2章 あの日見た偶像
第81話 席替え
「よーし、席替えするぞー」
衣替えになり、みんな一枚防御が薄くなった季節の初め。暑さにより解放されたエアコンが涼しい空気を送る教室で、担任は気だるそうに告げた。
湧き立つ教室の中、あからさまにテンションが下がる人影が2つ。ひとつは俺、そしてもうひとつは。
「席……替え……」
まるで俺が言いそうなセリフ。しかし俺ではない。我が最愛の天使。神が俺のために使わせたエンジェル。相原美咲その人だった。
話せば長くなりそうなそうじゃないようなことがあって奇跡的に俺の彼女になった美咲。
毎日が色づいて、これからやってくる夏の暑さより熱い燃え上がる青春をしていくぜ! なんて俺は勝手に意気込んでいたけど、最初の関門がまさか直ぐに訪れるとは夢にも思ってなかったわ。
美咲はまるでこの世の終わりのような表情で、目から光が消えて、口は餌を求める魚の様にパクパクさせていた。しかしまあその姿すら可愛いんだから俺の彼女はやっぱり天使。
とはいえ学校に来れば毎日隣に美咲がいる幸せな時間は永遠には続かないようで。それはまあ学校のルールであるからして仕方のないことだ。
「なんだ神崎テンション低いな。普通一番前の席のやつは席替えになると元気になるんだけどな」
現実を受け入れようとしてる俺に先生は心底楽しそうな声で語りかける。
思わず殴りたくなるようなクソムカつく笑顔だった。危うく担任に殴りかかるやべぇ生徒になるところだったぜ。よく我慢したぞ俺。先生には夜中の3時に急にトイレに行きたくなる呪いをかけてやる。中途半端な時間に起きるの結構きついからな。覚悟しとけよ。
「相原と離れるのがそんなに嫌か?」
瞬間、後ろから刺すような視線をいくつも感じる。
「お、男子の目が怖くなったなー。神崎は人気者だなー」
「俺が口に出さないようにしていたことをよくもまあ言ってくれやがりましたね」
「俺はこのクラスの全男子が思っていたであろうことを代弁したに過ぎない」
「いやぁ……人気者は辛いなぁ」
少なくとも男子のうち二人は俺の味方であると信じておこう。
美咲と付き合う。その素晴らしい功績の代償はそれはもう大変だった。男子はサッパリした性格をしているから女子よりもドロドロしないなんてのは、普通の男女の付き合いだから言えることなのだ。
クラスの、いや学年の、もはや学校の天使と言っても過言ではない美咲と付き合った俺への代償はそれはもうねちっこいものだった。
俺が男子の横を通り過ぎようとすると俺に聞こえる音で舌打ちが響く。グループの横を通り過ぎた時とか舌打ちのコーラスをお見舞いされたからな。練習したのそれ? とか言いたくなったくらい。まあとにかく俺に対する嫉妬が凄かった。
一週間もすれば諦めがついたのか段々普通な感じになってきたというか、俺を介して美咲に取り入ろうとする方向に舵を切ったというか、まあ表面上普通な環境が戻ってきた。
今はまた殺意の視線を感じるけど、最近はこれも一種の様式美みたいなものだと思えるようになった。天使と付き合うってのはこうした嫉妬とセットなんだろう。人間って意外と慣れるもんだよなぁ。これ以上はやめてほしいけど。
とにかく嫉妬の獄炎を浴びながらも、俺と美咲の関係性はクラスで浸透していったのだ。
「席はくじ引きで決めるぞ。というわけで相原からな」
「…………はい」
珍しく不満そうな顔を隠さない美咲が、重い足取りで先生が用意したパーティグッズの箱から紙を引き抜く。
