第51話 天使は不意に涙を流す

「そろそろペンギンの時間だね。付いてきて!」


 相原の言葉を合図に、俺たちはペンギンのエリアに移動……せずになぜか2階の屋外に来ていた。なんで? 


 ペンギンのエリアは1階のはずなのに。当のペンギンエリアには少しずつ人が集まり始めていた。


「えっと、ペンギンを見るんだよな?」

「そうだよ?」


 相原は当たり前でしょと躊躇いなく足を進める。


「ほら、ここ」


 連れてこられたのは3人がけのベンチ。


「人混みに巻き込まれず、尚且つペンギンエリアを一望できる素晴らしいスポットなのですよ!」


 相原は早速ベンチに腰掛ける。なんとなく密着して座るのが憚られたので、半人分程度のスペースを開けて俺も座る。透明な柵はあるが、ペンギンエリアを一望できるのは本当だった。高さがある分、下で見るより人の影響を受けずに全体を俯瞰して見れる。


「たしかにいい場所だな。こんないい場所ならもっと知られてもいいと思うんだけど」

「やっぱり近くで見たいんじゃないかな? ここは一望できるけど少しだけ遠いからね」


 まあ臨場感っていう面では不足してるかもな。それでも、見ることに関しては十分だ。


「さすがプロ。この水族館を完璧に把握してるな」

「まあ、ここは特別かな。あ、始まるみたいだよ!」


 ちょうど飼育員さんがアナウンスを始め、ペンギンの餌やりイベントが発生した。


 フランクにペンギンを紹介しながら、餌を与えていく。ペンギンもこの時間が待ち遠しかったのか飼育員さんの近くに群がり口を開けて餌を待っている。


「飼育員さんって適当に餌をあげているようで、ちゃんとどの子に何個あげたか数えてるんだよ。すごいよね」

「まじか……それはすごいな」


 遠目から見たらどれがどの個体かわからないんだけど。でも飼育員さんはペンギン一羽ずつしっかり名前で呼んで餌をあげている。本当に覚えてるのか。すごいな。


 時には水の中に餌を投げ入れると、何羽かのペンギンが水に飛び込み、弾丸のような速さで餌の奪い合いをしている。譲り合いの精神などは生まれる時に捨てたらしく、まさに弱肉強食の世界がそこには広がっていた。


 しかし、ここは野生ではないので、飼育員さんがしっかり管理しながら餌をあげている。その証拠に、最初は闇雲にあげていた餌も、後半になるにつれ特定のペンギンが食べられるように飼育員さんが手で調整していた。どうしても奥手なやつとか出てくるから、そいつらには飼育員さんが上手くコントロールしてあげている。


 横目で隣を確認すると、相原も黙ってペンギンの餌やりを見ている。集中してるのかな。まあペンギン大好きって言ってたし、ペンギン好きなら外せないイベントだよな。


 よちよちと歩く姿もそうだが、水に入った時の速さ、陸と海でのギャップが大きい。そこもまたペンギンの魅力の一つなのかもしれない。必死に餌に食らいつこうとする姿勢もまた愛くるしさを誘うのだろう。


 これが人間だったら気持ち悪さの極みだから、ペンギンの姿も愛される要因の一つか。やべ、ペンギンを人間に置き換えてみたら吐きそうになったわ。相原に群がる男みたいな感じに見えた。そう考えると、モテ過ぎるのも大変だってのも理解できそうだった。飼育員さんも大変そうだし。ペンギンの圧すげぇな。


 その後も飼育員さんが調整をしながら餌やりをして、イベントは終了した。


「いやぁ、たしかにペンギン可愛いな。あれみた後にぬいぐるみみたら買っちゃうかもしれないわ」


 ペンギン、俺も好きになっちゃいました。言葉では言い表せない不思議な魅力を持つ生き物だな。


「なあ相原――」


 軽く同意を求めるつもりで隣を見ると、相原は無表情でペンギンを見ていた。そして、なぜか瞳には大きな雫が溜まっていて、やがてそれは彼女の頬を伝って下に落ちる。


 俺はその突然の光景に言葉を失い、何を言えば良いのかわからなくなっていた。


 え!? なんで泣いてるん? ペンギンの餌やりでそんな感動する要素あった? 生命の神秘感じちゃうなにかがそこにあった? 俺には泣くほどの何かは感じなかったんだけど、感受性の違い⁉︎


 相原は滴る涙を気にもせず、イベントが終わった後のペンギンをずっと眺めていた。


「えっと……大丈夫か?」

「大丈夫って何が?」


 いたたまれなくなって声をかけると、相原は自分の今の状態がわかっていないのか、キョトンとしている。


「だって涙が出てるぞ。それなりに」

「……え?」


 彼女は信じられないと言った様子で自分の顔を触る。


「本当だ」

「ペンギンの餌やり、そんなに感動したのか?」

「ふふ、目にゴミが入っただけだから気にしないで大丈夫だよ。ペンギンの餌やりは楽しかったけどね」

「なんだゴミか。それならいいんだけど」


 でも、目にゴミが入ったら普通異物感で気がつくよな。あれは自分でも気づいていない、勝手に出てきたような印象を受けたが、本人がゴミだと言うならまあ。


「うん……大丈夫だから」


 相原は自分の手で顔を拭う。こんな時スマートな男ならハンカチを渡せるのだろうか。


「悪い、ハンカチ持ってればよかったんだけど」


 その言葉に、相原は目を丸くして固まった。


「いやマジごめんなハンカチなくて」

「あ……いや、違うの。ちょっと、懐かしいことがフラッシュバックしただけで……」

「そ、そっか……まあ落ち着くまで待つからさ」


 こんな時、どんな顔をしていればいいのかわからなくて、俺はとりあえずペンギンを見た。ゴミが入ったとしても、泣き顔をじろじろ見られたい人なんていない。落ち着くまではそっとしておこう。


 しばしの間、俺は下でのんびりしているペンギンを眺めていた。思ったのは、たしかにペンギンを見ているだけで1時間潰せそうだなということ。動きがなくても、あの愛くるしい姿だけでずっと見てられるわ。


「ごめん、もう大丈夫だから」


 隣の相原はすっかり元通りになっていた。結構涙出てたから中々やっかいなゴミが入っていたんだな。


「この後はどうする? 一通り回って、あと見てないのは屋外エリアくらいか?」


 中は順路に従い全部回った。見てないのは屋外のイルカとかアシカとか大人気な生きものだけだ。


 時間も夕方に差し掛かり、心なしか人の数も減っているように見える。


「ちょっと疲れたから、ここでお話しない?」

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