第61話 天使の旅路②(美咲 side)
「前に君はどうして僕がいつもここにいるか聞いてきたよね」
当たり前になっていたベンチでの交流。ふと彼が語りかけてきた。いつも私から話しかけていたから、突然彼から話しかけられてビクッと飛び跳ねてしまった。話しかけるならそういう雰囲気を出して欲しい。いきなりだとビックリする。
彼はそんな私にお構いなしに言葉を続けた。少しはビクッとしたことに反応してもいいと思う。
「ここは、ペンギンが一望できる場所なんだ。下から見るのも良いけど、僕はここから見るペンギンが好きなんだよ」
「…………」
言葉が出なかった。彼も私と同じでこの場所を使用していのだ。それがたまらなく嬉しかった。なんで嬉しいんだろう?
「でも君はずっと本を読んでいるよね。ペンギンそれでちゃんと見れるの?」
「ああ、これのこと?」
彼は自分の持っていた本を私に渡してきたので、受け取ってパラパラめくると、それは海の生き物がたくさん載っている図鑑だった。
「ペンギンを見ながら水族館にいる生き物の勉強をしていたんだ。せっかくなら詳しくなろうと思ってね」
本を彼に返すと、彼は再び適当に本のページを開いた。
「毎日それをやってたの?」
「ああ、知人が年間パスポートをプレゼントしてくれてね。特にやることもないからこの際毎日通って隅から隅まで堪能してやろうと思ったんだよ。それに、君もここがペンギンを見るのに一番良い場所だと思ったから僕がいるにも関わらず隣に座ったんだろう?」
「え……?」
どうしてそれを知っているんだろう。彼を初めて見たのはこのベンチに座っている時なのに、それでは辻褄が合わない。彼はもしかしてエスパーなのだろうか。
思考を巡らせている私に彼は至極単純な答えを示してきた。
「どうして? と考えているね。簡単な話さ。僕がここに初めて来た時、君はここからとても穏やかな顔でペンギン見ていたからね」
どうやら私は気づかない内に彼に見られていたようだ。たしかに彼を初めて見たのはあの時だったが、それ以前に彼がいなかったとは誰も言っていない。
とても単純な答えに納得すると同時に、彼の言った言葉に体の芯から熱くなっていく。
「ペンギンを見ている私ってそんな顔してたんだ」
穏やかな顔ってどんな顔だろう。変に崩れた顔じゃないよね?
「うん。あまりに穏やかだから試しに僕も座って見たら、たしかにここから見るペンギンはとてもいいものだった。気づけば僕の定位置になっていたよ」
「そこは私の特等席だったのに」
わざとらしく口を尖らせて不服の意を表明すると、彼は困ったように笑った。
「奪うつもりはなかったんだけどね。いつも隣は空けてたし」
3人は座れそうなベンチの端に彼は座り、またその反対に私がいる。人ひとり分の隙間を挟んで私と彼は座っている。
「例え空いてたとしても知らない人がいたらその隣に座ろうとは思わないよ」
「そんなものなのかな?」
と彼は驚いたようの言うので、そんなものだよと返しておいた。驚くほどの答えではなく、一般的な回答だと思うんだけどな。彼は気まずいとかそういう感情は持ち合わせていないのかもしれない。
思えばいきなり泣いてる私にハンカチを渡してくる程豪胆な性格なのだから、私が気まずくて座れなかったと言っても納得してくれないかもしれない。
そして思う。私も彼みたいに強い心を持っていればこんな状況でも強くあれたのだろうかと。
「ねぇ……私の話聞いてくれる?」
私がそう問いかけると、彼は読みかけの本をパタリと閉じた。私が真面目な話をしたい雰囲気を察してくれた無言の肯定だった。
話すべきなのかそうでないのかはわからなかった。こんなことを話したって彼には関係のない、ただの迷惑な話だ。それでも、彼ならちゃんと聞いてくれるのではと思わされる雰囲気を感じた。私は大きく深呼吸をしてから、小さな勇気を振り絞って話し始めた。
「私……今イジメられてるんだ。私ってさ、結構モテるんだよね。だから色々な人に告白されたきたんだ。興味もない人に告白されても困るだけだから、いつも断っていたの」
ひとつひとつ、言葉を探しながら伝える。