クラスの空気が張り詰めているのがわかる。美咲と仲良くなりたい連中にとっては、彼女がどの席に行くのか気になって仕方ないのだろう。
チラッと後ろを見たら井上の目がマジだったもん。怖ぇよ。
「相原は36番……また一番前とは運が無いな」
そう言いながら先生は黒板に書かれた座席表に美咲の名前を入れる。
「入り口側の一番前か。後ろに行けなくて残念だったな」
戻ってきた美咲に笑いかける。
「うーん、私としては場所はあんまり関係ないかな。隣に八尋君が居ればどこでも特等席だから」
「そ、そうか」
「だから、ちゃんと私の横の席を引いてね」
彼女のはにかんだ笑顔と、その真っ直ぐな言葉に面食らってしまった。
美咲と付き合うようになってから、彼女は俺への好意をそこそこストレートに伝えてくるようになった。時折照れながらではあるが、それがまたいいんだよ。最高。
それ自体は嬉しくてたまらないんだが、こうした何気ない会話の中でも不意に飛び出してくるからよくドキッとしてしまう。
これも付き合っているからこその感情。この胸が熱くなる気持ちは大事にしていかなくては。
だから井上そんな感情のない目を俺に向けるな。
「そうだな……」
隣の席を引く確率はそこまで高くない。しかし、これは単純な確率の話ではない。俺の愛が試されていると言っても過言ではない。
愛の力は確率の壁を超えるか、それを試されているんだ。
「任せとけ。俺の愛の力を見せてやるよ」
口に出すことで自分にも気合を入れた。
「うん。楽しみにしてる」
「……させねぇ」
「……井上?」
次にくじを引く井上が低い唸り声を上げながら立ち上がった。心なしか目が死んでいる。
「神崎……てめぇの思い通りにはさせねぇ‼︎ 相原さんの隣の席は俺がもらう‼︎」
井上が啖呵を切ると、クラスの男子はそうだそうだと井上に同調する。
「お前だけは……お前だけには相原さんの隣にさせるわけにはいかねぇ‼︎」
「井上⁉︎ どうした⁉︎」
「うるせえ‼︎ こんな甘い会話を聞かされるこっちの身にもなりやがれってんだよ‼︎ もうちょっとでお前を土に還すところだったぞ俺は‼︎」
またもやクラスからそうだそうだの声が聞こえる。いやお前ら仲良すぎんだろ。俺とも仲良くしろよ。仲間に入れろよ。
「こんなのもうごめんだ‼︎ 例え俺じゃなくても、少なくともお前だけは相原さんの隣にさせるわけにはいかねぇ‼︎」
「お、それ面白そうだな。じゃあ先に神崎以外の男子全員くじ引くか?」
ま〜たややこしいのが入ってきたよ……。
「女子は……それでもいいか?」
女子から反論はひとつも出なかった。出してくれよそこは。
女子としても、面白そうな展開なので見届けたいようだ。
こういうのって我先に引きたいものだと思ってたけど、この状況の面白さが勝ったってわけか。
「じゃあ決まりな。よし、井上頑張れよ」
かくして突然男子が先にくじを引く謎の事態が発生した。
「ふぅ……ふぅ……」
ことの発端になった井上は野生の動物の様に息を荒くしてながらも、思いのほか丁寧にくじを引いた。
「神よ‼︎ 俺に力を‼︎」
「ほい、16番。神に祈ってる様ではダメだったな」
無情に切り捨てて黒板に井上の名前が刻まれた。
美咲から遠くもないけど、近くもない微妙な場所。
「ぐっ……お前ら、後は頼んだ」
悔しそうに表情を歪めながら、井上は自分の席に戻る。これ席替えだよな?
