第121話 実梨と真由梨②

 俺は委員長を美咲と作戦会議した時のことを思い出す。


 俺と美咲がお忍びデートして掴んだ情報は伏せて、ただ実梨と真剣に話す舞台を用意するとだけ言った。


 それが今まさに行われているやつ。


 俺が実梨と話している間、委員長と美咲には近くで俺の電話越しに実梨との会話を聞いてもらった。


 本音は俺が必ず引き出す。だから丁度いいタイミングで参戦してこいと。ばっちりだったな。


 そして全部をさらけ出した実梨と委員長で最後の戦いをしてもらうわけだ。


 心と心のぶつかり合い。本当の戦いはここ。


 そのお膳立てはそこそこうまくできたと思う。


 まあ委員長がいきなり喧嘩しよ? とか好戦的なこと言うとは思ってなかったけど。


「喧嘩?」


 実梨が困ったように聞き返す。そりゃそうだ。いきなり妹から喧嘩吹っ掛けられたらそうなるわ。


「思ったんだよね。私とお姉ちゃん、そう言えば喧嘩したことなかったなぁって」


 そう言えば喧嘩してなかったよね? でいきなり喧嘩吹っ掛けるのは中々やるなぁ。


「まゆちゃんが私のことずっと大好きだったからでしょ?」

「お姉ちゃんだって、私のことずっと大好きだったでしょ?」

「当たり前だよ。今も大好きなんだから」


 姉妹はケンカ前だというのに二人して優しく笑っている。


 これから戦う奴らの面構えじゃねぇ。


「私も。今も大好きだよ。だから……」


 委員長は表情を引き締める。


「たぶん、本音と本音のぶつかり合いってあんまりしてこなかったよね」

「……そうだね」

「なんで……そんな大事なこと黙ってたの? 歌が歌えないなんて大事なこと、なんで黙ってたの?」


 戦闘開始の合図。委員長がいきなり急所を狙いに行った。


「だって……まゆちゃんには関係ないよ」

「関係ない? なんで?」

「これは私の問題だから。まゆちゃんには関係ない話でしょ?」

「本気でそんなこと思ってるの?」


 委員長の怒気がさらに強くなる。俺にもわかる。今の実梨は本音で語ってないからだ。


 委員長は本音で話そうとしてるのに、実梨が拒絶している。それに委員長が怒っているんだ。


「…………」


 実梨は委員長から目を逸らす。


「ちゃんと私の目を見て言って。本気でそんなこと思ってるの?」

「…………言えない。まゆちゃんにだけは言えなかった」


 なおも目を逸らしながら、実梨は苦しそうに声を漏らした。


「それを教えてって言ってるの!! ちゃんと言ってくれれば、私はお姉ちゃんにあんな態度とったりしなかった!!」

「それでも言えなかったの……」

「なんで!? なんで言えないの!? 私お姉ちゃんのこと大好きなんだよ!?」

「だから言えなかったんでしょ!!」


 目にたっぷりと涙を溜めた実梨が、委員長をきつく睨んだ。


「まゆちゃんがどれだけ私を好きかなんて私が一番よくわかってた! いつでも一番そばにいたのはまゆちゃんだったんだから、まゆちゃんがどれだけ私のことを好きかなんてわかってた!」

「だったら! なんで言わないのよ!?」

「まゆちゃんだって! なんで私の気持ちがわかならいの!?」

「言われなきゃわからないわよ!!」


 今日一番の大声。実梨が一瞬怯んだ。


 こんな時に水差すの最悪だけど、他に人来ねぇよな? 今結構うるさいぞここ。


「人の気持ちなんて! 言われなきゃわからないの! 私はそう教えられた! だから全部話してよ! そうしなきゃわからない!」

「まゆちゃんが私のこと大好きだったから言えなかったのよ!」

「だからなんで!?」

「言えるわけないじゃん! 言えるわけ……ないじゃん」


 最後の方。実梨の声は震え、瞳からは大粒の涙が零れ落ちる。


「大好きなまゆちゃんだからこそ……言えるわけないじゃん。もう歌が歌えないなんて……悲しませること言えるわけないじゃん。まゆちゃんが……どれだけアイドルだった私のことを……好きだったと思ってるの? 私が一番……わかってるんだから」

「お姉ちゃん……」


 実梨の涙ながらの独白に、委員長は言葉を失う。


 そうか。これが実梨の……委員長への想いか。


「悲しませるよりは……嫌われればいいと思った。もう私はまゆちゃんの前を走れないから……嘘を吐いても……怒りを原動力にしてでも……私から卒業させようと思った」 


 また裾を摘ままれる感覚。気づけば美咲が俺の制服の裾をキュッと握っていた。そうだよな。これを見せられて何も感じない奴なんていねぇよな。心配になるよな。


 裾を摘まむ美咲の手をどけて、その空いた手を俺の手で強く握る。指と指を絡ませる。恋人つなぎってやつ。初めてやったわ。


 俺が握れば、美咲もぎゅっと指に力を入れてくれた。顔なんて見なくてもいい。言葉もいらない。気持ちは一緒だろ? 心配な気持ちも、不安な気持ちも、この手の温もりで繋がっていれば半分こだ。全然重さが違うんだよな。


