第53話 彷徨う感情①
次の日。学校。だるい体を動かして向かった先は物理学室の奥、実験などで使う道具が仕舞われているいわば物置。ガラスケースの中には多種多様の実験器具が置いてあり、中には相当使ってなさそうな年季の入った実験器具もある。
先に入った委員長の後に続き、手に持った荷物を空いているスペースに置く。机の上には紙の資料が雑に置かれていて、実験器具が入った箱を置いたことで、テーブル上の空き場所がほぼなくなっていた。
「助かったよ神崎。ありがとね」
委員長は、ん〜と気の抜けた声を出しながら大きく背伸びをする。
「どういたしまして。一人じゃ大変だろ?」
「ほんとにね、日直ってだけでこの重労働だよ。日直の仕事は黒板消すだけで十分だと思うわけですよ私は。神崎はどう思う?」
「たしかに面倒だけど、運が悪かったと思って諦める」
「優等生な回答だね。現にこうして手伝ってもらっちゃってるわけだし」
「さっきも言ったけど、一人じゃ大変だろ。俺がやらなくても誰か手伝ってくれたさ」
「私が声をかけたら手伝ってくれたかもね。でも神崎は率先して助けてくれたじゃん?」
「近くにいたしな」
俺の席は1番前だ。だから目の前で片付けをする彼女を見て、一人で運ぶのは大変そうだと思ったから動いただけ。
「手助けが必要そうなら助けるのは普通だろ」
「普通、ねぇ」
委員長は実験器具を指でなぞる。
「まあいいや。それはそれとして、神崎はいい奴だね。もしかしたら好きになっちゃうかも」
「脈絡ねぇな。全然キュンとしなかったんだけど」
「なんだと? なら私の本気を見せてあげる」
委員長は俺の目の前に立つと眼鏡を外して、
「わたし、神崎君のこと好きになっちゃったかも」
「な⁉︎」
手を後ろにやり、困ったような上目遣いで瞳をウルっとさせる。そしていつもより少し甘えたような声音。至近距離で見た委員長の姿はどうすれば男が可愛いと思うのか熟知しているような仕草だった。なんでかと言えば、不覚にもドキッとしてしまったから。
今の委員長はいつもの凛々しい委員長の姿とはかけ離れた、もはや別の委員長の様だった。
眼鏡を外しただけでこんなにも変わるのか。いや、あの胸をくすぐる仕草も相まってのことか。
「ふふん、今ドキッとしたでしょ?」
今の雰囲気はどこへやら、眼鏡をかけた委員長は俺の知っている委員長に戻っていた。
「してない」
「目は口ほどに物を言うんだよ」
「ぐぬぬ……」
「委員長小悪魔モードの前に敵はない」
せめてもの抵抗をするも、委員長は誤魔化しきれなかった。
「クラスの委員長は仮の姿だったのか……」
「どっちも私。でも、いい感じだったでしょ?」
「不覚にもトキメキかけました」
「不覚ってなんだ不覚って。みっちゃんじゃないとトキメかないって言うのか!」
「みっちゃん?」
「相原美咲でみっちゃん。神崎も例に漏れずみっちゃんのこと好きじゃん?」
相原の名前が出たことで、少し体が強張る。
「なんで相原が好きな前提なんだよ?」
それでも悟られないように平静に努める。
「とりあえずそう言っとけば半分以上は当たるし」
「相原すげぇな」
「でもみっちゃんはかなり神崎のこと気に入ってそうだし、チャンスあるんじゃない?」
「どうしてそう思う?」
「私は委員長だからね。クラスの人間関係には敏感にレーダーを張ってるの。例えば、今日は神崎元気ないなぁとか、いつも周りを見てるからわかるんだよねぇ」
委員長は窓を開けて、生温い風が窓から流れ込む。
「でさ神崎、元気ないのってみっちゃんとなんかあったからでしょ?」
委員長は窓から入る風を浴びながら、簡単に核心を突いてきた。
「私を手伝ってくれたのも、もちろん神崎の優しさもあると思うけどそれだけじゃない」
さすが委員長。クラスのオカン。いつも周りを見ていると自称するだけのことはある。
降参とばかりに俺は手を上げた。
「さすがオカン」
「だれがオカンか」
「俺、結構普通にしてたつもりなんだけど」
「それに気づいてこそ委員長なのさ。神崎、今日みっちゃんの方見ないようにしてるでしょ」
「本当よく見てるな」
「委員長ですから」
委員長はそんなにすごくないといけないのかよ。もう誰もやらなくなるぞ。
委員長の言う通り、俺がここまで荷物を運ぶのを手伝ったのは善意だけではなかった。昨日の今日で、心の整理ができてないし、まだどうしていいかわからない。
隣にいる相原といる時間を少しでも減らしたかった。そんな隠した理由をオカンには見抜かれてしまった。委員長、実はすごい奴なんじゃないか。
「どうせ神崎が悪いんでしょ?」
「委員長の中で俺はどんな評価なんだよ……」
「いい奴」
だけど、と委員長は続ける。
「いろいろと生き辛そうな奴でもあるね」
委員長は、全てを理解していると言いたげに口元を吊り上げる。
「生き辛そう、ね」
「私は常日頃から情報を集めてるからね、クラスの人がどんなことをしたとか色々聞く機会が多くてさ。神崎は困っているイケメンや迷子少女を助けたりしたんでしょ」
それ情報網限られてるんだけど。なあ篠宮。
「そうだけど、別にそれくらい普通だろ。正しいことをしてるだけだし」
困っている人がいて、俺がなんとかできる。だから助ける。誰だって持っている正義感だ。
「それだよ神崎」
だけど委員長はそんな俺の倫理観を指摘する。
「君の言う正しい、は本当に君がやりたくて行なっていることなの?」
「どう言う意味だ?」
自身の行動を否定される発言に、語気が強くなる。
それでも委員長は眉毛一つ動かさない。
「正しいことをしている。それ自体は素晴らしいことだよ。でもね、私が見るかぎり、神崎は使命感でそうしなければならないと自分に言い聞かせているように見える。なんかさ、神崎の行動は人としては正しいけど、どこか不安定で歪に見えるんだよね。だって本当に善意で満ち溢れた人間はね、正しいからしているなんて考えて行動しないから」
「それは……」
「困っている人がいたら何も考えずにすぐに行動できる。それが天然の善人だよ」
何も言い返せなかった。委員長の言葉のナイフが適確に俺の深淵を抉ってくる。
「まあ神崎の行いが間違っているって言うわけじゃないし、むしろ素晴らしい行動だと思ってるよ。でも、やっぱそれが使命感から来るものだったら私は生き辛いって思っちゃうな。人間ってさ、もっと自由だから」
自由。俺は自由じゃないのだろうか。いや、そうかもしれない。過去を振り切れない時点で、俺は重い鎖で繋がれているようなものだ。
「話を戻すけど、みっちゃんと喧嘩でもした?」
「喧嘩……ではないな」
「まあ私も下手なお節介をするつもりないから深くは訊かないけどさ、仲直りするなら早い方がいいよ。時間が経つと、始めは小さいシコリでも大きな遺恨になるときがあるからね」
「肝に命じるよ」
「委員長として相談には乗るからさ、神崎が困った時はいつでも言ってね」
「委員長も大概いい奴だな」
「委員長ですから」
それ、決め台詞なん? 眼鏡をクイっと上げる委員長の姿を見て、心の内で呟いた。
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