第36話 知ってるラーメン屋と違う
「じゃあ他のみんなには秘密にしておいて」
一人にバレたからもう全員に言っちゃえ、とはならない。我が家の平穏無事を守るためには、秘密は必要最低限の人数に絞らなくてはならない。本当は相原にも知られたくなかったが、この際もう仕方ない。ボスが知っていたらその娘の相原が知っていてもおかしくはないし、杉浦さんに徹底して言わなかった俺が悪い。今日はチャーハンもつけてもらうことで手を打とう。
「わかった。誰にも言わないね」
「これで誰かに一人暮らしの話題を振られたら相原が犯人で確定だな」
「そうやってすぐ意地悪言う」
相原はニコニコしながらリズムに乗るように体を左右に揺らしている。メトロノームかな。
「嬉しそうだな」
「えへへ。二人だけの秘密ってなんかいいよね」
「そうか?場合によっては弱みを握られてるとも言えるんじゃね?」
「後ろ向き過ぎない?」
天使様は苦笑をこぼす。
でもさ、おい神崎いいのか? あのことバラすぞとか脅されるかもしれないじゃん? 秘密の共有って情報を話した側にはリスクでしかないよなぁ。常にバラされる不安とのせめぎ合いで、心配性の人は気が気ではないと思う。
俺は、まあ相原なら問題ないだろう。これが井上とかだったら1日でクラス中に広まると思うわ。あいつマジでスピーカーだからな。この前も誰々が誰々に告白して振られたとか大声で言ってたし、あいつにだけは知られたくないな。
「よく考えたら俺と相原のこの関係性も学校では秘密だしな」
二人だけの秘密は2個目だった。
「私はべつに知られても問題ないけど」
「ははは。相原、この関係がクラスに知れてみろ。俺が殺されるぞ」
「そんなに?」
「男の嫉妬は怖いんだぞ」
俺のバイト先は相原の家族が経営してて、それでバイト後には相原と仲良くお喋りしてますと知られた場合、まず山と川のどっちが好きか聞かれるだろう。ちなみに俺は海派な。
それが意味するところ、つまりどこで死にたいかと言うこと。クラスの天使的存在の相原と隠れて仲良くしてましたなんて言ってみろ。俺が言われる立場でも殺意の波動に目覚めるんだから、バレたらどうなんのかなんて想像に難くない。
「そっか、俺って相原に命を握られてるんだな」
改めて考えると、相原はいつのまにか俺の殺生与奪権を完全に握っていた。そしてさらに相原は俺になんでもお願いできる券までこしらえていらっしゃる。俺、もう既に相原に逆らえなくね?
「そんなことないと思うよ?」
「まあ二人だけの秘密は大事にしような」
「まかせて!」
頼んだ相原。俺の命を守るためにも!
その後は相原とお話し合いを控えて、テンションだだ下がりのボスを見ながらみんなで締め作業を終わらせた。ションボリしているボスは普段の理想の大人の男性像からは想像できなくて、可哀想と思う反面、少し面白かった。
「じゃ、お疲れ様でした」
「お先でーす」
バイトもあがりとなった俺と杉浦さんは、挨拶をしてから店を出た。最後のボスの顔、まだ帰って欲しくなさそうな顔だったなぁ。このあと本当に嫌なんだろうなというのがヒシヒシと伝わってきたが、俺はラーメンの方が楽しみなのでごめんなさいボス。
ちょっと歩くぞ、と言われて杉浦さんの隣を歩く。春の夜道だと言うのに、頬を撫でる夜風にはどこか湿った暖かさを感じた。最近は5月なのにもう夏のような装いを纏い始めている。
「5月って、やっぱもう夏に片足突っ込んでるよな」
俺と同じことを思ったのか、杉浦さんがポツリ呟く。
「昼間とか日によっては暑いですもんね」
「俺この前冷房付けちったよ。まだ5月なのに」
冷房をつけるイコール夏の図式はたしかにある。暦上はまだ春なのに冷房を付けると、不思議と負けた気がするんだよな。何と戦ってるかなんて全然わからないけど、気分的に負けたように思えてしまう。
「さっきのことなんだけどな」
少し早足で俺の前に出た杉浦さんが夜空を眺めながら言った。あいにく雲がかかって星空は見えない。じゃあなにを見てるんだ?
