第149話 信用してるから

「……はぁ」


 俺は真面目に訊いたつもりだったのに、姉貴は見るからに大きなため息を吐いた。


「なんだよそのため息は?」

「馬鹿な弟に対する失望のため息よ」

「あ? こっちはそこそこ真面目に訊いてんだぞ?」


 目元が赤くなっている。つまりそれは涙で腫れた後ってことだ。


 いつも美咲の顔を見ているせいか、ほんの少しの違和感でも気づいてしまう。天使検定免許皆伝の力はここでも活きるってわけ。まあ確信を持ったのは、美咲が頭なでなでをおねだりしてきた時だけど。やべ……思い出したらにやけそう。


「……はぁ」


 再度、姉貴は大きなため息を吐いた。


 とてもわざとらしく、俺を心底嘲るように見えたのは気のせいだと思いたい。


「ほんっとデリカシーないわねあんた」

「うるせぇな。それは自覚してんだから敢えて言わなくてもいいだろ」

「自覚してんなら治しなさいよ」

「おま……急に正論ぶつけてくんのやめろ? 泣くぞ?」


 やめろよ。その正論は俺に効くんだって。


「キモ……」


 おいやめろよ。マジトーンのキモ……も結構男子には大ダメージなんだからな。


「それにしても、彼女が泣いたかもしれないのに案外冷静なのね。そこまでわかってて怒らないんだ?」

「べつに姉貴がいじめたわけでもねぇだろ? それに部屋に戻って来た美咲は普通に可愛い美咲だったし。俺はただ理由が気になってるだけ」

「へぇ……私を信頼してるんだ?」


 挑発的に俺を見る姉貴。


「姉貴は俺を舐めすぎだって。美咲を元気づけようとして俺の部屋に入って来たんだろ? それくらい俺でもわかるって」

「……」


 姉貴が意表を突かれたかのように固まった。まるで俺が発した言葉を信じてないみたいだ。


 そういうとこだぜ姉貴。なんだかんだ姉貴と一緒にいる時間は多かったんだから、俺もお前の考えることは多少わかる。


 姉貴は傍若無人であるが、人の機微にはちゃんと気づくし、人が本当に嫌がるラインまでは踏み込まない。


 俺を強めにいじるのだって、俺なら許してくれるラインを知った上でプロレスしかけてきてるって俺もわかってる。だから俺もテキトーに返してるし、本気で嫌だとは思ってない。


 正直たまにイラっとくるけど、その程度は兄弟のじゃれ合いみたいなもんだろ。俺たちの間にお利口さんな関係は似合わねぇからな。


「なにかしらの要因で美咲がちょっと感極まっちゃっただけだろ? んで、姉貴はその様子を見るついでに元気づけようと茶番をしてまで俺の部屋に入って来たと」


 まあ茶番の仕方はド派手だったような気がするけど。あとでデータ貰っておくか? いやでも姉貴に貸しを作ると後が怖いからやめとこ。自分のスマホに納めたから今はそれで我慢だ。


 いやはや、俺を舐めてもらっちゃ困るんですよねぇ。姉貴が俺を知ってるように、俺だって姉貴のことは少なからず知ってんだって。一方的なわけがねぇんだって。俺と姉貴が過ごした時間は一緒なんだから、理解度はお互い深まるんだよ。


「……ものわかりのいい弟は嫌いよ」


 姉貴は図星を突かれたのか、少し顔を赤らめて気まずそうに顔を背けた。


 どれだけ口で取り繕うと、身体は正直だな姉貴さんよぉ。顔、赤くなっちゃってますよ? まあこれ以上踏み込んだら魔界に連れてかれて拷問されるから言わない。


「いいなぁ……」


 そんな俺たちのやり取りを見て、渦中の美咲は羨ましそうな声を漏らした。


 え? 今の会話の中で羨む要素あった? ただの姉弟の会話ですよ?


