第114話 理由

「それはもちろん聞かせてもらうけど、まずは水飲めよ。もしかしてと思って1本持って来たんだ。まあ、走ったりさっき委員長の手や肩を掴んだりしたときに落としたからいい感じにシェイクされてるけど」


 未開封なのに上の方で泡立っているペットボトルを差し出した。ビールは泡がうまいって杉浦さんが言ってたし、ビールも広義では水だから、その大本である水の泡もきっとうまい。いやぁ、勉強しといてよかったわ。こうして知的に無理やり屁理屈ねじ込めるんだから教養って大事。


「ありがと。実は喉カラカラだった」

「知ってる。今日はクソ暑いからな」

「そうね……いい天気……」


 日光が射しこむ空を見上げながら、委員長は俺の差し出した水をゴクゴクと音を立てて飲む。


 本当に喉が渇いてたんだな。まあこの暑さなら当然か。顔色はまだよくない。


 俺は委員長が水を飲んでいる間に携帯を操作した。まあこんなところで許してもらうか。


「なにしてんの?」


 委員長は視線だけ俺に向ける。


「一緒に委員長を探すって言って授業をサボった奴らへの謝罪文」

「なんて送ったの?」

「無視してごめん。もうちょっとしたら集合場所に行くって」

「神崎は嘘つきだ」


 いたずらっぽく笑う委員長。


「まさか。俺は正直者だよ」


 俺はそう言ってから委員長の目の前で携帯の電源を切った。


「なんで電源切ったの?」

「委員長との話を途中で中断されたくねぇからな。あとで行くって連絡したし、下手に電話が来ても困る」

「神崎は酷い奴だ」


 言葉とは裏腹に、委員長の口調は軽やかだった。水を飲んでわずかに回復したか、それとも俺の言葉で憑き物が落ちたか。まあどっちでもいい。


 今の委員長ならちゃんと話ができそうだ。無理のない範囲でな。やばくなったらすぐに動けるようにしとこう。


「私さ、ずっとお姉ちゃんを追いかけてたんだ」


 やがて、ゆっくりと委員長が口を開いた。


「こうしてアイドルをやってるのも完全にお姉ちゃんの影響。お姉ちゃんのライブを初めて見た時さ、お姉ちゃんすごい輝いてて、私もこんな人になりたいって思ってアイドルを始めたんだ」

「実梨が言ってたよ。委員長はずっと私の後をついてきてたって」

「お姉ちゃんが? でもそうだね。言われてみれば私はアイドル以外でもずっとお姉ちゃんを追いかけてたかも」


 お姉ちゃんが好きって言ったものを自分も好きになった。


 お姉ちゃんが可愛いって言ったものを可愛いと思った。


 お姉ちゃんがやりたいってことを私もやりたくなった。


 ずっとお姉ちゃんの後ろを追いかけていた。


 委員長は実梨との過去を思い出しながら、とても楽しそうにその過去を語る。お姉ちゃんが、お姉ちゃんが、話し始めれば、委員長のお姉ちゃんトークはとどまることを知らなかった。


「なんだよ委員長。おまえ実梨のこと大好きじゃねぇか」

「当たり前でしょ。お姉ちゃんは世界で一番すごい人なんだから」


 いやそこまでは言ってないよ俺……。委員長のお姉ちゃんラブ度予想より凄かったんだが。国民的アイドルだったのに委員長の中では既に世界に羽ばたいてたんだが。でもまあ、楽しそうに語るところを見るに、本当にお姉ちゃん大好きなんだな。


 心なしか目が輝いてるし。さっきまで君の目は濁ってたんだからね? 俺は知ってるよ?


 でも、だからこそだ。それが反転する理由がわからない。


「じゃあなんで今は険悪なんだよ? 何があった?」


 俺が話の核心に迫る言葉を言うと、委員長の顔から笑顔が消えた。


「お姉ちゃんがアイドルを辞めた理由は聞いた?」

「ああ。全部面倒くさくなったって言ってたよ。それであってるか?」


 もしかしたら委員長には別の理由を言ってるかもしれない。


 念のため確認して見たけど、委員長はその言葉に寂し気な笑みを浮かべた。たぶん、あってるんだろう。


「お姉ちゃんはアイドルが大好きだった。一番近くで見てきた私が言うんだから間違いない。なのに、私の知らないところで急にアイドルを辞めたかと思えば全部面倒になったって……」


 委員長は苦虫を噛み潰したような表情で続ける。


「許せなかった。そんなの私が知ってるお姉ちゃんじゃないから」

「だから険悪になったと?」

「何を聞いてもそれしか言ってくれなかった。だから、私は決意した。面倒くさくなったなら、もう一度お姉ちゃんがアイドルをやりたくなるようしてやればいい。私があの日お姉ちゃんを見てアイドルをやりたくなったように、今度は私がそうなろうって。今度は私がお姉ちゃんの光になるんだって」


 強い決意を持った言葉。俺は何も言えずに続きを待った。


「でも悠長にしていたらお姉ちゃんも私もどんどん歳だけ重ねていく。アイドルにとって若さは何よりも大事。神崎だってわかるでしょ?」

「あ、ああ……」


 やべぇ……全然気にしたことなかった。けどここは否定するわけにもいかない。ただまあ、なんとなくアイドルは若い方がいいってのは理解できる。


 突然振られて気のない返事になったけど、委員長は特に気にした様子はない。ナイスポーカーフェイス俺。練習の成果が出てるぞ。よくやった。


「私には時間がなかった。お姉ちゃんのいた世界は私が今いる世界とは遠くかけ離れていたから。普通に頑張ってもそう届く世界じゃない。だから私は今まで以上に頑張るしかないって、そう思ってずっと頑張ってきた」

「それで体をぶっ壊したと」

「そうだね。今日の今日まで、私はずっとその意志に従って頑張ってきた。体が壊れようと、動けるなら私は動いて、早く高みに行こうと思ってた。でもさ」


 委員長は自嘲気味に笑った。


「神崎に言われて気づいた。私、全然自由じゃなかった。人間は自由だって言ったのに、神崎の言う通り私はいつのまにか自由じゃなかった。アイドルは笑顔と楽しい感情を持ってみんなを魅了する偶像。不自由な人間にそれができるはずなんてない。今の私はそのどっちもなかった。神崎が、気づかせてくれたんだよ?」


 優しく表情を崩して、委員長は俺をじっと見た。


 アイドルは笑顔と楽しい感情を持ってみんなを魅了する。普段の実梨を見ていると、その言葉はすっと胸に落ちてくる。実梨は基本的に笑顔を絶やさず、楽しいことは楽しいと表に出す。バイト中なんかまさにそれだ。その笑顔に、雰囲気につられて周りの人もいつの間にか笑顔になっている。なるほど、委員長の理論で言えば実梨はまさにアイドルだ。


「私は頑張ってるのにさ、お姉ちゃんにアイドル辞めた方がいいとか言われてもうわけわかんなくなっちゃったよ。そして気づいたらここに来てた。練習しなきゃ、早くお姉ちゃんを超えるんだって」

「色んな人に迷惑かけてる自覚はあるか? 大反省案件だからな?」


 俺は委員長の頭に力の入ってないチョップをかました。くらえ正義の鉄槌。これはお前が心配をかけた人たちの代わりの鉄槌だ。でも本気でやったら可哀想だから、これくらいの力が丁度いい。


「うん……そうだね……私、色々馬鹿なことしたな……」

「それに気づけたんならもう大丈夫だよ。あと、実梨はお前のこと本気で心配してたからな?」

「うそ? 昨日あんなに冷たかったのに?」

「どうしようやっくん!? 昨日私が言い過ぎたからかな!? なんて死ぬほど焦ってたぞ」


 実梨としては妹に知られたくない痴態かもしれないけど、ネタになるから今は勘弁な。


「ふふ……全然似てない……」


 委員長は口を押えて笑いをこらえている。おかしい。今のは完璧だと思ってたのに。もう実梨が俺に憑依したレベルで完璧にトレースできていたはずなのに。


「神崎がお姉ちゃんを真似するなんて3世代早すぎ」

「えぇ……せめて2世代だろ……」

「その違いはなに?」

「わかんね。なんとなく適当に返してみた」


 俺と、そして生まれるかもわからない俺の子供までもが生涯実梨のモノマネをマスターできないみたい。恐るべき国民的アイドルの壁。一介の凡人には太刀打ちできない何かがそこにはある。ごめんな未来の子供。え、でも子供ってことはつまり美咲との? ふへ。


「お前が思うより、実梨はお前のこと大好きだよ。だからあいつの言ったこと額面通りに受け取るなよ」

「……本当は知ってる」

「でも、アイドルをやる理由を見つけろってのは本音。アイドル辞めろは……まあ違うんじゃぇねかな」

「それでも結構苦しいんだけど」


 委員長が呆れたように笑った。


「お前がこの先アイドルの世界で生き残れるように発破かけてんだよ。芸能界はそう言ったブレない芯が必要なんだとさ」

「ブレない芯……」

「そう。実梨がいなくなったその先お前がアイドルをやる理由、それを見つけろってさ」

「難しいな。それにまるで自分がもう帰ってこないみたい。なんかムカつく」

「でも、委員長はもうアイドルやる理由ちゃんとあるじゃねぇか」


 俺の言葉に委員長が目を丸くする。


「実梨がアイドルに戻りたくなるようなアイドル。立派な理由じゃねぇか。いなくなったなら、追いかけられないなら、お前が追いかけられるアイドルになればいい。ぴったりじゃん」


 今度は自分がお姉ちゃんの光になる。その言葉は、今の委員長がアイドルをやる理由にぴったりな理由だと思った。


 実梨は言った。委員長は自分から巣立つべきだと。でも、巣立った後で親鳥を想うことがダメだと言われていない。ならそうすればいい。追いかける、隣に立つ。そうじゃない。自分が引っ張る側になればいい。それは否定されてない。


「お姉ちゃんが……アイドルに戻りたくなるアイドル……そっか……追いかけるんじゃなくて、私が追いかけられる側になる。そうだ……さっき私が言った言葉だ」


 委員長の目にはどんどん生気が戻っていく。


「ありがとう神崎。私、見つけたかも。自分がアイドルをやる理由」

「ならまずは休めよ。そんな体じゃ国民的アイドルを呼び戻すアイドルにはなれねぇぞ?」

「そうだね……まずは私が自由にライブを楽しめるまでに戻らないとね」

「ああ……それにちょうど迎えが来たみたいだな」

「迎え?」


 かすかに階段を上ってくる音が聞こえる。こんな寂れた、上るのもきつい神社に足を運ぼうなんてやつはそうそういない。だからこの足音が誰なのか、俺は姿を見なくてもわかる。

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