「なんのことです?」
「一人暮らしのこと。お嬢にバラしちまった」
杉浦さんの言葉からはどこか元気を感じない。しおらしい雰囲気の杉浦さんなんて見たことがなかったから、思わず口元が緩む。
「じゃあチャーシュー麺大盛りとチャーハン。それで手を打ちましょう!」
だから敢えて俺は元気良く反応する。静かな夜には声を張るだけで遠くまで響く。近所迷惑だったら謝ります。
立ち止まって気だるそうに振り返った杉浦さんは、纏う雰囲気とは裏腹に無邪気に笑う。
「はは、特別に餃子も付けてやるよ!」
「マジすか?ラッキー!」
どうやら本気で悪いと思っているらしい。餃子まで付けてくれるとは相当反省していらっしゃる。先輩の流儀と言いながら、ちょびっと値が張るメニューを頼むと目が泳ぐあの杉浦さんが、チャーシュー麺大盛りとチャーハンに餃子まで付けてくれるなんて。言ってみるものだな。
ごめんなさい、ええんやでの精神。まだそんなに一緒に時を過ごしたわけではないけど、変に気まずくならない杉浦さんとのこの距離感が好きだ。
バイト後の疲れはあるものの、ラーメン屋までの道中、俺の足取りは軽かった。
連れてこられたラーメン屋はどちらかと言えば居酒屋兼ラーメン屋といった趣を感じる。カウンター席よりもテーブル席が多く、壁にはおつまみのメニューが雑多に貼られている。
「チャーハン無いんですがそれは」
メニュー表を見ていてもチャーハンのチャの字も見当たらない。ラーメンはある。餃子もある。でもチャーハンはない。いやいや実は壁に貼ってあるんでしょと壁のメニューを凝視しても、ないもんはなかった。嘘だろおい。
「ぷはぁ、まあそんなこともあるってことだな」
杉浦さんは目の前でビール美味そうに飲んでいる。まだ大学3年生のはずなのに、幸せそうにビールを飲む姿は年季の入った社会人のそれ。ぷはぁとか若人の言うセリフではない。
俺の目の前にはソフトなドリンクの烏龍茶が置かれている。杉浦さんがふざけてウーロンハイを頼もうとしていたけど慌てて止めた。
「さっきの詫びだ。好きなもん頼んでいいぞ」
「そうですね。せっかくならなんかおつまみみたいなの頼んでみようかな」
呼び出しボタンを押すと、気前の良い返事をして店員が直ぐにやってきた。うん、完全に居酒屋だねここ。ラーメン屋じゃねぇわ。正直言うと店に入る前から薄々勘づいてた。
とりあえずキュウリの一夜漬けと枝豆を頼んでみた。
「注文が渋いな。高校生なら唐揚げとか頼むもんだろ」
「酒には枝豆が合うんじゃないですか?」
「そうかもしんねぇけど、お前が食べたいものを好きに頼んでよかったんだぞ?」
「でも居酒屋とか来たことないんで、居酒屋の定番メニュー食べてみたいんですよね」
「いやラーメン屋だからここ」
それはもう無理があるだろ……。
何ページもあるメニュー表の中でラーメンについて書かれたページは最後の方の1ページとかしかないし、なんなら餃子は逸品料理とかのページにひっそり書かれてるだけだし。これでラーメン屋とか言ったらラーメン置いてる居酒屋全部ラーメン屋になるぞ。
「ラーメンが食べられる居酒屋ですね」
「馬鹿だなそれをラーメン屋って言うんだよ」
「言わないです」
なんだこの人ビール半分でもう酔ってんのか? ちゃんとしたラーメンで勝負している人たちに喧嘩売ってるとか思わないのか。腕組んで上から見下ろしてくる人達に謝った方がいいと思う。多分ここそんなにこだわりの何かを使ってない。
周りを見てもラーメン頼んでる人が誰も居ない。せめて、俺にまだラーメン屋かもしれないと夢を見させて。ラーメン屋にホッケの開きは出ねぇんだよ。
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