俺を飯に誘った理由だってどこまで本当だったのか。


 ただまあ、深く踏み込まない辺りが俺と杉浦さんの距離感を表している。


 杉浦さんの後ろを歩きながら見上げた夜の空は、相変わらず雲一面で覆われていた。

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