第145話 なんで

 可能な限り晩御飯はみんなで食べる。それは神崎家で交わされてる暗黙のルール。まあ実際暗黙ではないが、とにかく親父の一存でそんなルールが出来上がっていた。家族が全員揃う時間は必ずあった方がいい、という理由で。みんな! コミュニケーションを取ろうぜ! ということなんだろう。


 そう……晩御飯をみんなで突くのはコミュニケーションの一環だと俺は記憶している。


「「「「「「……」」」」」」


 それがどうした。食卓を6人もの人数で囲っているのに、会話がひとつもない。各個人の箸と食器の奏でる音で悲しいオーケストラが出来上がってる。いやマジでなんなんこれ?


 おい……誰か喋れよ。6人もいてなんで無音なんだよ? 俺が普段家で晩御飯食ってるときと全然変わらないじゃねぇか。人数は6倍もいるんだぞ!?


 お前ら普段からこんなディスコミュニケーションな晩御飯タイムしてるの? 空気最悪なんだけど? 久しぶりのおふくろの味を楽しめねぇんだよこの空気感だと! 


 今日は客もいんだぞ? 神崎家の空気感はこんなもんだよ、ってアピールするのか。赤裸々に見せるのは素晴らしいけど今日は取り繕えよ! 彼女隣にいるんだぞ!?


 美咲はどうしていいかわからないのか、時折チラチラ俺と姉貴に視線を彷徨わせている。わかる、わかるぞ美咲。この空気どうすりゃいいんだ? ってなるよな。俺もそうだ。


 親父。何とかすんのが一家の大黒柱だろ。なんとかしろよ。全員黙ってるならせめてテレビくらいつけろよ。誰が好き好んで食器が奏でるハーモニーを聞かにゃいけんのだ。寂しくなるからせめて他の音を入れろ。美咲の咀嚼音さえ聞こえそうだぞ?


 つか……マジで普段からこんな空気なん? さすがに違うよね? 今日は普段いない人が2人いるからみんな緊張しちゃってるだけだよね? 誰かそうだと言ってくれ。


 姉貴……いつもはうるさいくせに今日はやけに静かだな。そんなお淑やかアピールここではいらねぇんだよ。俺を弄ってもいいから声を発しろ。口火を開け。俺はこの空気感で一言目を発する勇気はねぇぞ。まずは家族の会話をしてくれ。その途中で俺たちを混ぜてくれ。頼むから。


 晩御飯がみるみる減っていく。黙って食うと消費が早いっすね! じゃなくて……どうすんのこれ?


「ねぇ……」


 不意に六花の声がリビングに響き渡る。


 小さな声でも響くのは、この部屋が本当に無音に近い状況だったからだろう。


 六花は一瞬俺を見ると、気まずそうに目を逸らして言った。


「なんで帰って来たの? 八尋さんはこの家が嫌だから出て行ったんでしょ?」


 六花の言葉のナイフが沈黙を一刀両断。あまりに鋭いド直球な質問。いつものようなふざけた切り返しが許される空気感ではない。それほどまでに、六花の言葉は俺の胸の奥を確実に突き刺しに来ていた。


 周りを見ても、みんなが俺の言葉を待っているのか、六花以外の視線を独り占めしてしまった。


 やっと今日の主役に気がついたんですね皆さん。なんて小粋なことを言おうものなら姉貴にぶん殴られそうな空気感。六花の一言で場の空気はより一層張り詰めてしまった。


「六花は俺が帰って来た理由が気になるのか?」

「べつに……でも八尋さんが来たから今日はみんな緊張してる。だから誰も喋らない」

「へぇ……そうなんだ……」

「だからなんで帰って来たの? 全部放っぽり出して逃げたくせに、なんで急に帰って来たの?」

「手厳しいなぁ……」


 いや言葉きっつ……逃げたとか言わないでよ……事実だから余計きついんだぞ?