 あ、でも手汗だけは気をつけねぇと。体育祭で一度手汗びちょびちょ事件を起こしてるからな。あぁ……意識すると出そうだなぁ……なにやってんだよ俺……。いまそんなふざけてる場合じゃないから。消えろ煩悩!


「でも……まゆちゃんは頑張りすぎて……私の言葉は届かなくて……体を壊して……」


 実梨はなおも大粒の涙を流し続けている。


 気づけば委員長も、目にはうっすらと光る粒が浮かび始めていた。


「そんなに辛そうに続けるならアイドルなんて辞めちゃえばいいと思った……アイドルは……自分が楽しまなきゃ始まらないんだから……でもその原因を作ったのは私で……私は自分が嫌になった……」

「馬鹿!」


 委員長が声を張り上げた。その瞳からは雫が滴り落ちる。


「私が頑張ってたのは、お姉ちゃんのためなんだから!」

「まゆちゃん?」

「面倒くさいなんてふざけた理由で辞めて! そんなのふざけんなって思って! だったら私がお姉ちゃんを超えるアイドルになって! お姉ちゃんに発破をかけてやろうって思った!」

「…………」

「でもお姉ちゃんは私なんかよりずっと高い所にいて! ただの努力じゃ追い付けないからもっと頑張るしかないからひたすらに頑張って! いつのまにかそれにとり憑かれておかしくなって! だけど自分じゃ気づけなくて体を壊して。そして神崎に諭されて。自分を取り戻して。今日お姉ちゃんの本当のことを知った」


 委員長は包み込むように実梨を抱きしめた。


「歌が歌えないならちゃんと言ってよ。私にも一緒に悩ませてよ。お姉ちゃんが私を悲しませたくないって言うように、私だって本当はお姉ちゃんを悲しませたくないんだから。私は、お姉ちゃんのことが世界で一番大好きなんだから……」

「まゆちゃん……ごめんね……ごめんね……お姉ちゃん……もう歌えないの……」

「うん……うん……」

「ごめんね……黙っててごめんね……」


 大きな嗚咽を上げながら、実梨は委員長を抱き返す。


 俺の手を握る美咲の力も一段と強くなる。


 体の芯からこみあげてくる感情がある。温かい、とても暖かい感情だ。


 これは……光だ。深い闇の底まで届くような、優しくて、消えることのない一筋の光。


「歌えなくたって……お姉ちゃんは私が世界で一番大好きなお姉ちゃんなんだよ。これからは……ちゃんと全部話してよ。それを受け止めるくらい……私だってできるよ……」

「うん……ごめんね……」

「私たち、お互い大好きなのにすれ違っちゃったね」

「大好きだから言えなかった」

「そうだね。でも……これからは全部言おうね。もう私に隠し事はなしだよ?」

「うん。まゆちゃんも私に隠し事はなしだよ?」


 二人はしばらく泣きながら抱き合っていた。


 雪解け。結局は二人はお互いがお互いを大好き過ぎた故のすれ違い。相手に気を遣って、相手のためを想って行動していたのにすれ違った。それはきっと、言葉にしなかったからだ。


 他人の気持ちなんて言われなきゃ本心を知ることなどできない。


 心と心のぶつかり合い。実梨も、委員長も、それが足りなかったと思う。


「……ぐすっ」


 気づけば隣の天使も涙を流していた。優しい天使様だ。


 鼻をすすって、頑張って涙を堪えようとしているが我慢できていない。


 そんな美咲の姿を見て、また俺の心も温かくなった。


「俺の胸でよければ貸すぞ? 美咲専用だからな」

「…………使う」


 美咲は力いっぱい俺の胸に顔をうずめて、しばらく静かに涙を流していた。


 その涙の温かさを、ほのかな柔らかさを、俺は自分の胸でじっと感じていた。


 ここで抱きしめ返せないところがまじでチキン。恋人のあれやこれやについて奥手がすぎるんじゃねぇか神崎さんよぉ。でもさ、なんかこう……恥ずかしいんだよ! わかってくれよこの男の純情をさぁ!


 俺以外の女子がしばらく泣き続ける状況を、俺は黙って眺めていた。


 人の気持ちは言わなきゃわからない。頼むから誰も来るなよ? と考えている男のことだって、俺が言わなきゃ誰にもわからねぇんだから。

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