第161話 それでも、前へ
「その……お兄さん……私、悪いことをしてしまったんでしょうか……」
今にも泣きそうな顔をして、小春は俺に縋るような目を向ける。
「……小春は何もしてないよ」
「あ……」
できるたけ不安を与えないように優しく語りかけて、俺は小春の頭に手を置いた。
しっかりしろ八尋。これは俺と六花の問題だ。関係のない子にそんな顔をさせるんじゃねぇ。
落ち込みそうな自分の心を奮い立たせる。
「八尋君……大丈夫?」
そっと服を摘まれる感触。
見れば美咲が俺の脇腹あたりを控えめに摘んでいた。
「さすがにちょっと堪えたなぁ」
つい弱音を吐いてしまったのは、きっと美咲の心配そうな顔が目に入ったから。
無理はしないでと言われているような気がした。
正直、結構きてた。美咲の心配で、俺の心がダメージを受けていると自覚する。
六花の想いの深さを舐めていた。あそこまで感情を露わにして俺を否定するその姿が、とても苦しかった。なんでお前なんだと実妹に面と向かって言われるのは、思いの外苦しかった。
だとしても、今は落ち込んでる場合じゃない。
「でも、弱音はここまでだ。小春、今からお前に大事な話をする」
「大事な話……ですか?」
「そうだ。気になるだろ? 俺と六花がどうしてこんなんになっちまったか」
「それは……」
気にはなる。だけど自分が聞いていいのだろうかと思っていそうだな。そりゃこんな雰囲気で大事な話とか言われたら身構えるわな。
「この話を聞いたら、小春はたぶん俺への見方が変わると思う。だけど、小春には知っておいてほしい。六花の大切な友達だからな」
大事な話を聞いたら、知らなかった頃には戻れない。俺への見方だって変わるかもしれない。
でも、このまま何も知らないままだったら、小春と六花の関係性にもヒビが入るかもしれない。
六花にとって、小春はきっと大切な友達だ。俺と祭りに行くのが気まずくて助けを求めるくらいなんだから。
そして昔の俺ともだいぶ親しくしていたみたいだし、小春には知る権利がある。
息を呑む小春に、俺は自分の身に起こったことを簡単に説明した。俺の今と、六花との過去を。
「記憶喪失……お兄さんが……」
話を聞き終えた小春が呆然と呟く。
いきなり、目の前にいる人間はお前の知ってる人間ではないと言われたんだ。驚きが隠せないのも無理はない。
「だから私のこと全然覚えてなかったんですね」
「悪いな。小春のことは忘れてたんじゃなくて知らなかったんだよ」
「いえ……そう聞けば全て納得できました。話してくれてありがとうございます!」
小春は勢いよく頭を下げた。
「まさかお礼を言われるとは……」
「だってお兄さん……たぶん本当は私に話したくなかったですよね。でも、このままだと私と六花の関係に影響が出そうだから、仕方なく話してくれたんですよね?」
「……べつに、そこまで考えてはいないよ」
「またまた。私には分かりますよ。だって、お兄さんは優しい人ですから」
俺の正体を知っても、小春は先程までと変わらない態度で接してくれている。それが嬉しかった。
「それは昔の話だろ?」
今の俺と小春は今日初めて出会った。それで優しいと断定できる要素はない。それはあくまで昔の俺がそうであっただけだ。
「変わらないですよ」
だけど小春は言い切った。
「たしかに口調とか雰囲気は違うかもしれませんが、お兄さんはお兄さんです。私の知ってる、心根はとても優しいお兄さんです。私にはそう見えます。本質は変わってなんかいませんよ」
「……」
心に暖かいものが満ちていく。満ち足りていく。小春にとっては何気ない言葉なのかもしれないけど、俺にとってその言葉がどれだけ嬉しいか彼女は知らない。
お前はお前だと言ってくれる存在のありがたさを、彼女は知らない。
「でも、六花はなんであんな態度を……さすがにあれは酷いですよ」