丁寧に断っているつもりだったけど、それでもう一度アタックされても困るので、なるべく丁寧にあなたを好きになることはないと言ってきた。
「それが気に入らない女子がいるのはわかってたの。でもあいつ可愛いから調子乗ってるって陰口を言われても私は気にしなかった。勝手に妬んで何様なのって思ってた」
今思えば、もう少し歩み寄るべきだったのかもしれない。でも、仲良くない人達に告白をされ続けて、私も少し嫌気が差していて、それを考える余裕がなかった。当たり障りなく断るのは神経を使う。
「ある日全く接点のなかったサッカー部のキャプテンに告白されたんだ。好きだって。話したこともないのにだよ?顔はカッコ良かったかもしれないけど、私はそんなの興味ないしいつも通りごめんなさいしたんだけど、それが気に入らなかった人がいたみたい。クラスの女子なんだけどね。彼のことが好きだったんだけど私に告白したのが許せなかったのか、それを私が断ったのが許せなかったかわからないけど、その告白を断った次の日から私は無視されるようになった」
初めは無視だけだったのに、それは段々エスカレートしていき物理的なトラブルも起こるようになった。わざと体をぶつけられたり、体操服が無くなっていたり、聞こえるように大きな声で悪口を言ったり、周りへの脅迫、などなど。それがクラスでも影響力を持つ女子が行うと、巻き込まれたくない女子は彼女に追従する。
私はただ普通に過ごしていたいだけなのに。
「そうしてクラスで私の居場所はなくなったんだ」
まだ何も解決してないけれど、今までの出来事を彼に話したことで心が少し軽くなった。誰かに話しをするだけでこんなにも違うものなんだと驚く。
彼は何か言葉を探すように天を仰いで、やがてこちらを向いた。彼の真剣な眼差しが私を捉える。初めて真正面から彼の顔を見た気がする。
「頑張ったね」
そして彼は優しく微笑んだ。
「あ、あれ?」
何か違和感があると思って頬を触れば、もう出尽くしたと思っていた涙がまた溢れ落ちていた。
彼はそんな私を見ても表情を変えず、空いた隙間を埋めるように私の近くに座った。
「おかしいな。こんなはずじゃなかったのに」
泣くつもりなんて微塵もなかった。ただ話を聞いてもらいたかっただけなのに。それでもまた涙は流れ続ける。私はこんなにも涙脆い女だったのか。
違う。そうじゃない。悪いのは彼だ。彼があんなことを言うからだ。お父さんやお母さんは事あるごとに大丈夫かと聞いてきてくれたけど、私はそれに大丈夫と答えるしかなかった。大丈夫なんかじゃないかもしれない。
だけど、ただでさえ心配させているのにこれ以上心配させるわけにはいかない。だから私は頑張った。心が疲れた時にはここで回復してまた学校を耐え忍んだ。
どれだけ無視されようと、物を隠されようと、悪口を言われようと、仲が良い友達が保身のために私を遠ざけようと、全部我慢した。私が折れたら彼女達の思う壺だから、負けるわけにはいかなかった。そう、私は頑張っていたんだ。
頑張ったね。たぶん今一番欲しかったその言葉を聞いて、私の感情は決壊してしまった。
「胸を涙で濡らされるのは慣れてるんだ。泣き顔は見られたくないよね?」
この人は不器用だ。僕の胸を使っていいと素直に言えばいいのに。でも、我慢できそうにないから大人しく胸を借りることにした。
「私頑張ったんだよ……負けないように頑張ったんだよ……」
「そうだね」
彼の胸の中で、私は自分の本音を包み隠さずぶち撒ける。
「どうして私がこんな目に遭わないといけないの……好きでもない人の告白を断ったことがそんなにいけない事なの? ここまでされなきゃいけないの⁉︎ 私、間違ったことしてないのに! なんで! なんでよ!? どうして……どうして私なの! もうこんなのが続くなんて嫌だよ! 嫌!」
本当は嫌だった。どれだけ繕おうと心を閉ざそうと、こんなことがずっと続くのは耐え難いことだった。
「もう……つかれたよ……」
嫌だ。嫌だ。毎日朝起きたら憂鬱な気分になるのが嫌だ。私が教室に入った瞬間、クラスの空気が重くなるのが嫌だ。物を隠されて探す私を嘲笑うあいつらが嫌だ。本当は、もう心が限界だった。
