第150話 2日目の朝
次の日の朝。差し込む朝日が鬱陶しいわけではなく、単純に目が覚めた。
眠たい身体で掛け布団を押し上げれば、ベッドの下の布団は綺麗に折りたたまれていた。
さすが美咲。まだしばらく寝る布団だと言うのに、しっかり片付けていらっしゃる。俺だったら放置してるね。ここに育ちの違いが出ちまったか。
あくびをしながらリビングへ降りる。
するとどういうことでしょう。美咲と母さんが仲良く台所に立っているではありませんか。
「え、俺もしかしてまだ夢見てる?」
どうりで夢見心地だと思った。こりゃ夢か。
だって美咲が俺の家の台所に立つとか……なにこれ新婚? 法律っていつ改正されたんだっけ? 実は俺もう結婚してた?
「なに馬鹿なこと言ってんのよ。元からおかしい頭がさらにおかしくなったの?」
リビングでだらしなくソファに寝そべる姉貴が、朝から冷ややかな言葉を浴びせてくれる。
風呂は昨日の内に入ったから言葉のシャワーはいらないっすよ。ちょっと冷たいかな。じゃなくて。
「うーん……これは夢と考えるのは正解か」
「だからなに言ってんの?」
「姉貴、試しに俺を一発殴ってくれ」
「え? あんた壊れちゃったの?」
「いやな、目の前の景色が幸せ過ぎて夢の可能性を捨てきれねぇんだよ」
ほのかにただよう味噌汁の香りが鼻をくすぐり、感じた香りのリアルさが俺の意識を現実へと引き戻す。
「あ、八尋君おはよう! 今ごはん温めるから座って待っててね!」
「かはっ……!?」
俺と姉貴の下らない会話で気づいたのか、笑顔で振り返った美咲の姿に俺の胸は撃ち抜かれた。
だって……え、エプロンつけてる!? 可愛い花柄のエプロンつけてる!? 朝から可愛さ満開じゃん!
美咲はそれからすぐ、母さんと楽しそうに会話をしながらご飯の準備を始めた。
「で、夢から覚めた?」
「なんて幸せな現実なんだ……」
俺はエデンの中心でハッピーな現実に浮かれながら朝ごはんを待つ。
「あれ、六花は?」
改めて確認すれば、リビングには六花の姿だけが見えない。
「六花はもう出かけたわよ。友達と遊びに行くんだってさ」
「はぁ……朝から元気だな六花は」
「あんた何言ってんの?」
だらしない姿でテレビを見ている姉貴が怪訝そうな表情をする。なんでそんな喧嘩腰なんだよ。まあ姉貴は寝起きが不機嫌なタイプだし生理現象みたいなもんか。
「てか、姉貴は朝ごはん食べねぇの?」
親父も優雅に新聞読んでるし、お前らもうすぐ朝ごはんなの忘れてない? せっかく美咲と母さんが作ってくれたのに感謝の気持ち足りてねぇよなぁ? ちゃんと神棚にお供えするくらいの気概を持てよ。美咲が作ってんだぞ? いや母さんでも同じだよ。誰かが作ってくれた感謝の気持ちを忘れっちゃったのかな君たち?
「……今何時だと思ってんのよ?」
「ほ?」
言われてみればみんな服装が寝間着じゃなくて、美咲も可愛いパジャマから可愛い私服に着替えていた。美咲は白い服装が映えるなぁ……と思いながら時計を見れば、朝なんて言うのもおこがましいくらいの時刻を指していた。
「……もう10時前じゃん」
全然朝じゃない。9時の授業を始発とかのたまう姉貴にとっては朝と言えなくもないけど、世間一般からすれば朝ではない。かといって昼でもない。え? じゃあこの時間はなんて言うの? 虚無の時間じゃん。まだ寝ぼけてんな。
「美咲ちゃんに感謝しなさいよ。八尋が起きるまで健気にエプロン着て待ってたんだから」
「マジかよ……」
エプロンを強調する辺り、姉貴もわかってんな。
そう、エプロンを来た美咲の可愛さは普段のそれを凌駕している。俺はまだ見ぬ美咲を見られる幸せを嚙み締めた。楽園は、ここにある……!
