第37話 凡人は自分を外す

 時間を待たずにキュウリと枝豆がテーブルに運ばれてきた。そのタイミングで杉浦さんはビールをおかわりした。飲むの早いなおい。


「で、今日はどうして突然俺を誘ったんです?」


 キュウリを口に運びながら尋ねる。うわキュウリしょっぱ。明らかに飲み物が欲しくなる味付けだなぁ。


「いやさ、最近お嬢に神崎とられてばっかだから寂しくなっちゃってよ」


 杉浦さんはビールを飲んでは枝豆を食っている。渋いなと文句を言いつつも枝豆を食べる手は止まらない。


「べつに行きたきゃいつでも言って下さいよ。相原だって文句は言わないでしょ」


 バイト後はお互い特にやることがないならせっかくだし少し話そうよ、的な感じで相原とは話している。相原と話すのは楽しいけど、それをしなければいけない理由はないし、変に義務にするような関係性にはなりたくない。現に今日だって快く送り出してくれたんだし。


「お前はそういうけどなあ、これが意外と誘いづらいんだぞ」

「そんなもんですか?いつでも誘ってくれていいのに」

「はあ、わかってねぇな」


 杉浦さんは残ったビールを一気に煽り、グラスをテーブルに叩きつけるように置く。うるさい。ちょっと店員さんビビってたし。杉浦さん金髪にピアスとか付けてるから、はたから見れば怖い客なのかもしれない。まあ、わからんでもないが話せば普通にダウナーな大学生だし、俺は特に反応しない。


 動きが大雑把になっているところを見るに、少し脳味噌がバグってきてるな。


「いいか神崎、お嬢はとんでもない美人だ。それはわかってるな」

「当然です」


 愚問である。


「そんなお嬢が最近熱を上げている男がいる」

「なんだって⁉︎」


 自然と烏龍茶を持つ手が震える。


「俺は長年お嬢を見てきたが、お嬢が自分から異性にアプローチをするのはかなりレアだ」

「そいつはいったい……」


 どこのどいつだそれは。そんな素振り全然見せていなかったのに、相原はいつのまにそんな男を見つけて熱を上げているんだ。こいつは絶対にどんな男かこの目で確かめなくては。相原美咲を見守り隊の隊長として、天使の笑顔を脅かす危険があるか判断させてもらおう。余談だが、相原美咲を見守り隊の隊員は俺一人だ。


「そんなお嬢の姿を見るとだな、つい保護者的な視点になって見守りたくなっちまうんだよ」

「なるほど、俺はそいつをぶん殴りたいですけどね」

「え? お前本気で言ってんの」

「あ、やっぱいきなり暴力は良くないですよね」


 この目で見極めると思った側から暴力に訴えかけようとするのは確かに間違っている。まずはどんな男かしっかり見極めてからぶん殴らないとだめだよな。さすが先輩。後輩が道を踏み外そうとした時は正しい道へ誘導してくれる。でもここは絶対ラーメン屋じゃない。チャーハンないし。


「しかしいつのまに相原にそんな影が」

「あのなぁ神崎……」


 杉浦さんは据わった目で俺を見つめているような、いやなんとなく視線が合っていないような。


 先ほどよりほのかに顔が赤くなっている。


「いいか!」

「うわっ、突然の大声。酔っ払ってますね?」

「酔ってない」


 酔っ払いってみんなそう言うらしいよ。


「お嬢はな…………」


 そう言ったところで杉浦さんの言葉が止まる。しかし視線はある一点を見つめたかと思えば、まるで人の動きに合わせるかのように追従して動く。


 気になってその方を見れば、和テイストな制服に身を包んだ女性の店員さんの姿があった。大学生くらいかな?長い黒髪が制服とマッチして大和撫子な雰囲気を漂わせている。


「あの子可愛いなぁ……」


 杉浦さんは自然と言葉を漏らしていた。この意味不明な興味の移り変わりは完全に酔っ払いのそれ。


 しかし、背筋がしっかりと伸びて、表情も自然な笑顔ができている。他の客から声が掛かれば直ぐに対応するし、動きに一切の無駄がない。


「なんて無駄のない動きだ……」


 杉浦さんが言うように彼女はとても可愛いと思うが、俺が目につくのは仕事の効率だった。


 常に周りを見て状況を把握しようと努めている姿は、いちアルバイターとしてとても参考になる。


 ならほど、状況確認が大事なのね。うんうん。


「ちょっと告白してくるわ!」

「は⁉︎ え⁉︎」


 俺がバイトの心得を勝手に学んでいたところで、杉浦さんは急に立ち上がり、あの店員さんの所へ向かって行った。


 おいマジかよ。一目惚れしたとしても行動が早すぎる。あっほら、なんか丁寧に頭下げられてるし。まさか毎回こんな感じで女の人にアタックして玉砕してんの?そりゃ彼女できるわけないでしょ。


