第122話 初めての

 どれくらいの時間が経ったろうか。ひとしきり泣いた女子の面々も落ち着きを取り戻していた。


 その間、人は誰も来なかった。


「神崎、今日は本当にありがとう。私……これでちゃんと前に進める気がする」


 真っ赤に目を腫らした委員長。それは実梨も美咲も同じだった。みんな可愛い顔が台無しだな。


「そりゃよかった」

「やっくん……まゆちゃんとは仲直りできたけど私、まだ自分の新しい道が見つからないのは変わらないの。居場所は、たぶん大丈夫だけど……だから」


 伺うような視線。どこか迷いと不安が入り混じってるように感じる。


 何を不安がってんだか。さっき俺と話したこともう忘れたのかこいつ?


「わかってる。一緒に探そう。実梨が新しくやりたいことができるまで、ゆっくり探そう。約束したからな」

「うん! 困ったり、迷ったりしたら頼っちゃうよ?」

「どんとこい。元からそのつもりだ。でもな実梨」

「なに?」

「お前、まだアイドルを完全に諦められてねぇだろ?」

「え……?」


 実梨は面食らったように固まった。


「歌が歌えなくなっても、お前は病院に通い続けた。のど飴もずっとなめてる。飲み物だって、喉にいいものを飲んでいる。本当に諦めてたらそんなことしなくてもいいだろ?」

「それは……」


 実梨はアイドルを引退しても病院に通っていた。それはまだアイドルを諦められていないからだろ。


 少なくとも、俺はそう思っている。今なら、ちゃんと俺の言葉が届く気がした。


「新しい道を探す前に、もう少し頑張ってみたらどうだ? 今のお前なら、前向きに考えられるんじゃねぇか?」

「でも……」


 実梨は言葉に詰まる。それでもダメだったら。今と何も変わらなかったら。ただ時間だけを空費してしまったら。不安が頭をよぎっているんだろう。


「お姉ちゃん!」


 そんな実梨の肩を委員長が掴む。


「私ね、アイドルをやる理由新しく見つけたんだ! 神崎と話してて気づけたの!」

「そっか……じゃあお姉ちゃんに教えてほしいな?」

「うん! 私、お姉ちゃんがまたアイドルに戻ってきたいって思えるアイドルになる!」

「…………」

「お姉ちゃんの背中はもう追えない。だから、私がお姉ちゃんに追いかけてもらえるようなアイドルになる! それなら、文句ないでしょ?」

「まゆちゃん……」

「諦めるのは簡単だ。でも、委員長もああ言ってるんだ。せめて委員長が有言実行できたか見てからでも遅くないんじゃねぇか?」

「やっくん……」

「もう無茶はしない。私は、私のできる範囲で頑張って、そしてお姉ちゃんの先を行く。もう決めたから!」

「ま、決めるのはお前だ」


 実梨は俺と委員長の顔を交互に見た。


「そうだね……少し、考えてみるよ。前向きにね」


 その回答に、委員長は満足そうに頬を緩めた。


 今日は一緒に帰ろうよ。お休みモードの委員長なのでレッスンもなく、実梨も予定はないみたいなので、今日は姉妹仲良く帰るみたいだ。水を差しても悪い。俺たちは少し残ってから帰ると言えば、二人は手を繋いで教室を後にした。


「あ、やっくん!」


 と思ったら実梨が空き教室に戻ってきて、小走りで俺のもとに駆け寄ってくる。


 そして背伸びをして顔を俺の耳元に近づけた。


「私、やっくんなら2番目の女でもいいよ? 優しくした責任、ちゃんと取ってよね?」


 小声で、俺にだけ聞こえる声でそっと囁く。


 耳の奥がざわつき、心臓も少し跳ね上がる。


 そんな俺の反応に満足したのか、実梨は舌を出しながら笑って教室を去って行った。


 おいおい。どうすりゃいいんだよこれ。とりあえず塩いっぱい買うか。近々盛り塩の量足りなくなりそうだからな。


 てか、なんつうこと言って去って行くんだよ。俺彼女いるって。2番目とかそういうのないから。1番しか愛せないから。勘弁しろよまじで。


 いやぁ、これ美咲に聞かれてたら最悪だなぁ。なんて隣を見れば、美咲はただただ優しく穏やかな表情で俺を見ていた。


 これキレすぎて逆に穏やかとかそんなんじゃねぇよな!?


