第54話 彷徨う感情②
夜、部屋の机で黒歴史ノート最後の一冊を広げる。相原が持っていた幻の中学3年生編。文字は所々滲んでいて、紙は部分的にカピカピになっている。
記載内容は他愛もない日常の1ページ。ただ、ある日を境に、一人の女の子に対する内容へと変化していく。それは時に態度や口調に関すること。それは時にどんな話をしたかということ。それは時に女の子が抱える問題に介入したということ。そして、それが正しかったのか葛藤していること。もう最後の方はその女の子のことしか書いてなかった。
「わかりやすいやつだなこいつも」
直接的な言葉を使っているわけではない。だけど、その文章からこの男がどれだけその女の子のことを想っていたかはわかる。
「お前も、相原が好きだったんだな」
記憶を失う前の神崎八尋も相原美咲が好きだったらしい。まったく、天使の魅力はとてつもないな。
だが、そうなると話は変わってくる。今まで俺が持っていた彼女への気持ちは、はたして本当に俺のものなのだろうか。前の神崎八尋の残した残留思念が俺にそうさせているのではないか。この気持ちすら、俺のものではないのではという可能性が拭えないでいる。
もはや俺の思考すら誰のものなのかわからなくなっていた。俺は、神崎八尋と言われる男。誰が決めたか、俺はいつのまにかそうなっていた。だから、俺は神崎八尋でなくてはならない。みんなが求める神崎八尋たらん男でなければいけない。
「使命感か」
学校で委員長に言われたことを思い出す。
正しいことを行うのが使命感から来るものなら生き辛そう、か。その通りかもしれないな。でも、そうしないと本当の神崎八尋が戻ってきた時に困るだろ? 俺は神崎八尋の器に入り込んだ仮初の人格なんだから。
俺は天井を見上げる。思い返すのは俺が俺として目覚めた時からのこと。
「か、体が痛すぎる」
目を開けると、そこは知らない天井だった。てか痛いとかそんなレベルじゃないくらい激痛なんですけど⁉︎ 俺の体本当に繋がってるよな、どこか消し飛ばされたりしてないよな? と思うほど痛かった。
「いたたたたたた⁉︎」
マジで1ミリも動かせないんですけど。辛うじて頭だけは動かせたので窓の外を眺める。街を見下ろすような景色。人が、景色が小さく見えるからここは高い場所だとわかる。
改めて部屋を見渡せば、白を基調とした質素な作りの部屋。この体の半端じゃない痛さと相まって、ここが病室だと気づくのにそう時間はかからなかった。
だが、そもそもなんで俺がここにいるのか。その原因はさっぱりわからなかった。
体が痛すぎてまるで動かせないのに、意識だけはしっかり覚醒している。地獄かこれ。何もできない無の時間を激痛と仲良く過ごすとかどうすんのこれ。気合いで眠ろうとしても痛さがそれを邪魔する。いっそ気絶するくらい痛ければいいのに、そうさせない絶妙な痛さ。ほんと勘弁してよ。
そんな地獄の時間を過ごしていると、病室の入り口が音を立てて開く。
「神崎さん入りますよ〜」
「あ、どうも」
「…………え?」
若い看護師さんが入って来たので挨拶をすると、看護師さんは手に持った紙束を落としてフリーズした。問診票かなあれ?
「あの……どうかしましたか?」
「せ、せんせえええええええ‼︎」
看護師さんは我に帰ると大声で先生を呼びながら消えて行った。え、俺放置?
開け放たれた病室に放置されている俺。そういえば看護師さん神崎って言ってたけど、あれ俺のことでいいんだよな。
「ん?」
待て。そもそも俺は誰だ。体の痛みで忘れていたが、俺は初歩的なところを考えなければならない。自分は誰なのか。それがぽっかりと抜け落ちてた。それどころかどれだけ思い出そうとしても、過去の思い出が一切わからない。
今この瞬間以外の記憶が、まるで闇に飲み込まれたように真っ暗でなにも思い出せなかった。思い出すって言っても、本当に前に記憶があるのかどうかすら疑わしい。
「か、神崎さん!」
乱れた白衣に身を包んだ男が先程の看護師さんと一緒に慌てた様子で部屋に入ってくる。
「よかった……目が覚めたんだね」
「先生! 私ご家族の方に連絡しますね!」
「ああ、頼む」
医者の先生は心底ホッとしたように肩を撫で下ろしている。その姿を見て、自分がかなり危ない状態であったことを察した。まあそりゃ体がこんだけ痛けりゃただごとじゃないよな。
「先生、体めっちゃ痛いんですけどなんとかなりませんか?」
「後で鎮痛剤を出すよ。だから今は少し我慢しててね」
「うげぇ……」
早く欲しいんだけどなぁ。
先生は家族が来るまでずっと部屋で俺の様子を見ていた。暇なのかな? とも思ったが、あの慌てた様子を見るに俺は相当な目に遭っているようなので、いつ何が起きてもおかしくないから見張っていたのかもしれない。動けないから脱走の心配はしなくてもいいですよ。
「八尋‼︎」
「お兄ちゃん‼︎」
しばらくすると、制服姿の少女二人が慌てて俺の部屋に入ってくる。なんだかこの部屋に来る人はみんな慌てているな。もう少し落ち着きを持って欲しいもんだ。体に響いちゃうだろうが。
「八尋……」
次いで入って来たのはスーツ姿の男の人と私服姿の女の人。女の人は俺を見た瞬間に崩れ落ちて、男の人はその人を抱きしめている。泣いてるのか。女の人は人目も憚らず涙を流している。よく見れば、先に入ってきた制服姿の少女二人も目には涙を浮かべていた。
家族。先程先生に説明されたが、この人たちがそうなのだろうか。全くの初対面なので、俺はどう反応していいかわからないからとりあえず大人しくしている。他に追撃で病室に入って来ないところを見ると、俺の家族と呼ばれる人はこの4人で終わりか。
みんなは俺のベッドを囲むようにして立つ。その全員が心の底から嬉しそうに、安心したような目を俺に向けてくる。それが少し気持ち悪かった。家族の意味は知っているからどういう関係なのかの知識はある。
だけど、それは言葉と血の繋がりだけで、俺はこの人たちのことを知らない。初めましてだ。そんな人たちが見る俺への視線が、俺ではなく別の人を見ているみたいで気持ちが悪かった。
大人二人の顔はどこか疲れてやつれているように見えた。
「八尋……本当によかった」
やつれた女の人が言った。
「まったく、人を心配させる弟ね」
「お兄ちゃん元気になった?」
「…………安心したよ」
口々に俺を心配する言葉が聞こえてくる。これが家族の温かさなのかもしれないが、俺はどうしても初対面の人たちが謎に心配しているようにしか見えなかった。だからこんなことを聞いてしまう。
「えっと……みんな家族ってことでいいんだよな?」
この時の家族の顔は、今でも鮮明に覚えている。
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