第60話 天使の旅路①(美咲 side)
短く纏めきれず大長編になってしまいました……。全10話です。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
中学3年生の前半。この時期、私の心は荒んでいた。
クラスでも居場所がなく、仲がいいと思っていた友達も始めこそ声をかけてくれていけれど、気がついたら私と距離を置くようになっていた。それでも彼女たちを責めるつもりはない。私と話せば次は自分たちも巻き込まれるかもしれないのだから、自衛の意味でその選択は間違いではない。私だって彼女たちと同じ立場であればそうしてしまうだろう。
理屈の上では理解できても、感情は別問題。寂しくないと言えば嘘になる。初めの方は寂しくて泣きそうになったこともあったけど、人間慣れるものでそれが当然のことになれば感情も無く耐え忍ぶこともできる。
下駄箱の中にゴミを入れられたり、クラス中の女子から無視されたり、心を殺せば大したことではない。どうせあと1年もないんだ。終わりが決まったことならば、そこまで我慢すればいい。
クラスの男子も私に話しかけることはもうないだろう。今頃相手にしなくなるくらいなら初めからそうして欲しかった。言ったところでもう意味はないけど。
心を殺して耐えていても、やはり少しずつ精神は磨耗していく。だからこうして疲れた時に水族館へやってくる。
水槽という囚われた檻の中で自由に泳ぐ魚たち。ぼーっと魚の流れを眺めているだけで心が癒される。疲れた心に水族館の落ち着いた雰囲気が優しく溶け込んでいく。
中でも好きなのはペンギンだ。2階にある広場のベンチからペンギンエリアを見下ろすのがマイブームだった。透明な柵になっているこの場所からだと全てのペンギンを一望できるので、実は隠れスポットなのだ。
今日もそこから可愛いペンギンを眺めようと思っていたのに、残念なことに先人がいたようだ。後ろ姿から男の子だと言うことがわかった。見たことのない制服を着ているから少なくとも私と同じ学校ではない。
この水族館は家から多少離れたところにある。だからこそここに来たからにはこの隠れ特等席でペンギンを眺めると決めていたのだけれど。
「まあ、そんな日もあるよね」
3人掛けベンチの端に座っているだけなので、行こうと思えば隣に行けるんだけど、わざわざ知らない人の隣に座る勇気は私にはない。
そう思ってこの日は2階から軽くペンギンを眺めるだけに留まった。また次の機会にすればいいしね。
と、たかを括っていたのだけれど。
「え、またいる」
次の機会も、またその次の機会も彼は私の特等席を陣取っていた。決まって同じ場所。ペンギンを見ているのかわからないけど、一度横から覗いた時は本を読んでいたことだけは確認できた。
こう何日も同じ場所を、いや私のお気に入りの席を奪い続ける彼への理不尽な怒りが沸いてきた。
そこは私の席なんだよ? 最初にここからペンギンを眺めたら最高だと気づいた私の席なんだよ? ペンギンを眺めているのならいざ知らず、本を読むだけなら退いて欲しい。私はそこからペンギンを見たいのだ。
「……いついなくなるの?」
またまた別の日でも、彼は決まってそこにいた。もはや怒りを通り越して変な気持ちになっていた。私がいる時に必ず彼もいる。もはや毎日来ているんじゃないかと思うくらい彼はいた。
こうなったら確かめてやろうじゃないか。その日から一週間、学校が終わると毎日水族館へやって来てはこの場所の確認に来た。わかったことは、平日は毎日居て、ずっとこの場所で読書をしているということだった。
「本当に毎日いたんだ」
私が初めて彼を見つけたのは二週間くらい前。つまり彼はその時から毎日来ていたのだろう。ならもっとここじゃなくて色んなところを見にいけばいいのに。なんでここなの?
