第85話 通学路にて
「と、言うわけでアイドルのライブに初めて行ってみたらこれが意外と良かったんだよ」
次の日、通学路を歩きながら、昨日の出来事を隣の麗しき天使に語る。
相も変わらず、本日もお可愛いくていらっしゃる。最近輝き増してるよなぁ。
「いいなぁ。私はアイドルのライブは行ったことないから羨ましい」
「ならハカセに言えばいつでも連れて行ってくれるぞ」
「む……そこはじゃあ今度は一緒に行こう、って言ってくれる場面じゃないの?」
美咲が頬を膨らませて俺の脇腹をちょんちょんと突く。
脇腹のくすぐったさと、美咲の可愛さの相乗効果で笑みが溢れる。ふひっ。
「八尋君はもっと女の子の心を勉強するべきだと思う……ってなんで笑ってるの?」
美咲は目を細める。
「美咲は今日も可愛いなぁって思って」
「も、もう! 私は真面目に話してるんだからね! ありがとう!」
そっぽを向いて怒りつつも感謝を忘れないその姿勢はやはり天使か。
美咲と付き合い始めてから、彼女はさらにありのままの姿を俺に見せてくれる様になったと思う。
厳密には断言できないわけだが、美咲の纏う雰囲気が以前より柔らかくなっている気がする。
学校での美咲は優等生の皮を被って誰にでも穏やかに優しく接している。
今こうして俺の前で見せてくれている砕けた美咲とは違う、どこか1枚壁を作っている美咲だ。
黒歴史ノートを読んだ今ならわかる。あれは美咲なりの上手く立ち回る処世術だったのだろう。
美咲の過去。俺は情報としてしか知らないけれど、本当の自分を隠すのにはそれなりの理由がいるし、現に美咲は相当嫌な思いをしているだろう。
けれど、それは過去のこと。
今の美咲が隣で楽しそうにしているのであればそれでいい。
ただ願わくば、クラスでもどんどん俺に見せている様な姿を見せて行って欲しいと思う。
だってただでさえ天使な美咲がより可愛く見えるんだからな!
いや待てよ。むしろこの姿を独り占めしている今の状況の方が俺としては都合がいいのでは?
「でも、八尋君が良いって言うなら本当に良いライブだったんだね」
俺の意識は美咲の言葉で現実に引き戻される。
「と言いますと?」
「八尋君は真っすぐで、ちゃんと自分の中で確かな価値観を持ってるから。だから信用できるし、その言葉が誰かに届く」
「つまり?」
「面白くないことはきっと面白くないって言う」
「それは気を遣えないと言うことでしょうか……」
人は時として空気を読まなければいけない時がある。
例えば、料理の苦手な姉が苦手なりに頑張って自分の好物を作ってくれた時、料理を食べた自分に向けて、「美味しくないよね、ごめん」と半分泣きそうになっていた場合の返事。美味しくなくても、そこは美味しいと言うのが正解だ。
そんな時のように、面白くなくても面白いと言う優しさを見せなければならない時もある。
だから俺は美咲の言うような真っすぐな人間ではない。と思う。
例えばとして、それが忌まわしき姉貴の姿だった場合で想像をしてみる。
『八尋、美味しくないよね。ごめん』
『ああ、普通に不味いなこれ』
美咲の言っていることは当たってるわ。
というより前提が間違ってるな。俺に対してしおらしい姉貴とかファンタジーかよ。
「違う。そんな八尋君の言葉は信用できるってことだよ。そう言ってるでしょ?」
「なんか俺に対して甘くないか? 俺だって嘘を吐く時もあるぞ?」
そう、前提が間違っていたのだ。
姉貴を美咲に置き換えるだけであら不思議。美咲のためなら不味いものでも美味しいと言えるナイスガイの出来上がりだ。
俺だって優しい嘘は吐くってことだ。
「うん。でもそれは誰かを騙すとかじゃんなくて、そうした方がいいと八尋君が思って吐く優しい嘘だよね。八尋君は人を傷つける嘘は絶対に吐かない」
「はえぇ……」
美咲は含みがある笑みを浮かべる。
俺への評価が甘すぎる。なにこの高評価。俺……ダメになっちゃうんだけど。
「まあとにかく、私は八尋君の言葉は信じるってこと。八尋君が嘘を吐いていたとしても、それは八尋君が正しいと思ってやったことなら私は嘘でも信じるよ」
「その信頼が怖いなぁ」
「怖くないよ。それだけ信頼してるの」
胸の中で騒ぎだす感情。これが愛? もう目の前の天使様が愛おしすぎるんだが?
