第46話 天使とお出かけ

 水族館で1日潰すのは難しい。それは賢人の教え。なので今日は午後からのスタート。


 アインシュタインの相対性理論よろしく、午前中の時間の流れはとても遅いものだった。なんで遅く感じるのかネットで調べてみたけど、難し過ぎたので考えるのをやめた。天才の考えることを凡人が理解しようとしたのが間違いだった。なにあの横文字の定義の羅列? 唯一わかったのがアルベルト・アインシュタインだけだったんだが。


 世の学者はどんだけ天才なん? 実はわかったフリして頷いてるだけとかではと勘繰ってしまうくらい何言ってるかわからなかった。でも、たしかに時間の流れは遅く感じてしまっているのだから、その理論は正しいのだろう。証明問題で、証明できない問題は出ないからこの定義は成り立つ、と逆説的に証明して俺は納得した。


 そんな午前中は黒歴史ノートを確認して過ごした。過去の俺の生き様が小説チックに書かれた闇の図書。俺の知らない俺の物語。全てを読み返しても、そこに彼女の名前は出てこない。

 

 まだ家でグゥたらする姉貴に見送られ家を出た。グゥたらするなら実家帰れよ。俺の家よりは快適だろ。


 つっても前に住んでいた家主なので、ここもある種ホームということか。前いた時よりはずいぶん質素になってると思うけど。

 

 天気は曇り。少しジメッとした空気が肌に纏わりつくのを感じながら、集合場所の駅に向かう。


「集合時間にはまだ早いか」


 手元の携帯電話で時間を確認するも、まだ集合時間より少し早かった。俺も気が早っているのかもしれないな。チャーハンもっとゆっくり食べればよかった。


 昼ごはんは各自で食べてから集合だったので、行きつけのラーメン屋で昼ご飯を食べた。相変わらず店主はうるさかったけど、その変わらない日常の1ページに心が落ち着く……わけなく、俺は絶賛緊張している。相原と二人で出かけるのに緊張するなと言う方が無理。普通に考えて無理。


 日曜日の駅。待ち合わせなのか携帯を見ながら時折辺りを確認する人が多い。


 まだ時間は早いけど、もしかしたらと周りに視線を配りながら進む。見知った顔はどこだと探している内に、ある一箇所で目が止まる。


「さすが我らの天使」


 天使相原はソワソワしながら携帯と景色に視線を行ったり来たりさせている。周りにいる野朗共も、おそらく待ち合わせだろうに自分の待ち人よりも天使様にご執心のようだった。


 相原の元へ向かう途中で彼女と目が合うと、彼女は弾ける笑顔を俺に向けて大きく手を振ってくれた。え? お前? みたいな周りの男の視線が痛い。普通の男でごめんなさい。普通以下ではないよな?


「ごめん待った?」

「ううん、私も今来たとこだから」

「そ、そっか」


 このセリフ、普通逆だよな。男が待ってるところに女の子が来てやる定番のセリフのはずなのに、今は俺がそのセリフを言っている。そもそも遅刻してないからこの始まりも違うのか。