気づけば私はよく顔も見たことも話したこともない男の子に興味を持っていた。初めてのことだった。今まで数々の男の子が言い寄ってきたけれど、自分から異性に興味をもつことなんてなかった。だからこそ、私は自分の気持ちに戸惑っていた。
「……よし」
小さく呟き、私は意を決して彼が座るベンチの横に腰掛けた。彼は横目で私を一瞥したけど、それきり興味を無くしたのかまた自らの世界に浸っていく。
それがなんだか無性に悔しかった。
自慢ではないが、私は自分の容姿が人よりかなり優れているのを自覚している。男子からは人並み以上に告白されているし、異様に気を遣ってくれることが多い。そんな下心を目にし続ければ、自然と自分の容姿が良いことに気がつくものだ。大して仲良くもないのに告白してくる男なんて、外見しか見ていないからお断りだけど。
この男の子からは私への興味を一切感じない。私はそれが新鮮で、また悔しかった。クラスに居場所のない私は、もう他人から見ても魅力に感じないのだろうか。
下のペンギンを眺めていると、一羽だけ群れから逸れている子がいた。まるで私のようだ。
あるグループに入ろうとしても、威嚇や攻撃をされてまた一人になる。この前まではそんなことなかったのに、この少しの間で何かあったのかな。ちょっとしたことで人間関係が壊れるのを身をもって体感しているからこそ、今のあの子の状況に共感できた。
不意に横から何かを差し出された。ハンカチだ。
男の子なのに用意いいなとか、なんで急に差し出したんだろうとか思いながら受け取る。
「あの――」
「隣で泣かれると気が散るんだ。これで拭いて」
言われて自分の頬を触ると、たしかに目から落ちた雫が重力に沿って頬を伝っていた。
「え、なんで」
そう考えても涙は止まるどころかどんどん溢れていく。止まって、止まってよ。両目を擦ってもそれが止まるか気配はない。
「違う……こんなの……」
涙は流さない。泣いたって状況が改善するわけでもないし、そんな姿を他人に見られたら私は可哀想な女の子になってしまう。あの人の告白を断ったのは間違っていたことなの? 違う、私は間違ったことはしてない。だから止まってよ。私は可哀想な女の子になりたくはない。
縋るように自分に言い聞かせても涙は止まらなかった。全部この人のせいだ。私は気づいていなかったのに、この人が指摘したから自分が泣いていることに気づいてしまった。
「泣きたい時は泣いた方がいい。涙は悲しいことも一緒に流してくれるらしいから」
気が散るとか言ったクセに、どうして優しい言葉をかけてくれるんだろう。涙で滲んでよく見えなかったけど、彼は眉ひとつ動かさずに本の世界にのめり込んでいたと思う。私の方は見てくれないんだ。
「……ありがとう」
初対面の男の子に自分の恥ずかしい姿を見られたことに対する羞恥心から、ぶっきらぼうな物言いでハンカチをお返しした。泣いた後の顔をみられたくなかったから、顔は彼とは反対を向けていた。きっと今の私は真っ赤になっていることだろう。体が熱いことがその証拠だ。
「別に、気にしないでいいよ」
彼のセリフには抑揚を感じず、あまり感情がこもっているようには見えなかった。手からハンカチの重みが消えたのを確認して、私は再びペンギンを眺めた。結局、この日はこれ以上の会話はなかった。隣の彼の視線は、一度も私と合うことはなかった。
また別の日に来ても、彼は変わらずいつもの席に座って本を読んでいた。私はそんな彼に構わず隣に腰掛ける。だってここは私の特等席でもあるんだから。
「ねえ、なんでいつもここにいるの?」
私はずっと気になっていたことを聞いてみた。
「いつもと言うことは君もいつも来ているってことだね」
「う、うるさいな! そこはわざわざ言わなくていいの!」
「理不尽な。事実を指摘しただけなのに」
いつも見ていたことを指摘されて恥ずかしくなり、彼の言う通り理不尽な怒り方をしてしまった。
彼の吐き捨てるようなセリフが胸に刺さる。
これを機にと、それから私は毎日ここに来ては彼と話をした。初めは言葉にどこか棘を感じていたけど、何度も話すうちに次第に棘は抜けていき、気づいたら友達のような関係になっていた。と思う。
お互い名前も名乗らず、水族館の中、ペンギンを一望できるベンチに一緒に座って話すだけの関係。私はその特殊な関係に胸を躍らせていた。もう私はペンギンを見に来ているのか、彼に会いに来ているのか自分でもわからなくなっていた。
いつのまにか、彼に惹かれ始めている自分がいた。
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