第141話 来ちゃった
状況が飲み込めない俺をよそに、美咲は後ろのトランクに自分のキャリーを手早く積むと、俺が出禁を食らった助手席に腰を降ろした。そう、腰を降ろした。
行先は当然決まっている。だから俺は言葉を失ってしまう。
「じゃあ、みんな揃ったし家に帰ろうか!」
「お~!」
姉貴の号令に美咲が元気よく手を挙げた。急にテンション高いなおい。
「あ、シートベルトは忘れないでね」
「わかりました!」
美咲はやけに落ち着いた手つきでシートベルトを装着する。めっちゃ当然かのように馴染んでる。
この景色に違和感覚えてるの俺だけなの? 今すごいイレギュラーなこと起こってるけど? 俺の家に向かおうとしているのに、俺の彼女が助手席に座ってるんだけど? ほわい?
「姉貴……説明を求む」
テンション高めで車を運転する姉貴に助けを求める。
「説明もクソも、美咲ちゃんもあんたと同じで1週間家に泊めることになったから」
「端折り過ぎなんだわ!? てかマジ!?」
さらっととんでもない事実を告げられたんだが。美咲が……俺の実家に1週間泊まるの!? いやまあ、あれだけ大きい荷物持って車に乗った時点でほとんどわかってたけどさ、改めて口にされると衝撃的過ぎじゃね?
「ちゃんと理由を説明してくれ……頼む……脳の理解が追い付かないで沸騰しそうだ」
この現実を俺はまだ受け止めきれないでいる。想像じゃなくて、リアルの美咲が助手席に座っている現実を。リアルの美咲は想像より更に美しかった。ああ……やっぱリアルじゃんこれ。
「いやね、八尋は1週間ほどここを離れるわけじゃない? だから美咲ちゃんに寂しくないかって訊いたら、正直寂しいけど八尋君は前に進もうとしてるから今回は我慢するとか滅茶苦茶可愛いこと言うのよ! だからノリで美咲ちゃんも来る? って訊いてみたら食い気味で行くって言われて、私も楽しくなっちゃったんだよね。で、こうなった」
「え、そんな話してるなんて俺知らないんだけど?」
美咲とは昨日の夜も通話した。明日から寂しくなるなぁとか普通に言ってたよね美咲さん。俺、その言葉聞いてやっぱ3日で戻ろうかなぁとか少し考えたんだよ?
美咲は今日一緒に行くの知ってて昨日あんなこと言ったの? 小悪魔が過ぎるぜ。天使なのに。
「えへへ……サプライズ成功、だね?」
「ぐはっ……!」
はい、俺死んだ。照れながら嬉しそうに笑うの反則でしょ。もうそれだけで全部許せちゃう。
本当はいつから計画してたのとか、それなら早く俺に言ってくれても言いのにとか、色々あったけどもう全部いい。美咲が最高に可愛いからもうそれでいいわ。
「本当は最初から一緒に行きたいなって思ってたんだけど、今回は八尋君の事情もあるからその想いに蓋をしてたの。でも、やっぱり行きたかったから、七海さんの提案に乗っちゃった」
「そっかぁ……」
言うことが全部可愛いのずるくない? ない。
抱きしめたい衝動にかられたけど、今俺が抱きしめられるのは助手席の背もたれだけだった。お前、そこ代われ。俺が美咲の椅子になる。今なら空気椅子で支えられる自信しかない。
「いや待て。美咲と姉貴の間で密約が交わされてるとして、お互いの家族はどうなる?」
急に冷静な俺が舞い戻って来た。煩悩は奇跡的に脳の端っこに追いやられてる。いいぞ理性。もう少しだけ煩悩を押さえつけてくれ。俺の脳みそが幸せでバグる前に、大事なところだけは確認するんだ。
俺が実家に帰るのは普通として、美咲まで来ると簡単な話ではなくなる。なにせ家が違うんだから。
俺の実家はまあどうでもいいとして、相原家はちゃんと許可してんだよな? 可愛い娘が内なる狼を鋼の心で押さえつけている彼氏の実家へ1週間泊まりに行くんだぞ? 可愛い娘をだぞ? 正気かボス?
「大丈夫。お父さんもお母さんも快く許可してくれたんだよ?」
「え、そうなの?」
「うん。八尋君のことは信用してるから大丈夫だって」
俺はどこで相原家の信用ポイントを勝ち取ったんだろうか。
「まあそれでも1週間は長いからね、さっき美咲ちゃんのお父さんに挨拶してきたのよ」
「挨拶ってそういうことかよ」
そうは言っても、姉貴はちゃんと挨拶できんのか? 普段の俺への行いを見てると心配しかないんだけど。
「そ、神崎家の方は私が話しつけといたから安心して」
「どんな話の付け方したんだ?」
「いや普通に八尋の彼女も連れてくるからよろしくって」
「よくそれで親父が許可出したな」
神崎家で物事の最終決定権を持っているのは親父だ。どれだけ家族の押しがあったとしても、親父が首を縦に振らなければ認められることはない。大黒柱がOKを出せば、誰も異論は挟めない。神崎家はそういうシステムだ。
だから俺が一人暮らしするとき、姉貴は反対していても親父の決定には逆らえなかった。お金を稼いで俺たちを養ってくれている以上、その感謝の気持ちを持って親父の意見を尊重する。親父の決定したことに文句を言うことはあれど、このシステム自体を否定する人はいないのがその証拠だ。この姉貴でさえ、システム自体に異論を唱えないんだから。
「むしろ会いたがってたわよ。八尋に彼女ができるなんて……って言ってた」
「それ全然信用してねぇってことだよな? 息子のこともう少し信用してもいいのでは?」
「八尋に彼女いるって知った瞬間、お父さんコーヒー溢してさ。いやぁ、あれは面白かったね!」
おい、どんだけ息子に彼女がいるの衝撃なんだよ? 溢すなよコーヒー。カップの中に入ってるのは息子への信用だぞ?
「で、他は?」
「あ、そこ聞いちゃう?」
「それが今回の目的だろ?」
姉貴があえて話題に出さない方へ誘導する。
家にいるのは親父だけじゃない。決定権は親父にあるけど、話し合いは行われていたはずだ。
だったら他の反応だってあっただろうに、姉貴はさっきから名前すら出そうとしない。
「まあ、あんま乗り気じゃなかったかなぁ」
姉貴は前を向いたまま明るい口調で言う。たぶん、あまり俺に言いたくなかったのかもしれない。
「……だと思ったよ」
でも母さんたちの反応が聞けたのは上々だ。どうせ簡単には受け入れてくれるとは思ってねぇし。
母さんたちが期待を寄せる俺は……今の俺じゃないから。
正直、美咲にはあまり見せたい景色ではなかったんだけどな。相原家ほど団らんとした空気感は望めないだろう。神崎家は俺がちょっとばかし、ぶっ壊しちまったから。
そんなこんなで、姉貴と運転で俺の実家へとやってきた。
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