「それにしても、さすがは相原。周りの視線を独り占めだな」

「え? 別に視線は感じないけど?」


 相原は周りを一瞥して言った。


「俺が来るまですごい視線を集めてたぞ。相原の可愛さは人類共通認識ってことだな」


 俺が現れた途端に興味を無くしたフリをする男共。でも俺にはわかっている。まだ貴様らが相原をチラチラ見ていることに。


 自分の待ち人の方に集中した方が、ほらそこのお兄さんお相手もう来てますよ。あ、めっちゃ怒られてる。彼女がいるのに他の女の子にうつつを抜かすとああなるのか。


「ありがとう。でも私はべつにみんながみんなに可愛いって思われなくてもいいかな。モテ過ぎても色々大変なんだよ?」

「大変なんだ?」

「そう、大変なんだよ」

「そういやこの前も言ってたな。ま、俺にはわからない世界があるってことか」


 モテ過ぎて困ることがあるなんてこの前まで知らなかったな。


 しかし、世の非モテ達が聞いたら袋叩きにしそうな悩みであることは確かだ。むしろ非モテによる妬みとかがすごいのかね。


 妬む前にまず自分を何とかしろよ、ってのは自分を何とかできずにフラついてる俺が言える言葉じゃないか。


「でも、嫌われるよりは好かれる方が良いと思うけどな」

「うん。私もそう思う。昔はそれに気づかないでちょっと失敗しちゃったけど」


 相原はどこか影のある笑みを向ける。


 ちょっと失敗か。杉浦さんが相原にも危ない時期があったと言っていたけど、そのことだろうか。


「失敗、ね。大丈夫だったのか?」

「うん。もう大丈夫だよ」

「そりゃよかった」

「今思えば、あの失敗があったから今の私があると思うんだ。それにきっとあのままの私だったらいつか起こってたことだと思うし、結局は時間の問題だったんだよ」

「時間の問題?」

「神崎君は知らないと思うけど、こう見えても私、前は結構性格悪かったんだよ?」


 性格の悪い相原など、今の彼女からは考えられない。けれど本人が言うならきっとそうなんだろう。でも今は天使だから。そこは揺るがない。


「はは、今の相原からは想像できないな」

「かもね。きっと中学生の頃の私を見たら神崎君びっくりするよ」


 杉浦さんの「危ない」という口振りから察するに、相原が今こうして笑いながら言える簡単な話ではないように思える。それでも、彼女は笑ってその話をする。それがとても眩しく見えた。


「相原は強いんだな」


 気づけばそう漏らしていた。


「ううん、私は強くなんかないよ」


 彼女は俺の言葉を笑顔で否定する。


「私一人じゃ無理だった。助けてくれた人がいたからなんとかなっただけ」


 誰に助けられたとしても、過去の自分と向き合って、自分なりに折り合いをつけられているだけで強い。俺は未だに自分自身に折り合いがついていない中途半端な存在。そんな俺からすれば、この相原美咲という大天使は間違いなく強者である。


「だから神崎君も、困った時は誰かに相談すればいいんだよ?」


 彼女は菩薩のように穏やかな笑顔を向ける。その笑顔は、神崎君今困っていることあるよね? とでも言いたげにも見えた。なぜだかそう見えてしまった。


 しかし、やはりこの笑顔からは性格の悪い相原など想像できない。


「そうだな。もし困ったことができたら俺も誰かに相談するか」


 俺は平然と心にもないことを言った。俺の悩みなど、誰にどう相談できるものでもないというのに。


「うん。私で良かったらいつでも相談に乗るからね」


 俺の適当な返事にも、真摯に返してくれる彼女に胸が少し傷んだ。


 最近はすぐ後ろ向きになりそうになる。新堂と出会った時から、少しずつ確実にまた心が蝕ままれていっているからだろうか。そうならないように俺は家を飛び出したと言うのに、すぐに弱い俺が顔を出す。


「……ちょっと真面目な雰囲気になっちゃったな」


 空気を変えたくて戯けたように言った。


「せっかく……」

「せっかく?」


 せっかく、何なんだろうか。続きに悩む。これはデートと言っていいのか?


「これから遊びに行くのに、楽しくない話しても仕方ないよな!」


 俺は言葉を濁した。


「…………そうだね。せっかく神崎君から誘ってくれたデート、だもんね!」

「デート⁉︎」

「違うの?」


 相原はニヤリと口元を歪める。これは人をからかう時にする表情だ。デート、の部分をやたらと強調していた。


 相原め、ボーリングの時は男女が遊ぶのは必ずしもデートとは言わない的なことを言っていたくせに、今日はデート扱いするのか。いいぜ、ならこっちもその気でやってやろうじゃねぇか。


「いや、デートだな。男女が水族館に二人きりで行くなんてもうデート以外ありえないな。うん」

「そ、そうだよね!」


 自分から仕掛けておいてなぜ言い淀むんですか相原さん。でも赤くなった顔もやっぱり可愛い。なんか調子出てきたわ。


 俺自身、いろいろと考えることはあるが、今はまず今日のデートを最大限楽しむことだけ考えよう。好きな女の子をエスコートしてこそ男だろ。 


「デート……デート……ふへへ」


 相原は両手で顔を抱えてだらしなく表情を崩す。笑い方が天使とは思えないくらい下品だった。今一瞬人間に戻ってる。


 指摘しようとも思ったが、天使が人間に戻る貴重な時間を堪能したいのでやめた。

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