「八尋君と七海さんの関係、私は好きだな」

「こんなのが姉だと苦労するから考え直した方がいいぞぐぼぉ!?」


 おでこに何かがぶつかった。姉貴のスマホだった。おま……機械投げんなよ……コントロールいいなおい。


「あんたなにふざけたこと言ってんのよ。私ほど完璧な人間いないでしょ」


 自己評価高すぎん? お前より完璧な人間身近にいるぞ? まず妹に勝ってから言え。


「完璧って言葉を辞書で引いてから出直してこい」

「そういう二人が、私は好きだな」


 美咲のエンジェルスマイルに撃ち抜かれた姉貴は、なんとも言えない表情で頬を掻く。


 まあたしかに姉貴は悪い奴じゃない。いい奴よりではある。でも普段は弟と罵り合いを繰り広げる精神年齢小学生な女だからな。いい面だけを見ちゃだめだぞ美咲。だらしない一面もしっかり見てから判断しろ?


「んで、結局美咲に起きた出来事は教えてくれないのな?」

「八尋……女には秘密のひとつやふたつあった方が魅力的なのよ」

「わかった。姉貴がそういうならこれ以上は訊かねぇよ」

「あら、随分簡単に引き下がるのね」

「俺、姉貴のことは信用してるから。姉貴が俺に言わなくていいって判断するならそれに従うよ」

「……ふん!」


 今度は近くにあったエアコンのリモコンが飛んできた。


「いってぇ! なんで物投げんだよ!? 褒めてんだよ俺は!?」

「あんた今日生意気よ? どっちが上か教え込んであげるわ」

「上等だ。人がせっかく姉の顔を立ててるのに無碍にしやがって」


 俺は立ち上がり、姉貴を至近距離でいがみ合う。


 見えない火花が散り、今にも戦いが……始まらなかった。


「「……ふふ」」 


 俺と姉貴は同じタイミングで毒気を抜かれて笑いあう。


 不意におかしくなってしまった。なにやってんだろうなぁって思ったら、姉貴もそうだったらしい。


「ま、美咲ちゃんのことは安心していいわよ。悪い事件があったわけじゃなくて、むしろいい方向だから」

「そうか。じゃあ俺は見なかったことにするよ」


 姉貴が言うなら信用しよう。姉貴は重要な選択を間違える奴じゃない。どうでもいいことは間違えまくっても、本当に大事な部分は絶対に間違えない。根っこの部分はしっかりしていて、なんだかんだ姉なんだよな。


 それから美咲と姉貴と戯れて、夜も遅くなってきたので寝ることに。


「八尋君、もう寝た?」


 暗闇から耳に優しい声が聞こえた。天使の声は俺限定で癒しの効果が発動するらしい。


「まだ寝てない」


 それ以降返事はなかったので、今度は俺から話しけることにした。


「なあ美咲、深くは訊かないけどなんかあったら言えよ。一人で抱えきれない時は俺も支えるからな?」

「うん。ありがとう。でも大丈夫。もうすっきりしたから」

「そうか。ならもう訊かない」 

「ところで八尋君、七海さんが彼氏に求める条件ってなにか知ってる?」

「はぁ?」


 美咲には悪いが、質問の内容はクソほど興味のない話題だった。


「いや全然」


 いけない。興味のなさが声に現れてしまった。


 でも姉貴の恋愛事情とかマジでどうでもいいって。美咲は女の子だからコイバナ好きなのかな? それにしたってもう少し別の話題でもいいんじゃない? 姉貴って……なぁ。


 男の噂とか微塵も聞いたことねぇぞ。どうせ条件が厳しすぎんじゃねぇの? なんかそういう雰囲気あるよな姉貴って。


 まず条件付けるなって。そこはせめて対等であれよ。


「高身長で高学歴で金持ってるとかそんなんだろ?」

「ふふん、はずれ」


 美咲は楽しそうに言う。


「正解は……八尋君よりいい男……でした」

「はぁ……」


 気のない返事をしてしまった。


「そんなんその辺歩いてりゃたくさんいると思うけど?」


 俺よりいい男とかハードル低すぎて比較にならねぇって。そんなん姉貴が一番わかってんだろ。


 彼氏できないのは他に原因があるよ姉貴。まずは普段の行いを見直してみよう。きっとそこからだって。


「……すぅ……すぅ」


 返事の代わりに可愛らしい寝息が聞こえて来た。


 え? 寝たの? 切り替え早いね美咲さん!


 写真を撮ろうかと思ったけど、布団で寝る無防備な顔は俺の記憶だけに留めておくことにした。こんな可愛い天使を記録に残すなんてもったいない。独り占めが正解だ。


 そうして、俺の里帰り1日目は幕を下ろす。

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