「たぶん……認めたくないんだよ」
今まで黙っていた美咲が割って入る。
「認めたくない? なにをでしょうか?」
「六花ちゃんも言ってたでしょ。今の八尋君を兄として認めたくないんだよ」
「なんで……」
「認めたら、六花ちゃんの中にいる昔の八尋君がいなくなると思ってるから」
六花は小春に俺の記憶喪失を隠していた。
たぶん、小春に俺の話をしたら、俺が六花の知る俺でないと自ら認めることになるからだろう。
認めない。しきりに六花は言っていた。
「大好きだからこそ折合いがつかないんだと思う。六花ちゃんはさ、迷子なんだよ」
迷子。かつて俺は自分の存在がわからなくて迷子になっていた。
その過程で俺は選択を間違えて、家族の仲を一度壊してしまった。
現実から逃げるように家を飛び出して、誰も知らない場所へ行った。傷つけた家族のことも放っぽり出して、俺は一人逃げ出した。
そしてその先で、俺は迷路の出口を見つけた。
俺は俺なんだと。一筋の答えを見出した。
六花は今、俺が抜け出した迷路に囚われたまま。答えも出ず、誰も答えを教えてくれず、一人彷徨っている。
迷路の出口は人それぞれだ。俺が見つけ出した答えと、六花が見つけなきゃいけない答えは別かもしれない。だけど、もし六花が迷っているなら一緒に答えを探すことはできる。それは、同じ迷路を彷徨った俺にしかできないことだ。
「なら、助けてやらないとな」
俺は覚悟を決めて、気合いを入れ直すように自分の顔を軽く叩いた。
「どうするんですかお兄さん?」
「決まってる。六花を探しにいく。会ってちゃんと話をするんだ。あいつが何と言おうと、俺は六花のお兄ちゃんだからな」
そうしないといけない。ここは立ち止まっていい場面じゃない。
さっきは咄嗟に動けなかった。でも違う。この現実から逃げ出しちゃいけない。今度こそ、俺は六花と正面から向き合わないといけないんだ。
「……お兄さんは強いですね」
小春は優しく微笑む。
「強くはないさ……ただ、強くありたいんだ。俺はお兄ちゃんだからな」
妹が困ってたら、お兄ちゃんは無条件で手を差し伸べるんだよ。そうだろ? プールで会った小さなヒーロー。
あの時の言葉は、なぜか俺の胸にスッと溶け込んだ。
どれだけ嫌だって言われようと、無理矢理にでも手を引っ張ってやるんだ。
俺は、六花のお兄ちゃんだからな。
「私たちも手伝うよ!」
「そうですお兄さん!」
「ありがとう。でも、今回は俺だけにやらせてほしい」
二人の気持ちは嬉しい。
だけど今回は俺が六花を見つけてやらないといけない。もう会場にはいないかもしれない。それでも、今回は俺がやらないとだめなんだって、そう思う。
「一人で抱えるなってのもわかってる。だけどこれだけは……これだけは俺がやらないといけないんだ。頼む」
「……わかった。じゃあ私たちはここで待ってるね」
俺の強い意志を汲んでくれたのか、美咲はそっと広場のベンチに腰掛けた。
「でも、花火大会はみんなで見たいかな」
そのみんなの中には、当然飛び出して行ったあいつも含まれている。
「わかった。必ず連れて来る! だから待っててくれ!」
「うん。待ってる」
「お兄さん……」
去り際、小春が俺を呼び止める。
「六花だってきっと本気であんなこと言いたいわけじゃなかったと思います。だから――」
「わかってる」
立花のあの顔、やってしまったと思っている顔だった。言ったことは本心なのかもしれない。だけど、それが全てじゃないってちゃんとわかってる。
今はツンケンしてるけど、六花は優しくて可愛い妹なんだ。
「六花も連れてみんなで笑って花火を見よう」
「……はい!」
六花、今度こそ俺はお前と……。
そんな決意を胸にしまって、俺は人混みの中へと駆け出した。
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