「ふふ……私は好きでやってるだけだから」
「これが天使か……」
なんかもう崇めたくなってきたけど、すんでのところで親の前だと思い出して留まった。危ない。
姉貴はどうでもいいけどまだ親からは冷めた目で見られたくないお年頃。難しいんですよ高校生ってやつは。
「甘いなぁ美咲ちゃんは。こんなの甘やかしたらクソニートになるわよ?」
「予備軍には言われたくねぇな。姉貴今バイトしてねぇだろ?」
以前は社会に出る予習をしていた姉貴だが、今は穀潰しルートを歩んでいるエリートだ。前に訊いた時は働かなくても生きていける方法を探すとか言ってた。そんなものはない。
でもよく考えたらこいつ自分の車を持ってるよな? 俺は何度か深夜の地獄周遊ツアーに連れてかれたし、その金はどこで手に入れたんだ? 裏稼業?
「そうだけど、私株で稼いでるからもうバイトする必要ないし」
「へぇ、そうなんだ……株!?」
なんか普通に流しそうになったけど全然普通じゃねぇ!?
「株ってお前あれか、野菜か?」
「んなわけないでしょ。馬鹿なの?」
「いや、だって、え!?」
「なんでそんな驚いてるのよ?」
「考えるより先に手が出る姉貴にそんな才能があったとは知らなくて」
コンビニバイト時代、ムカつく客をぶっ飛ばし、あまつさえそれを武勇伝として語った姉貴。その話を聞いて、あぁ……こいつに社会は難しいなとか弟ながら心配していたと言うのに、株だと? ありえねぇ……そんな知能を持っていたのかこいつは……。
「なんか言動が死ぬほどムカつく。でも事実よ。最近学費も自分で払ってるし」
「なん……だと……」
学費を……自分で払っているだと? 待て待て、そうしたら姉貴は自分の学費を自分で払うしっかり者になっちまうじゃねぇか。
おいやめろよ。親のすね齧って一人暮らしをして、さらに学費まで払ってもらってる俺はどうなる? 今までは姉貴という先を進むエリートがいたから甘んじていたものの、その姉貴という盾が無くなったら俺が穀潰し一直線じゃねぇか。
ずるいぞ姉貴。バイトで稼ぐ金が株に勝てるわけねぇ。同類だと思ってたのにずるいぞ!
「親父、とうとう姉貴がいかれちまったぞ」
認めるわけにはいかねぇ。俺とお前は同じくらい穀潰しのはずだろ? 先に行くなんて弟は許さねぇぞ。
俺を陥れるための妄言だって早く言えよ。ネタバラシをしろ。
しかし、親父は俺の言葉にうんともすんとも言わない。姉貴の言葉は事実だと言わんばかりに。
「あんたと一緒にしないでよ。私はもう、大人なのよ?」
クソほどムカつく勝ち誇った笑顔。てめぇ……弟のミジンコ並みのプライド傷つけて楽しいかよ……!
あと俺はイカれてないから。そこは大事よ?
「ぐぐぐ……その煽り性能はクソガキのままだぜ……」
「ふ……残念だったわね。私はもう次のステージにいるのよ。上で待ってるわ」
「八尋君、ご飯温めたよ!」
割って入るように、美咲は俺の前に温めた朝ごはんを並べていく。俺と姉貴のどんぐりの背比べには興味がないらしい。さすが天上人。同じレベルには堕ちてこない。
「美咲に救われたな姉貴。今はここまでにしといてやるよ」
「はいはい。温かいうちに食べなさい」
なんだろうこの敗北感は……てか次のステージってなんだよ。まあいい。今は美咲のご飯が最優先事項だ。
鉄は熱い内に打てと格言があるように、ご飯も熱い内に食えってわけ。これ常識な?
「味噌汁は私が作らせてもらいました。自信作です!」
「なるほど。では早速」
温かい味噌汁を口に運べば、優しい出汁が喉の奥に染みわたる。美咲の優しさを体現するかのような味わい。絶対に姉貴では出せない味だって本能が理解した。あいつにこの繊細な優しさを再現するのは不可能。
「うん、うまい。最高の朝だ」
まあもう朝って感じではないけど。
美味しいご飯を食べる俺を、美咲はずっと楽しそうに眺めていた。これが……新婚プレイ? 違う。
それは置いておいて、美咲は驚くことにたった1日で神崎家に溶け込んでいた。台所に立っていた姿が違和感なさ過ぎてビビったくらいだ。俺いつの間に結婚したの? と本気で錯覚した。つまり美咲と神崎家の相性は最高、と……これは未来予想図が描けちゃったなぁ。
まあ、とにかく美咲が過ごしやすそうでなにより。そう思った朝だった。
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