 とぼとぼ帰ってくるところを見るに、案の定完膚なきまでに玉砕してきたようだった。


「神崎、もうこの店に用はねぇ」


 あんたこの店に何しに来たんだよ、と喉から出かかった言葉をすんでのところで我慢した俺は先輩思いの後輩。可愛い女の子にかき消された、お嬢はな……の続きを話す雰囲気ではないようだ。


「せめてラーメンは食わしてください」


 吐き捨てる杉浦さんに、まだキュウリしか食ってないことと本来ラーメン食べに来たんだよなと思い出した俺は、ラーメンと餃子、ついでにデザートと水を頼んでおいた。水は杉浦さん用。


 さっき杉浦さんが振られた店員さんがせっかく注文を取りに来てくれたのに、杉浦さんは机に突っ伏して気だるそうにしていた。あの子からの評価さがりますよパイセン。


 その後、俺がご飯を食べている間に水を飲んでトイレに行った杉浦さんは、店を出る頃にはほぼ素面の状態に戻っていた。この人枝豆しか食ってないけど大丈夫なのか。ラーメン食いに来たんじゃなかった?


「酒の力を借りて行けばなんとかなると思ったんだけどな」


 会計を済ましてもらい、店の前にある喫煙所にて、煙草を咥えながら杉浦さんは言った。


「いや、最悪の手段でしょそれ」

「…………マジ?」


 なんでそんな驚いた表情なんだよ。むしろ俺がマジ? って聞き返したいわ。


 恋愛素人の俺ですら酒に酔った勢いで告白はどうなの? って思うんだけど、世間一般はそうじゃないのか? しかも初対面の一目惚れっぽい感じだったし、攻めにしては最悪の一手じゃね?


「じゃあ俺もう告白の手段ねぇんだけど」

「普通に仲良くなってからすればいいでしょうに」

「は? それができてたら苦労しないんだが?」

「じゃあ諦めましょう」

「そんなこと言うなよ……ったく女子と仲良くなるってどうすればいいのかね……」


 吐き出したタバコの煙が空中で霧散していく。


「大学で話しかけてもみんなビビってすぐ逃げんだよな。神崎なんでかわかるか?」

「いやぁ……わかんないですね」

「だよなぁ……」


 それはもう見た目の話ですよ絶対という言葉を地面に埋めて、俺はさも知らない体で返事をする。


「はあ、美少女降ってこねえかなぁ」

「それ前も言ってましたね」

「お前は普通に女子と話せそうだよな。なんかコツあんの?」

「普通ってどういうレベルですかね?」


 普通に女子と話す、の普通とは何なのか。俺だって仲が良い女子は相原と篠宮くらいしかいないけど、あそこまで仲良く雑談できるレベルが普通なのか。他の女子と世間話程度の話をするのが普通なのか。人によって価値観が違うものの普通は判断に迷う。


「お前そりゃあ、挨拶できるレベルだろ」

「ピュアかよ⁉︎」


 あまりにピュア過ぎる発言に思わず素でツッコミが入った。突然俺が大声を出したもんだから杉浦さんが手に持っていたタバコが地面に落ちる。


「ああ……タバコが……急に大声出すなよ」

「す、すいませんつい」


 ライトに照らされた地面で切なそうに燃えているタバコを、杉浦さんさ残念そうに見つめている。たしかにまだ吸える長さは残ってるな。さすがにもう一度拾おうとはせず、杉浦さんは靴で火を消して吸い殻を捨てた後に、新しいタバコに火をつけた。


 いやそんな実況してる場合じゃない。なにあのピュアな発言。あの人女子に挨拶すらできないのかよ。で、頑張って挨拶したら逃げられる。


「挨拶くらいできない方がおかしいと思ったんでつい」

「マジかよお前……俺より進み過ぎだろ」


 タバコを吸うのも忘れて杉浦さんは言葉を失っている。


「挨拶くらいできない方がおかしいんですよ」

「そんなことねぇって。挨拶して無視されたらどうしようとか、キモ……とか言われたらどうしようとか考えたら話しかけられねぇよ」


 どんなトラウマを植え付けられたら女子に挨拶することすら躊躇うメンタリティになるのだろうか。


「でも相原とは普通に話せてますよね? あと柳さんは?」


 女子と話せないと言う割には相原とは普通に話している。あんな感じで他の女子にも話しかければいいんじゃねぇの?


 柳さんだって同じ大学生の女性アルバイターだし、話すら出来なかったら一緒に働くの難しいだろ。


「柳はなんか普通に話せんだよな。そうなるとあいつ女じゃねぇんだな」

「柳さんに聞かれたらぶっ殺されそうですね」


 柳さんと杉浦さんはしょっちゅう口喧嘩をしているとボスが言っていた。犬猿の仲ではなく、真面目な柳さんが杉浦さんのことをよく思ってないようだ。


「あいつのゴミを見る目は慣れてるから大丈夫だ」


 慣れてるから大丈夫ってより、その目をされないようにしようとか考えないのかな。

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