なんで真剣勝負に負けたような表情してるんだよ……。あとこれチーム戦かよ。
そうして次々と男どもが気合いを入れてクジを引く。全ては相原美咲の隣を手に入れるため。
「まったく……美咲は景品みたいな扱いされて嫌じゃねぇか?」
一向に美咲の隣が出ず、嘆きの声を上げる連中を冷めた目で眺める。
「大丈夫だよ。ふふ、席替えだけでここまで盛り上がれるのも凄いよね」
美咲はわりと楽しそうだった。
ハカセと佐伯の二人は特に気合いを入れる様子も無く淡々とくじを引いていた。
結局、男が全員がかりで挑んでも美咲の隣は出なかった。はぁ……お前たちには足りねぇんだよ。大事な感情がよ。
「さあ、残すは神崎だな。残念なことにまだお望みの席に着ける可能性が残ってるぞ」
「残念とか言わないで下さい。まあ、いっちょ見せてやりますか……」
意気揚々と箱に手を突っ込みながら言う。
「愛の力ってやつをよ‼︎」
「で、これが神崎の愛の力ってわけね」
全員がくじを引き終わって移動をした後、前の席になった委員長がニヤニヤしながら振り返る。
「その話はやめよう。それは今の俺に効く」
いやぁ、窓から外の景色よく見えるなぁ。ってわけで俺は窓際の席。そしておまけに最後尾。
普通だったら大当たりの席なわけだが、今回に限っては一番のハズレと言えるかもしれない。
「神崎の愛は一番遠い、と」
「委員長……」
「ははっ、ごめんごめん」
委員長は笑いながら手を合わせる。
美咲は廊下側の一番前、かたや俺は窓際の一番奥。理論上もっとも遠いところになってしまった。
こればっかりは運だからしょうがないよなぁ……。とはいえ、俺がこの番号を引いた瞬間の盛り上がりは凄く、ものすごい熱狂っぷりだった。井上とかちょっと泣いてたし。人の不幸がそこまで嬉しいかね。そんなんだからお前自分に春が来ねぇんだぞ?
結局美咲は女子に囲まれている形になった。まあ暑苦しい男どもに囲まれなかっただけよしとしよう。
俺の周りはと言えば、
「う〜……あ〜……」
隣では何やら奇怪な呻き声を上げて机に突っ伏している頭がおかしい女子が一人。特徴的なポニーテールも元気無さそうに重力さんの力に負けてしおれている。感情とリンクする機能でも持ってんのか?
最近の暑さにもとから壊れかけてた頭がとうとうぶっ壊れたか。クーラーが効いていても人は壊れるらしい。南無。
「むうううう……」
「結菜はそんなに神崎の隣が嫌だったか……」
「委員長さん? とんでもなく酷いこと言ってる自覚はおあり?」
「でも普段元気な結菜がこんなに落ち込んでるなんてそれ以外ないでしょ?」
「え? そんな真顔で言うなよ……冗談だよな? な、篠宮?」
「……………はぁ」
あまりの委員長のマジトーンに少し、いやほんとに少しだけ不安になったので篠宮に聞いてみるも、帰ってきたのは大きなため息だった。
「ま、昼くらいから元気なさそうだったからたぶん神崎のせいではないでしょ」
「じゃあなんでタチの悪い冗談を言ったんだよ。ちょっと本気で傷つきそうだったじゃねぇか」
篠宮とはクラスの中ではわりと仲が良い方だと思っていた。
それがもしかしたらもしかして俺だけの片思いだったの⁉︎ とか少し思っちゃったじゃねえかよ。いやほんとに少しだからね。
「でも結菜がこんなに元気ないの珍しいよね。ちょっと気になっちゃうな」
たしかに篠宮は溶けたアイスみたいにぺちゃんこになっている。体が余すことなく机と接している。女子で体を余すことなく机につけられる奴はあんまりいねぇぞ。やったな篠宮。お前は選ばれし民だ。
「ねえねえ結菜。どうしてそんな元気ないの?」
「あ〜委員長……聞いてくれる?」
「聞く聞く。教えてよ」
篠宮は気だるそうに顔だけこっちに向けた。
「委員長はさ、みのりんって知ってる?」
「うん知ってる。有名なアイドルだよね? 私も大好きだよ」
「へぇ、俺は初めて聞いたわ」
「知らないなら黙っててよざっきー」
「お前ら今日俺に当たり強くね⁉︎」
俺だって人並みに傷つくんだからな。
それにしても、委員長が知ってるくらい有名なアイドルなのか。なんとなく、委員長はそう言ったキャピキャピしたものには興味がないかと思ってたけど、そうじゃなかったみたいだ。
「まあいいや。昼休みにスマホ見てたらさ、衝撃のニュースを見ちゃってさ〜。委員長もみのりん好きならショック受けちゃうかもね」
「衝撃のニュース? どんな?」
委員長が息を飲むのがわかる。
「みのりんさ、芸能界引退するんだって。突然すぎるし、ほんとショックだよ〜」
「…………え?」
その日印象に残ったのは、好きなアイドルが電撃引退して、思ったより衝撃を受けてた意外とミーハーな委員長と、俺たちの会話を遠くから恨めしそうに見ている美咲の姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます