第153話 最高です

「あの……美咲さん……これは?」


 ここは俺の部屋。夜の自由時間。風呂に入って歯磨きをして、あとは好きなタイミングで寝るだけの時間。


 見上げる天井。仰向けの体。いつもならこのままゆっくりとまどろみの世界へ誘われる状態。だがしかし、俺は意識を完全に覚醒させていた。なんなら寝起きの瞬間に遅刻が確定したときよりも覚醒していると言える。


 なぜか、それは枕から感じる人肌と、天井を半分以上覆い隠す存在のせいに他ならない。


「ふふ……感想は?」

「あの……えっと……最高です……」

「それはよかった」


 え、待って待ってなにこの状況⁉︎


 美咲の顔が凄く近くに……てかいい匂いが脳を焦がす……てか、え、膝枕?


 俺は状況を冷静に俯瞰して考える。あ、こらニヤけるな顔面。落ち着け、落ち着くんだ。


 夏祭りの同伴を六花に断られた俺。それは仕方ないと、一抹の寂しさを覚えつつと納得して部屋に戻ってなんやかんや寝る準備を少しずつしていた。


 問題はここからだ。いや、厳密には問題ではないんだが。


 美咲がやりたいことがあると言い、それは俺も居ないと出来ないから手伝って欲しいと言われた。愛する彼女のお願い。当然断る理由もなく2つ返事で許可したらこれ。理解が及ぶまえに頭が美咲の膝に乗っかっていた。


 女の子の膝ってあったかいなぁ、なんて思ったのは一瞬。俺はどうやら楽園にたどり着いてしまったようだ。だって……膝枕だぜ? それも美咲の。これ知る人が知ったら俺の命の灯が消えかねない事態だからね。


「はっ……⁉︎」


 慌てて視線だけを扉に向けた。頭が美咲の膝を離れてくれなくて視線だけしか動かせなかった。でもこれは不可抗力なんですよ。天使の吸引力は凄いね、うん。降って湧いた幸福を簡単に手放してたまるかってんだよ。意味のわからない状況でも、幸せは享受するんだよ!


「どうしたの?」

「いや、なんでもない」


 今日は姉貴に隠し撮りされていないらしい。


 よかった。これはさすがに記録に残されたら恥ずかしすぎる。記憶だけにしたい。


 改めて見上げれば、いつも見ている天使のお顔が目の前に。下から見上げる美咲の姿。いつもとは違った良さがある。どう違うのかは言えないけど、とにかくいいんだよ。


「それであの……どうして膝枕を……」


 心が多少理性を取り戻したところで、美咲がなぜ俺に膝枕をしたのか訊いてみる。


 幸せだよ。幸せなんだよ。そこは変わらない。でも理由は気になるじゃん? 突然過ぎたからね。そこはね。


「どうしてだと思う?」


 まさかの質問返し。


 もしかして俺今追い込まれてる? お前、わかってるよな? みたいな感じで尋問されてるの?


「いやぁ……わかんないですね」

「やっぱり本人にはわからないかな?」


 ひえっ……。言葉が意味深過ぎるんですがそれは。


 本人にはわからないかな? ってどういう意味!? 俺本当になにかしちゃってるの?


 美咲のにこやかな笑顔が怖い。光に当たらないで影を含んでる分なんか迫力あるんですわ。


 美咲は優しい手つきで俺の頭に手を添えて、そのまま優しく撫でた。


「八尋君、実家に帰って来てからずっと気を張ってるよ。色々あるのは私もわかってるし、私にできることが少ないのもわかってる。でも、やっぱり八尋君が心配だから、これくらいはさせて欲しいかなって」


 違った。俺が考えていたものは全部杞憂で、美咲は純粋に俺を心配してくれているだけだった。穴があったら入りたい。俺は彼女を信用できない酷い男だったんだ……。でもよかった。俺は無実だ。


「気を張ってる……俺が?」

「自覚はない?」

「残念ながらまったく」


 気を張っている。そうだろうか。自覚はない。


「俺はただ家族の時間を取り戻そうとしているだけなんだけどな。美咲にはそう見えるのか?」

「うん。見える」


 ノータイムで返事が来た。


 美咲は尚も優しい手つきで俺の頭を撫でる。き、気持ちいい。なんだろうこの聖母に包まれているかのような多幸感は。このままずっとされてたら何かに目覚めてしまいそうになる。


「八尋君、今回の件は俺が全部なんとかしないといけないと思ってるでしょ?」

「それは……」

「それが気を張ってるってことじゃないかな」

「でも過去の俺が壊したものは、俺が取り戻さないといけないだろ?」

「そうかもしれない。でも、八尋君が全部なんとかしなきゃいけない理由はないんじゃないかな?」

「どうしてそう思う?」

「だって、昔のことは八尋君だけのせいじゃないでしょ?」

「……」


 俺だけのせいじゃない。頭では理解している。


 今の俺たちの関係の発端は、俺が誰かの望む俺を演じていたから。だが突き詰めて考えれば、俺はそうあって欲しいと望む人間がいたから従ったとも言える。


 何もなかった俺に、ある種の拠り所を与えてくれた。それを与えてくれたのは母さんと六花かもしれないし、あるいは周りの人間だったかもしれない。


 他人のせいにしようと思えばいくらでもできる。関係悪化の原因はお前らにだってある。俺は悪くないんだって。


 でも美咲は全部が全部他人へ押し付ければいいと言っているわけじゃない。全部自分のせいだと思うなって、そう言ってくれているんだろう。


 それは彼女の優しさだ。納得して受け入れたくなるような甘美な響きを持った優しさ。撫でられた手から感じる温もりが、俺を許そうとしている気がする。


「美咲の言うことはたぶん合ってるよ。きっと俺たち家族の関係が拗れたのは、みんなが現実から目を逸らし続けていたからだ。でも、それでも、やっぱりこうなった原因の大部分を占めるのは俺なんだよ。俺があの時ちゃんと逃げないでいれば、向き合うことの大切さを知っていれば、結果は変わってたかもしれない」


 たられば論を語ったところで過去は変わらない。これは俺の弱音だ。


 気を張っている。そうかもしれない。過程がどうであれ、俺だけが悪いわけじゃないかもしれないけど、最終的に全部壊したのは俺だ。六花の幻想を壊して、その後見ないふりをして逃げ出したのは俺なんだ。


 だからこそ、やり直すなら俺が動かないといけないんだ。


 気を張ってでも、もう一度みんなで家族になるため。


「私もさ、八尋君と同じことを考えてた」


 俺の頭を撫でる美咲の手が止まる。

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