第157話 天使の施し

 空は夕焼けと夜が混じり合っている。均等に配置された提灯が並ぶ一直線の道。祭りでしか見ない屋台の数々からは、客引きの声が元気よく響いている。


 美咲はそれらひとつひとつを物色するようにゆっくりと歩みを進めていた。


「何かお目当てのものはあったか?」

「うーん……チョコバナナ、りんご飴、たこ焼き、焼きそば……全部捨てがたい」

「全部食べ物なんだな」

「う……食い意地張ってるとか思った?」


 美咲は不安そうに俺を見上げて来る。


「こうも屋台からいい匂いがしてくると、食べ物のことしか考えられなくなるよな」


 俺は美咲の言葉に同調した。


 屋台を通り過ぎる度に、風に乗った美味しそうな香りが鼻をくすぐる。どうしてこう祭りの会場で嗅ぐソースの匂いは食欲を刺激してくるんだろうか。不思議だ。


「そうなんだよ! 祭りの屋台ってこう、みんな美味しそうに見えちゃうの! 普段ならここまで心惹かれないものだって、祭りなら全部魅力的に見えるんだよね!」

「お、おう……」


 食い気味で美咲が顔をグイっと近づけてきて、俺のチキンハートが一際大きな脈を打った。


 ソースの香りに女の子の匂いが混ざって妙な官能が生まれる。あ、まずい手汗が……てかもういいや。全部夏が暑いせいにしよう。手汗ばっか気にしてたら、せっかく楽しそうな美咲とテンションを合わせられない。


 お、おう、とかオットセイみたいな声でたし。はよ人間に戻らねぇと。


「どれから攻める? お金なら美咲のお父様からたっぷり貰っている」


 当然、賄賂ではなく働いた正当な報酬として。


「え、そうなの!?」

「あ、いやごめんバイト代のことだから! お小遣いは貰ってないから!?」


 美咲が変な勘違いをしてそうだったから慌てて否定した。


 へへ、ボス……娘さんと一週間一緒に住むから生活費と交際費くださいよ……へへ。と、チンピラみたいなセリフは絶対言わないから。むしろ俺がボスにお金を払って美咲と一緒にいさせていただくまであるから。いくらで一緒に住まわせてくれますか?


「だ、だよね!」


 安心したのか美咲はホッと肩を撫でおろす。


 ほんの冗談のつもりだったのに、美咲は結構真に受けてた。俺ってそんな畜生に見える? 脳みそが美咲への愛9割で構成されている愛の化身ですよ。


「さすがにそこまでしないよね……お父さん……」


 あ、気にしてたのはボスの方ですか。俺でなくてよかった。てかボス何したんだろう。


 俺から見てパーフェクトな大人の象徴であるボス。親父、ごめんな。そのボスに対して美咲が憂いている。きっとボスにも子煩悩という弱点があるのだろう。


 年頃の娘は可愛いみたいな感じかな? 親父だって俺より姉貴や六花に対して甘い可能性もある。そりゃそうだろ。うるせぇ野郎と可愛い娘だったらどっちを愛でるかって話よ。俺も息子より娘を可愛がるわ。


「で、なにが食べたいんだ? なんでもいいぞ?」

「待って……今真剣に考えるから!」


 脱線しそうな話を戻せば、美咲は顎に手を当てて本気で悩む仕草をしている。


 全て捨てがたいようで、ここに来るまでに通り過ぎた出店をぶつぶつ言っている。全て食べ物の屋台。金魚すくいとか、射的とか、あとよくわかんないお面を売ってる店とか、一応その辺りの屋台もあったけど、美咲にとってはアウトオブ眼中らしい。


 さすがは飲食店の娘。食べ物こそ至高のようだ。


「迷うなら片っ端から全部行くか? 俺は全然構わないぞ」

「え、ほんと!? いや、でも……」


 パァっと笑顔が弾けたと思ったら、すぐに控えめになる美咲。


「俺の財布を気にしてるなら大丈夫だぞ。祭り程度でバーストするほど金欠じゃない」


 実は家賃光熱費食費は仕送りでなんとかなってるし、俺の給料は俺のためだけに使える。どうも、穀潰しです。


「だから遠慮しなくていいぞ」


 美咲のためなら出店全部で食い物を買って、もし食べきれなかったらその辺の子供へ慈善活動してもいいくらいの気持ちはある。


 嘘偽りなく遠慮しないでいいと思って言ったけど、美咲の表情は芳しくない。


「いや、それは嬉しいんだけど……」

「だけど?」

「その、最近……体重が……」


 美咲は後半もにょもにょと身をよじっていた。


 おおう……それは俺が踏み込める話じゃないな。オーケー。


 わかってるわかってる。へぇ、何キロ太ったん? とか訊かないから。訊くとしても姉貴に訊くぐらいだから。デリカシーがないと定評がある俺でもそのラインは踏み越えてはならないと理解している。


