第35話 天使は問い詰めたい

「神崎、この後飯行かね?」


 バイト後、片付けも佳境といったところで杉浦さんが飯を食べるジェスチャーを交えながら言った。


 杉浦さんとはちょいちょい晩御飯を共にしているので、今日もそのノリで言っているんだろう。


 とは言え最近は相原とのお話タイムがあったから、杉浦さんはちゃっちゃと帰っていたんだけど、今日は違うようだ。


「いいですね。行きましょうか」


 きっと相原に気を遣って遠慮していた部分もあったはずだ。それなのに俺を誘ってきたということはそれを差し引いても俺とご飯に行きたい理由があるということ。正直なにかは全然わからんけど、断る理由もない。


「神崎ならそう言ってくれると思ってたぜ。ちょっと気になるラーメン屋があんだよな」

「ラーメンですか。いいですね!」

「だろ? そしてイケてる俺は先輩としての流儀を通す」


 イケてる先輩の部分はさておき、先輩の流儀とは言ってしまえば奢りのこと。杉浦さんが俺を飯に誘う時は、基本的に杉浦さんがお金を出してくれている。曰く先輩ってのは後輩に奢るものなんだよ、とのこと。


 まあなんであれ、今回も例によって奢ってくれるようなのでご相伴に預かろう。


「さすが先輩!頼りになるぅ」

「ったく、都合のいい後輩だな」


 と言いながらも満更ではないのがこの人。


 ラーメンってなると俺はいつもの気のいい親父の店しか知らないから、新規開拓としていい機会だな。奢りだし。


「というわけでお嬢、今日はこいつ借りてきますよ」

「はい。大丈夫ですよ」


 テーブルを拭いている相原が顔だけ向けて答える。


「じゃあ今日はこの後杉浦さんとそのまま飯食いに行くから」

「うん。いってらっしゃい」


 柔らかく微笑む彼女を見てふと思う。


 あれ?俺いつから相原の所有物になったんだ? 今の完全に俺が相原のもの前提で会話進んでたよな。杉浦さんはともかく、相原も特に疑問に思ってないみたいだし、ここでの俺ってもうそういう扱いなの? 


 まあ、相原に所有されるのはそれはそれで天使のしもべとしては悪くないポジション。八尋、お座り!とか言われたらすぐに反応できる自信あるわ。


 脳内では、それ犬じゃん、と冷たく突っ込む篠宮の幻聴が聞こえた。俺もそう思う。


「でも神崎君、お家での晩御飯はないの?」


 相原の質問に、作業中の手が止まる。


「ああ、そこは気にしなくて大丈夫」

「そうなの?」

「そそ。よくあることだから」


 首を傾げる相原に、サラッと返事をした。


 なんで?と問われる前に強引に会話を断ち切り、俺は自分の作業に戻った。


 男には、秘密の一つや二つはつきもの。多少ミステリアスな方がより魅力的に映るってやつよ。


「何言ってんだよ神崎。一人暮らしなんだからそんなの気にする必要ないだろ」


 そんな俺のミステリアスな部分を、杉浦さんはいとも簡単にぶち壊してくれた。


「一人暮らし?」

「…………お嬢知らなかったんですか?」


 無言で首を縦に振った相原に、杉浦さんはやっちまったと表情を歪ませ、申し訳なさそうに俺をチラ見している。


 ついでに相原も俺に説明を求めるような真っ直ぐな目を向けている。


「手が止まってるぞ」

「神崎君が説明してくれたら動かす」


 何してくれてんだと細目で杉浦さんを見れば、目が合った杉浦さんは舌を出して気持ちの悪い笑みを浮かべる。テヘッじゃないんだよなぁ。


 相原はツカツカと一歩一歩地面を踏みしめる様に俺の目の前まで足を進める。自分のお父様の店なので優しくしてあげて。ほら、お父さんも気配消して空気に徹しようとしてないで助けてくれませんかね!娘さん怖いんですけど!


「どうぞ」

「どうも」


 椅子を引いて座るように促され、俺は諦めのため息を一つ吐いて席に座ると、相原は反対側に腰掛けた。両手で頬杖をついて俺を見つめる。


 またもやお店が取調室に早変わりした。ボス、カツ丼一丁。


「なにから聞きたい?」


 俺はもう開き直って言う。


 じゃあ、と前置きをして相原は尋ねる。


「一人暮らしは本当?」

「本当」

「いつからしてるの?」

「高校に入学する前から」

「なんで一人暮らししてるの?」

「家からだと学校が遠いから」

「普段晩御飯は何食べてるの?」

「コンビニか外食」

「どうして一人暮らしってこと隠してたの?」

「相原たちには言う必要がないと思ってたから」


 その言い方が冷たかったと受け取られたか、相原目が一瞬鋭くなり、また元に戻る。


「バイトの面接をする上でボスに説明したし、バイトの人たちには俺から言った。でも、そこだけの秘密にしてもらった」

「どうして?」

「そりゃあ……」


 どうする? 言うか? まあ隠しても仕方ないしな。


 一瞬言い淀んで、俺は続ける。


「一人暮らししてるなんて言ったら、俺の家が男のたまり場になるかもしれないだろうが!」

「…………それだけ?」


 自分が想像していたよりしょうもない理由だったのか、相原はぽかんと口を開けて固まった。


「それだけってなぁ、男にとっては重要なことなんだぞ」


 考えてみてほしい。え? 神崎一人暮らしなん? からなし崩し的に男どもの憩いの場になる俺の家の姿を。部活帰りのやつや暇人の溜まり場となり、俺のプライベートな時間が大幅に削られる未来を描くのは容易いことだ。それを回避するのがどれだけ重要なのか相原は理解していない。


 これもまた、男女の考え方の違いか。藪蛇になりそうだから聞かないけど、相原は何を想像していたんだろうな。


「なんだ、もっと複雑な理由があるかと思ってた。でも、お父さん!」


 突然大声で呼ばれて、空気に徹していたボスがビクッと肩を震わせた。あっ今何かレジの操作ミスったな。


「後で話あるから」

「…………はい」


 カタカタとレジを操作するボスに向かって言うその声音には、有無を言わせぬ力強さがあった。


 俺は目の前で相原家の力関係をまじまじと見せつけられているような気がした。ボス、絶対家でも相原とあんな感じの関係なんだろうなぁ。年頃の娘にはやはり頭が上がらないものなんだろうか。


 お父さんの洗濯物と一緒に洗わないで、とか言われたりすんのかな。相原がそんなこと言うとは思いづらいけど、俺が将来そんなこと言われたらしばらく部屋に閉じこもっちゃうかも。


 以前から思っているが、ここで見る相原は学校で見る彼女とは全然雰囲気が違う。なんというか、学校での相原はみんなに笑顔を振り撒く優しい天使様だが、ここでの相原は喜怒哀楽がはっきりしている気がする。あくまで俺の主観。


「神崎君も、私にだけ教えてくれないなんてひどいよ」

「いや、相原だけというか高校の人には誰も言ってないけど」

「私、口は硬いよ?」


 おや、会話のキャッチボールが片道キップになってるぞ。俺の投げたボールちゃんとキャッチしてくれ相原。そんな暴投してないぞ?ほら、近くに落ちてるから拾って。

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