第69話 天使の旅路⑩(美咲 side)

 その日の夜。ベッドに体を投げ出す。


 水族館での出来事を振り返り、私はこれからのことを考える。少なくとも八尋君とは今まで通りとはいかないとは思うし、彼にも考える時間が必要だろう。


 八尋君曰く黒歴史ノート。その最終章を彼に渡した。それを受けて彼は何を思うか。私も過去の八尋君を望んでいると思われるのかな。


 記憶が戻ってほしいとは今も思っている。だけど、今の八尋君だって八尋君だ。記憶があってもなくても、そこに違いなんてないってことを彼自身に気がついて欲しい。過去は過去、今は今なんだと。


 来週からはテスト期間。八尋君はテストが終わるまでバイトを入れてなかったはずだ。気持ちの整理をするのに、私は邪魔だろうから丁度よかった。なら私が店に行かなければいいだけなのに、八尋君がいるだけで店に行ってしまいそうな私に苦笑いする。


 と言ってもどこかでまた八尋君と話さないことには進まない。ここまで来たらとことん当たって砕けようじゃないか。私だってまだ言いたいことを言えていない。


 テストが終わったらかな。八尋君と正面から向き合う。私を絶望の底から引っ張り出してくれた君に、今度は私が手を差し伸べる時が来たんだ。


 週明けの学校。案の定八尋君は私を避けていた。周りは気づいていない様だけど、いつも見ている私にはわかる。彼は意識して私から視線を逸らしている。予想していたことだったけど、やっぱり寂しかった。


 お揃いのストラップも、彼は付けてくれなかった。


 まずは目の前のテスト勉強に集中したくても、頭は八尋君のことを考え続けている。教室で友達と一緒に居残り勉強をしても、どこか集中しきれなかった。


 家で勉強していても、とても勉強なんて身が入らない。ベッドで大の字になって天井を見上げる。


 記憶喪失。なったことがないからわからないけど、どんな感覚なんだろう。記憶が消えるって、どういうことなんだろう。なったこともないし、フィクションの中での出来事という認識しかなくて、その物語の中の人たちは記憶喪失でも前向きに生きていることが多い。


 だけど八尋君は違う。


 前向きになるにはどうすればいいんだろう。手を差し伸べることはできるけど、それを掴むかの選択は相手に委ねられる。無理矢理掴んで引っ張り出しても、今回の場合は根本的な解決にはならない。八尋君自身の意志で、立ち上がらなくてはならない。


 考えても考えても答えは出てこない。やっぱり体当たりで行くしかないか。


 テストの手応えは散々たるものだった。ぎりぎり赤点を回避できた程度。本調子にはほど遠かった。


 八尋君は相変わらず私を避けている、と思う。バイト後に顔を出してみても、八尋君は用事があると言ってそそくさと帰ってしまう。


 ついこの間まではこの後二人で話してたのに。寂しいな。


 話をしたいのに、こうも避けられていると話ができない。呼び出そうとしたところで、はぐらかされて逃げられるのが落ちだ。


「いやはや、何やらお困りのようですな」


 どうしようかと考えていると、横から軽快な声が聞こえてきた。結菜ちゃんだ。


「少しいいですかいお嬢さん」

「え? どうしたのそのキャラクター?」

「迷える子羊を導く老師ってやつ?」

「私に聞かれてもわからないよ……」


 結菜ちゃんは相変わらず元気だ。


「まあまあ、そう言わずにさ!」


 結菜ちゃんは私の手を掴んで教室を出る。ここでは話したくない内容なのかな。教室では、八尋君が佐伯君たちと話している姿が見えた。


「みさっちさ、ざっきーと何かあったの?」


 教室を出て、下駄箱近くまで連れて行かれた後で、結菜ちゃんは何の気なしに切り出した。


「神崎君と? 何もないよ?」

「友達に嘘つくのは感心しないですなぁ」

「…………」


 結菜ちゃんは含みのある笑みを浮かべる。


「みさっち、ずっとざっきーと話したそうにしてるよ」

「え、嘘……」

「本当。ちゃんと見てれば誰でもわかるよ」


 私はそんな素振りを見せていたのか。自分では全然気が付かなかった。


「ざっきーと話したい?」


 優しく問いかける結奈ちゃんの言葉に、私は小さく頷いた。


「そうなると思って、私たちがひと肌脱ぎました!」

「私たち?」

「まあそこは気にしないでさ!」


 ちょっとしてから屋上に行ってみるといいよ。結菜ちゃんはその言葉を残して部活動に行った。


 言葉通りに受け取れば、八尋君は屋上にいるってことだ。誰が計画してくれたのかはわからないけど、逃げ場のないおあつらえ向きの場所だ。


 言いつけ通り、私は教室で頭の整理をしてから屋上へ向かった。


 屋上へ向かう階段を登る度に、八尋君との色々な出来事が走馬灯の様に浮かび上がる。記憶を無くす前の八尋君との時間。高校に入ってからの八尋君との時間。私にとってはその全てがかけがえのない思い出だ。


 そしてこれからも、その思い出を積み重ねていきたい。できることなら、彼の手を引いて。彼に手を引かれて。


 そのためにも、私は彼に伝えたい。君は、どんな君でも君なんだと。過去も今も関係ない一人の神崎八尋なのだと。


 屋上の扉の前、一つ深呼吸をして心を整えてから扉を開く。


 口を大きく開けて呆けている彼に、私は力強い視線を返した。


「神崎君、少し話そうよ」


 今度は私が、君を助ける番だよ。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


次回から八尋視点に戻ります。

1章の最後、残り3万文字程度です。

まずは1章の最後までお付き合いいただけますと幸いです。

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