「夏休みは基本的に何もしてないから、食べたら食べた分だけ結果として出てきちゃうの」

「そうか? 全然そうは見えないけど」

「その油断がいつかの死を招くんだよ!」

「死……」


 使うワードが重い。それだけ美咲は真剣に悩んでいる。


 俺からすればマジでいつも可愛い天使なんだけど、きっとその可愛い天使をキープするためにできる努力はしているんだろう。運動ではなく、節制と言う方法を使って。


 まあ努力してるのは事実だから。運動で消費できるカロリーって意外と少ないからな。それなら食べない方を選ぶのも頷ける。まずは簡単な努力から。美咲の中にも人である部分が残っているようだ。


 しばらく真剣に悩んだ美咲は、結果としてたこ焼きをチョイスした。


 歩きながら食べるには、たこ焼きはいささか難しい。ポロっと落ちるかもしれないしね。


 ということで、たこ焼きを買った俺たちは一旦奥の広場に備えられたベンチに腰掛ける。


 祭り用にセッティングされた臨時のベンチ。座り心地はそこそこ。


 周りを見れば、やはり俺たちと同じようなカップルがベンチに腰かけていた。


「その、本当に奢ってもらってよかったの?」


 たこ焼きを大事そうに抱えながら、美咲は伺うように俺を見る。


「もちろん。今日は美咲に一銭も出させない所存」


 美咲の小さい巾着ではそうお金も入らないだろうし、元より今日は全部出すつもりだったから問題ない。


 たこ焼きやのおっちゃんも、美咲の可愛さに免じて1個おまけだ。なんて粋な計らいをしてくれた。よくわかってんなおっちゃん。今後とも贔屓にしてやるよ。


 俺もそんな俗なおっちゃんと同じ思考なわけで、可愛い彼女の浴衣姿が見られただけで対価は十分貰っている。たこ焼き程度安い安い。屋台コンプリートしてもおつりがくるってもんよ。


「でも……悪いよ」

「だから気にするなって。このお金だって、元はと言えばボスの懐から出てる金なんだから」


 俺が美咲のために使ってるお金は、俺がボスから労働の対価に頂戴しているもの。つまり元を正せば相原家の資産である。


「相原家から頂いた資産を、俺が美咲へ使っている。ほら、なんの問題もない」


 ボスから頂戴した金を美咲へ還元する。実質相原家のマネーロンダリング。俺という媒体を介しているとは言え、資金の流れは相原家の資産を相原家に使っていることに相違ない。たぶん。


「えっと……うーん?」


 無茶苦茶な論法でごり押せるかと思ったけど、さすがは天使。俺のクソみたいな説明で納得しない知恵をお持ちであらせられる。篠宮だったらもうちょっと勢いよく行けば納得させられる自信がある。あいつは俺と一緒でアホだからな。アホはアホの考えがわかるんですよ。


「あんま深く考えるなよ。これは俺がやりたくてやってるんだ。美咲はただ、ありがとうって言ってくれればそれでいいの」

「そうかな?」

「そうそう」

「じゃあ、ありがとう!」


 ほら、その笑顔だけでもうワンコイン以上の価値がある。


 世の中でこの笑顔を至近距離で拝める人が何人いるんですかって話よ。美咲は自分の希少価値をわかってない。この笑顔を今独り占めにできるだけで、どれだけの価値があることか。たこ焼きの値段はもうとっくに超越した。


「でも、ただ奢ってもらうだけだと悪いから、私もお返しするね」

「お返し?」


 美咲はたこ焼きの蓋を開けて、つまようじでひとつたこ焼きを持ち上げた。


 自分で食べるかと思いきや、彼女はそのままたこ焼きを俺の口元へ近づける。


「うん。お返し」


 そして、


「はい、あーん」

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