優しく背中を撫でてくれた彼の胸の中で、私はしばらく嗚咽を漏らし続けるのだった。
「お見苦しいところをお見せしました……2回も」
一通り感情を爆発させ、冷静さを取り戻した私は恥ずかしさと申し訳なさでまともに彼の顔を見ることが出来なくなっていた。
私はどうしてしまったのか。同じ相手に2回も醜態を晒してしまった。でも、心は少し晴れやかだった。私の頑張りをわかってくれる人がいた。その事実だけで私は救われる。
名前も知らないのに、ほかの誰よりも私の恥ずかしい部分を見られているのに、ここだけでしか会えないからこそ心の壁が薄くなっているのかな。
「君がスッキリしたならそれでいいよ」
ブレザーの奥にある白いシャツが私の涙で滲み、奥の肌着が見えるようになっていた。うう、恥ずかしい。
彼は特に気にした様子はなく、視線はペンギンに注がれていた。私は、その横顔から目が離せなくなっていた。
「あの、本当にごめんね。制服汚しちゃって」
「気にしなくていいよ。胸を濡らされるのは小さい頃から慣れてるから」
「ふふ、なにそれ」
ため息混じりに言う彼の言葉がおかしくて、私はつい笑みを溢した。今まで気を張ってばかりいたから、なんだか久しぶりに笑った気がする。
胸を濡らされ慣れているとは、彼は中々に罪作りな男の子のようだ。
「やっぱり」
彼は私を見て、そして優しく目を細めて言う。
「君は笑っている顔が一番可愛いね」
「ほぇ⁉︎」
「どうしてそんなに驚くんだい? 可愛いなんて言葉は言われ慣れてるんじゃないの?」
「そ、そうかもしれないけど、そうかもしれないけど! 君に言われるとなにか違うの!」
彼の顔がまともに見れず、私は逃げるように顔を下に向けた。自分の手が小刻みに震えているのが見える。
彼の言う通り、可愛いなんて言葉はそれこそ朝の挨拶と同じくらい言われ慣れている。そのはずなのに、目の前の男の子に言われただけで、私の心臓の鼓動がどんどん加速していき、身体中に熱が駆け巡る。私はいったいどうしてしまったんだろか。
「急に褒めないでよ! 照れるでしょ!」
顔を弾くように上げて彼を睨む。まさか褒めただけで睨まれると思っていなかった彼の目がいつもよりすこし開かれる。
我ながら酷く自己中心的な物言いだ。
「君は相変わらず理不尽だね」
彼は困ったように笑い、つられて私も笑った。
醜態を晒したせいか、私は彼にどんなことを話しかければいいのかわからなくなっていた。男女二人が黙ってペンギンを眺める不思議な時間がいくらか経過した時、彼はおもむろに口を開いた。
「さて、これからのことを話そうか」
「これからのこと?」
「君は僕に勇気を出して話してくれた。だから次は僕が応える番だ」
「そんな、そんなこと気にすることないのに……」
私に胸を貸してくれた。私の頑張りを理解してくれた。それだけで私の心はかなり救われている。私が勝手に相談しただけなのに、それで彼が何か責任感を持つ必要なんてどこにもないんだ。
そう自分に言い聞かせても、私は彼の言葉が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
「一度関わったことはやりきる。僕の信条なんだ。だからお節介と言われようと、僕は僕の意思で君の手助けをする。だから君が気に病むことはないよ。これは僕が勝手に言うだけだから。嫌なら無視すればいい」
「うん……ありがとう」
私は彼の好意に甘えることにした。仮に解決しないでも、私は彼を責めることなどありえない。それでも、自信満々に言う彼ならば何とかしてくれるんじゃないかと言う期待感があった。だから、私は彼を信じてたい。もう、私は俯きたくない。
「それを言うにはまだ早いかな」
さて、早速なんだけどと始まり、彼はこれから私が取るべき行動を提案してくれた。
「大丈夫。騙されたと思ってやってみてよ」
そう言った彼の言葉には、どこか確信めいた自信を感じた。
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