 でも安心したよ。いつもはちゃんと会話してんのね。よかった。さすがにいつも無言で晩御飯食ってたら心配するわ。


 会話の途中も、六花は一度も目を合わせようとしない。心の壁はまだ分厚いようで。


 でもそうか。六花にしてみれば、俺はこの家から逃げ出した男になるんだよな。そんな男が急に彼女連れて帰ってきたらムカつくのは道理か。異分子みたいに見えるのかな。


 六花が見てるのは、俺じゃないもんな。それは知ってるんだ。


「私は……八尋さんが居なくてホッとしてたのに」

「ホッとするってお前なぁ……お兄ちゃん悲しんじゃうぞ?」

「やめて。私は八尋さんを兄だとは認めてない」


 ここで、晩御飯が始まって以来初めて六花と目が合った。


 彼女の目に籠められているのは明確な拒絶。苦々しい視線が俺を貫く。


「そっか……俺は兄じゃねぇか……」

「や、八尋君……」


 そう心配すんなって美咲。これはまあ、割と想定していたことだ。


 ただちゃんと言葉にされると結構きついなってだけ。六花のナイフ鋭すぎ問題。


 でも、それでいいんだ。ちゃんと言葉にしてくれたから、六花がどう思ってるのかしっかり理解することができた。やるべきことがこれでよりはっきりした。そのために俺は帰ってきたんだから。


「なあ六花。俺がなんで帰ってきたか、だったな。彼女を見せびらかしに来たわけじゃないことだけは先に否定しておくぞ」

「そこは興味ないからどうでもいいよ」


 ちょっとは興味を持てって。お兄ちゃんの恋愛事情だよ? まあいいや。


「俺は……みんなと家族になりたい。そのために帰って来た」

「家族?」


 その言葉に六花の表情が歪んだ。


「俺が色々壊しちまったものと、しっかり向き合おうと思ったんだよ。今すぐ全部とはいかないけど、それでも俺はみんなと家族になって、また1からやり直したいんだ。その中には当然六花もいる。だから帰って来た」


 俺が僕を演じたせいで、壊してしまったものがある。もし俺が最初から俺であったなら、今の俺を最初から受け入れて欲しいとお願いできていたら、違う未来があったんだろうか。そんなことを考えていた。


 たらればを言っても仕方ない。わかっていても、どうしても考えてしまう。もし俺が間違えていなければ、六花と母さんを傷つけずに済んだんじゃないかと。


 だから俺はやり直しに来たんだ。過去は変えられなくても、これからは変えられる。俺はそれを知ってるから。


「なにそれ……くだらない」


 六花は吐き捨てる。


「好きにすれば? 私はあなたを兄だとは絶対に認めない。ごちそうさま」

「ちょ、ちょっと六花!」


 戸惑う母さんを無視して、六花は自分の食器を片してリビングを去って行った。


 六花がいなくなって、張り詰めていた空気も霧散したようだ。


「はぁ……やっぱりクソガキね」

「すまないな八尋。六花もきっとわかってくれる時が来る」


 残されたリビング。姉貴はわざとらしいため息を吐いた。


 親父は俺に労いの言葉をかける。


「大丈夫。こんなんで折れるならそもそも帰って来ねぇよ。やれるだけやるさ」

「そうか。でも、黙ってた甲斐はあったみたいだな」

「ね。しびれを切らした六花が話し出すのは私たちの予想通りの展開だったわね」


 姉貴と親父は満足そうに頷き合っている。


「なに? 姉貴たちわざと黙ってたの?」

「当たり前でしょ。あんな葬式みたいな空気、普通だったらごめんよ」


 いやほんとにそれな。客がいる前でマジやめろよって思ってたから。


「ま、頑張りなさい。これは私たちじゃ解決できない問題よ」

「俺たちも手助けはする。でも、最後に頑張るのはお前だ八尋」

「わかってる」

「私も手伝えることがあればするからね!」

「ありがとな美咲」


 その言葉だけで、元気100倍だ。


 そうしてすったもんだの晩御飯タイムは終了した。


 姉貴は美咲と一緒に風呂に入るとか言って連れて行ってしまった。不安しかない。姉貴が変なことしないといいけど。


 親父はトイレ。だからここには俺と母さんだけ。


 母さんは洗い物をしている。俺は食後のお茶タイム。


「……」


 気まずい。母さんもぶっちゃけ六花側だからなぁ。六花ほどあからさまじゃないにしろ、考えていることはわからない。


 姉貴たち……早速場を整えやがったなぁ。だからリビングを出るとき気持ち悪いウィンクしてきたんだな。親父もどうりでトイレ長いと思ったよ。全然帰って来ねぇもんな。大きいの出ないの?


 頑張るとは言ったけど、心の準備ってやつがね。大見得切ったのに日和ってしまうのは俺の弱さか。


「……ごめんね」


 母さんは洗い物をしながらそっと呟いた。

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