「まあこの信頼と愛の力を持ってしても席替えの魔力には抗えなかったわけだが」
この前の席替え、愛の力を示した結果が真対角。
好きと好き。もしかしたら強すぎる愛の力は磁石の同極の様に反発してしまったのかもしれない。
しかしそう考えれば結果として俺たちの好きは最強だったということになる。そういうことにしよう。
「でも八尋君は委員長と結菜ちゃんがいるからいいよね。いつも楽しそうにしてるのを羨ましく見てるよ」
美咲は口を尖らせる。
「篠宮がうるさいだけだぞ」
「それでも、私には楽しそうに見える」
「まあそうだな。楽しいか楽しくないかで言えば楽しいな」
篠宮はうるさいけど、それでも俺がクラスの中で仲のいい奴と言われれば篠宮の名前が出てくる。
もちろんハカセや佐伯、そして殿堂入り枠の美咲もいる。最近では委員長もか。
改めて考えてみても俺友達少なくね? 最初に仲良くなった奴ら以降全然増えてない気がする。でも委員長は増えたから。カウントしていいよね?
まあだからと言って無理に増やそうとも思わないけど。友達は作るより気づいたらなってるものだからな。変に気負っても仕方ない。
「あ、でも一時期篠宮の元気がない時があったな」
席替えしてからの数日間、珍しく篠宮の元気が底をついていた。
「たしか推しのアイドルが急に引退したとか」
「私も結菜ちゃんから散々聞いたよ。みのりんのことだね」
「美咲もみのりんのこと知ってるのか?」
「知ってるも何も、国民的人気アイドルだから知らない人はそういないんじゃないかな?」
美咲は知っていて当然と言ったご様子。
でも残念。ここに知らなかった男が一人いるんだなこれが。
「ネットで調べたらビッグニュースになってたからきっとそうなんだろうな。俺は知らなかったけど」
あの日篠宮に言われてからどんなもんかと調べてみたら、大手情報ポータルサイトの見出しにデカデカと載るくらいのニュースになっていた。
みのりんこと中村みのり電撃引退‼︎ と書かれたニュースは本当に急だったのか、特に詳細が書かれないでただ引退を表明したことしか載っていなかった。
ニュースとしてどうなんだよそれ。と思ったが引退する情報だけでニュースになるということはそれだけ人気だったことの裏付けなんだろう。
アイドルはきっと俺が知らないだけでたくさん存在している。そこそこ人気がありそうなストリリでさえ知らなかったんだしな。
そんな数多のアイドルが引退したとして、はたしてそれがニュースになるかと言えばきっとそうではなくて、人知れずひとつの夢が終わるだけだと思う。
そう考えればみのりんの凄さにも納得がいく。
「八尋君は複雑な事情があるから……って思ったけどそれなりに時間は経ってるから知っててもおかしくないね。逆にどれだけ世間の情報を断ち切っていたのか心配になってきたよ」
思わぬところから彼女に心配されてしまう俺。
国民的アイドルを知らなかったことで、世間から隔絶した存在だと思われている。
「まあたぶん色んなことでいっぱいいっぱいだったんだろうな」
「いっぱいいっぱい?」
「記憶を失って、むりやり新しい世界に逃げ込んで、そこで普通に生きるために気を張っていたんだと思う。今だから気がついたことだな」
「……そっか」
美咲はただ優しい目を俺に向ける。
そう、今思えば美咲と付き合うまでの俺は心に余裕がなかったように感じている。
毎日過ごして行く中でも、どこか昔の俺がチラついて目の前のことに集中できていない様な感覚。
俺は偽物で所詮消える存在と思っていたから。
みのりんの件にしろ、きっとどこかで見たことはあるはずなんだ。
それでも記憶に残っていないのは、結局のところ周りに興味を向ける余裕がなかったからだろう。
でもまあ、今こうやって振り返れるだけ前には進めているってことか。
「八尋君は嫌かもしれないけど、私は八尋君が逃げてくれて良かったなって思ってるよ」
「そうなのか?」
「だってそうじゃなきゃ今こうして隣を歩けなかったもん」
美咲が俺に微笑む。
「……たしかにそうだな」
人生は選択の連続。
あの時俺の心が潰れかけて逃げなければ、今こうして前に進めていたかもわからない。
もしかしたら、今もかつての神崎八尋の面影を演じ続けていたかもしれない。
美咲の言う通り、美咲や篠宮や佐伯やハカセにだって会えていない。
そう考えれば、逃げることは必ずしも悪いことなんかじゃないんだろうな。
逃げた先で新しい何かが見えることもある。俺が今その身を持って歩んでいるように。ちゃんと最後に前を向ければ、時には逃げたっていいんだ。
「ま、今が幸せならそれでいいか」
「だね!」
その後も他愛もない話をしながら学校に向かった。
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