「八尋君お疲れ様」


 よかった普通の方の穏やかさだ。普通の方の穏やかさってなんだよ。


「まあ、これにて一件落着だな。よかったよかった」

「そうだね……」


 なんだ? 美咲の様子が少しおかしいような。


 穏やかに見えて、ちょっともじもじしてるような。体がちょっとくねくねしてるような。


「その……さっきから頑張ってたけど、実はずっと頭にゴミついてたよ?」

「……え゛?」


 ちょっとかっこいいセリフ言ったときとか、実梨とバトルしてた時も俺ずっと頭にゴミついてたの?


 いやいや締まらねぇなぁ。そりゃ美咲も言い辛いよな。でもよく言ってくれたよ。


「どこ? どの辺?」

「いいよ私が取ってあげる。ちょっとしゃがんで?」


 少し体制を低くして頭を美咲に差し出す。


「ちょっと顔が低すぎるかな? 顔を前に向けてくれる?」

「あ、ああ」


 頭のごみ取るなら顔上げちゃ取りづらくねぇか?


 でも美咲が言うならそうするか。


 そうして顔を上げた次の瞬間。


「――!?」


 まず感じたのは美咲の可愛い顔がもうとんでもなく至近距離にあったということ。


 次にやってきたのは唇への衝撃。なにか柔らかいものが俺の唇に当たっている。


 思考が一瞬にして奪われる。なにが起きた!? 目の前には美咲の顔があって、唇には柔らかい感触。柔らかい感触ってもしかして。そう思った瞬間に美咲の顔が離れて、唇の感触も離れていく。


「え……あ……」


 衝撃がすごすぎて言葉が出ない。


 触れていたのは一瞬。だけど、その感触は今も口に残っている。


 思わず唇を触る。


 美咲も顔を真っ赤にしながら自分の唇を触っていた。やっぱり……そうなのか?


「私……八尋君を好きになって本当によかった」


 消え入りそうに、だけどはっきり聞こえる声で美咲が言った。


 だけどすぐに顔から煙が出るくらい沸騰して顔を逸らしてしまった。


「わ、私……い、勢いにまかせて、す、すごいことを……!!」


 ほんとだよ!? いまほんとにすごいことしたよ天使様!? なにしたかわかってる!? キスだよ? 口づけだよ? 接吻だよ!?


 心臓がやけにうるさい。これはあれだ。全校生徒の前で告白した時くらいうるさい。


 いやもうなにも考えられない。さっきは一瞬過ぎて理解する前に終わってた。


 ……それってどうなん? 急に冷静になる。ファーストキスを覚えてないって、それはどうなん?


 なんかもったいなくなってきたな。なんかこれがファーストキスって嫌だな。


「なあ美咲」


 横から見てもわかるくらい紅潮した美咲を呼ぶ。


「あ、あのね八尋君!? これはちょっと勢いって言うか!? なんか八尋君格好いいなって思ってたら体が衝動的に動いたって言うかね!? だから――」


 うるさいなぁ。


「んぐ――」


 未だに言い訳を重ねようとする美咲の口を塞いだ。マウストゥマウス。口と口。今度は俺から。一瞬じゃなくて、美咲の口の柔らかさを堪能できるくらい長く。確かめるように長く。


 口を離すと、美咲は目を丸くして、口をパクパクさせてた。


「これで思い出に残るファーストキスになったな」

「あ、ああ……あわわわわわわわわわ……」

「み、美咲!?」


 美咲の顔が爆発して、彼女はその場にへたり込んでしまった。


 なんでそんなテンパるんだよ!? もとはと言えば最初にしたのお前だろ!?


「美咲? おい美咲しっかりしろ!?」

「は……え……き、キス……八尋君から……キス……」


 うわごとのように唱え、その体から魂が抜けかかっていた。


 ちょっと待って。魂を天界に連れて帰らないで!? 帰って来て美咲!?


「美咲、しっかりしろ! しっかりしろおおおおおおお!」


 ファーストキスの味は、結局覚えていられなかった。





―――――――――――――――――

次回エピローグです。

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